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JKSKサロンレポート 
JKSKでは毎月スピーカーを招き、会員とゲストの交流会を開催しています。JKSKの活動報告として、10月に(財)渋沢栄一記念財団理事長・渋澤 雅英さんをお招きした交流会の様子をご紹介します。

●JKSK会員とゲストの交流会 10月

講 師:渋澤 雅英さん((財)渋沢栄一記念財団理事長)
テーマ:「渋沢栄一の世界」

今日は待望久しい、JKSKの創設者であり今名誉顧問でもある渋澤雅英さんのお話である。今見直され現代でも通じる“渋沢栄一の世界”を、直系の曾孫がしゃべるのだから説得力があるのは当然である。
「渋沢栄一は不思議な人で、昭和6年に(91歳で)亡くなってからもう75年も経って普通ならば歴史上の人物になっているはずなのに、未だその人生や業績が世の中の関心を呼んでいる」という言葉で話を始められた。渋澤さんのお話は非常に判りやすくそれでいて格調が高く、思わず引き込まれてしまう。「渋沢栄一のすごさは、単に企業経営に止まらず、社会福祉、国際関係、教育、文化など国民生活全般に関連している」ことである。
慶応大学では、3年前から「渋沢栄一記念講座」を開設し市民社会の育成をテーマにセミナーを行っているが、大変な人気で毎回500名以上の学生が聴講しているという。また、中国でもどういうわけか渋沢栄一の人気は素晴らしく、武漢では「渋沢栄一研究センター」が発足したという。

埼玉県の古い農村に育った栄一にとって運命を変えた大きな転機は、1853年のペリー来航と1867年(慶応3年)に一橋家の随員としてフランスの万国博覧会に参加したことであると、渋澤さんは言う。
明治政府からスカウトされ、廃藩置県・新貨幣制度・失業武士救済など新政府の難問を担当、徹夜の連続で緊急対策を書き上げ、将来を約束され嘱望されながら官を辞し、1873年(明治6年)第一国立銀行を創設して以降、二度と官には戻らなかった。470社の企業設立に携わりながら、仕事を私物化しない行動原理はまことに見事である。
渋澤さんは父敬三が「文句なしに大変な人であって、少しでもおじいさんに近づきたいと思っている」という言葉をよく覚えていると言う。
栄一の資料を改めて研究してみて、渋澤さんの持つ栄一の印象・すごさは ことに当っての粘り強さと柔軟性であるという。官尊民卑打破の実現などこれはと思うことを生涯思い続け30年40年と相手が根負けしてしまう時間をかけて結局実現してしまうという、その持続的な精神力には驚くべきものがあった。また、当初反対していた「女子教育」については東京女学館と日本女子大創設にかかわり、卒業生に日本の将来は女性によるものであり、積極的に社会参加するように呼びかけている。

なお、渋澤さんの今回のお話の全文は、近々JKSKのホームページの“今よみがえる死者の夢” の欄に、特に2回に分けて掲載する予定でありますので、お楽しみに!!

 

バックナンバーリスト

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2006年6月 カンボジアで児童買春と戦うソーシアルベンチャー 村田早耶香さん
 
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