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復刻 死者の夢 ~理想は受け継がれる~
1886年、澁澤栄一、伊藤博文、大隈重信など、時の指導者179人によって設立されたのが、女子教育奨励会のはじまり。創設者一人ひとりの志と夢を追い、一緒に時の扉を開いてみませんか。21世紀版・女子教育奨励会の源流を辿る。
澁澤雅英
MRA代表。澁澤資料館長.....[詳しいプロフィール]
 

渋沢栄一の世界 第1回 日本近代と渋沢栄一

渋沢栄一は不思議な人で、昭和6年に亡くなってから75年の長い歳月が経ち、本来なら歴史上の人物になっているはずなのに、未だにその人生や業績が、世の中の関心を呼んでいます。その理由のひとつは、栄一の仕事が、企業経営に止まらず、社会福祉、国際関係、教育、文化など国民生活のほぼ全面に関連していたこと、もう一つは、当時栄一が取り組んでいた課題の中に、現代と密接に関係する部分が多かったためだと思われます。

例えば「官から民へ」という小泉改革の主題は、栄一が生涯の目標とした「官尊民卑打破」という課題の延長線上にありました。そのためかバブル崩壊以降、政府主導システムの評価が下がるにつれて、各種メディアへの登場の機会が増え、「渋沢栄一の世界」について多彩な議論が交わされるようになりました。

慶応大学では3年前から「渋沢栄一記念講座」を開設し、「市民社会の育成」をテーマとして中曽根元首相などこれまで構造改革に尽力した方達をお招きし、年に12回のセミナーを行っておりますが、たいへんな人気で毎回500名を超える学生が聴講し、驚くほどまじめに聞いています。

先月の25日には、中国の武漢にある華中師範大学で「渋沢栄一研究センター」が発足し、発会式に参加してきました。目の回る様な高度成長に沸く現在の中国で、今では誰も覚えていないはずの渋沢栄一への関心が、俄に高まっているのを見て信じ難い想いがしました。

云うまでもなく、栄一は非常に古い人です。生まれは天保11年(1840)、場所は埼玉県北部の農村でした。時の将軍は12代徳川家慶、社会の仕組みは、家康の頃からほとんど変わっていませんでした。本来なら栄一は、先祖達と同様古い体制のもとで育ち、働き、死んで行くはずでした。

ところが嘉永6年(1853)、ペルリ提督の来航がその運命を大きく変えてしまいました。一時は幕藩体制の転覆を志し、過激な革命運動に参加しましたが、その後一転して一橋家の家臣となり、慶応3年(1867)には、パリで開かれる万国博覧会に参加するグループの随員として、思いがけなくもフランスに渡航することとなりました。栄一は西欧諸国の先進性と、社会の効率の高さに衝撃を受け、その仕組みを懸命に勉強しました。

こうした履歴については、渋沢栄一記念財団ホームページ年表が掲載されていますので、ご興味のある方はご参照頂きたいと思います。

帰国後の明治2年末には、またもや思いがけない経緯で明治政府にスカウトされ、民部省租税正という役職に就きました。当時幕藩体制からの脱却を急ぐ政府は、改革の司令塔として「改正掛」という新しい部局を設け、栄一をその事務総理に任命しました。

改革のための無数の課題のなかで、特に難しかったのは廃藩置県、藩札の整理、新しい貨幣制度の創設、そして突然失業した武士階級の救済などでした。これらは、まかり間違えば、生まれたばかりの新政府を転覆させかねない重大な問題でした。強い危機感に突き動かされた栄一は、何日も徹夜を続け、数千枚に及ぶ緊急対策の要綱を書き上げて提出したと云われています。

30才前の若さとは言え、そのエネルギーと能力は驚嘆すべきものとして政府部内でも広く認められ、伊藤博文、井上馨、大隈重信などいわゆる元勲との間に親密な友情と信頼を作ることが出来ました。またこうした作業を通じて、国の近代化の青写真づくりと格闘したことは、その後の栄一の仕事に大いに役立ったことと思われます。

このように官僚としても将来を約束されていましたが、4年後の明治6年(1873)、政府を退官し、発足したばかりの、西欧型、民間金融機関、第一国立銀行の総監役に就任しました。そして以後60年にわたる長い生涯を、民間人として活動を続け、二度と官界に戻ったり、政治の世界に関与したりすることはありませんでした。

官僚の地位と権力が異常に大きかった当時の感覚からは、立身出世を断念して野に下るというのは、世俗を捨てて出家するような印象を持たれたようです。にも拘わらず、そうした転進に敢えて踏み切った背景には、民間企業育成への強い意欲とならんで、先ほども申しました官尊民卑打破への強い思いがあったものと思われます。徳川時代に育った栄一は、武士階級を頂点とする階層社会が、どれほど人々の生きる希望を奪い、社会の閉塞をもたらすかを実感していましたし、西欧での見聞からも、それが近代化への決定的な阻害要因であることを感じていました。

2006年10月18日に行われたJKSKサロンでのスピーチ原稿を元にしています

写真はすべて渋沢史料館所蔵

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2002年4月 死者の夢

 

 

 
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