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 第124回JKSKサロン●JKSK会員とゲスト定例交流・勉強会
「日本史を学ぶ-私語り2016」
武田佐知子さん
      追手門学院大学教授 大阪大学名誉教授
2016年11月16日(水)19:00~21:00
「CULTURE」(表参道)

本日の講師は武田佐知子さん。「日本史を学ぶ-私語り2016-」をテーマにお話いただきます。

大阪大学を退官する時、通常はする筈の退官記念講演を、しませんでした。私はとても、これから何か全く新しい研究手法の見通しを提示できるなんて思えなかったこともあって、やらなかったのです。でも最近になって、私たちの世代と若い世代の価値観や感覚にはズレがあるってることを痛感し、その間をつなぐ作業が必要ではないかと思うようになりました。今から少しでも、自分の生き方と研究の関係を語っておこうと思っています。今日は生まれた時からの話をしてみたいと思います。

私は1948年生まれ。団塊の世代の真っただ中です。私たちはとにかく人数が多かった!男性も多いが、当然女性も同じだけ多かったのです。でも就職口は限られている、そこで多分に政治的だったと思うのですが、マスコミなどが総力を挙げて「結婚こそ女の人生の目的、女の幸せは結婚だ!」という意識を私たち女は、摺り込まれたのです。

我が家の家族は9人。5人兄弟の下から2番目です、妹と含めて「おまけの子」「付録の子」という感じでした。一方で私は「なぜ?」「どうして?」という意識が強い子で、その探求心のおかげで、今に結実しているのでは、と思っています。中学時代から数学コンプレックスに陥っていました。でも歴史や国語は大好きで成績も良かったのです。この頃から将来はこれらの分野を専攻しようと思っていました。祖母は大和三山に縁があり、幼いころ母から奈良のお寺や地域の話をよく聞いていました。

大学に入ると受験戦争の反動で、色々罪のない遊びを覚えました。学生運動が盛んだった中、洋裁を習ったり・・・。

母は「洋服は買ってあげないけど、生地ならいくらでも買ってあげる」と云いました。仕方なく私はスーツからオーバーまで、何でも作りました。その後遊びに飽きて、だんだんと勉強したいと思うようになって、気を入れて書いた卒論では「持統天皇の母性」をテーマにし、皇位継承の観点から論じることにしました。指導教官の竹内教授に「もうちょっと手を入れたら活字にしてあげましょう」という言葉に大興奮!都立高校の教員採用試験に受かっていたのですが、卒業後は、中学の非常勤講師をしながら研究室に通うようになりました。3年間研究室に通った後に結婚が決まり、夫の後押しもあり早稲田大学大学院修士課程に入りました。娘が生まれ、もう論文は書けないかも・・・と思ったこともありますが、夫の育児サポートを受けて、修士論文を書き上げることができました。東京都立大学の大学院博士課程に入ると「短大で日本服装史の授業をやってみないか」と誘いを受けました。授業の準備に手をつけてみると、服装史はまだまだ深堀されていない分野・・・歴史研究者として後発でも追いつけるかも!と思いました。最初の服装史の論文を書いた時「古代の男性はスカートをはいていた」という論文を書いたところ、「それが天下国家云々にどんな関係があるんだ?!」と批判されました。そこで私は「服装は天下国家と最も密接に関係するのだ!」という視点で論文を書き続けました。

70歳で恩師が退官される時「私費を投じて若い研究者の論文を出版したい」と叢書の刊行を宣言され、私の論文もその一冊に選ばれて本になりました。著者名をどうするかということが問題になり、旧姓で出すことにしました。しかし採用された国立大学(旧大阪外国語大学)では戸籍名を使えという。古代から明治の初期まで、日本は一貫して夫婦別姓だったのに・・・。その後大学と色々なやり取りがあり、ついに旧姓の「武田佐知子」で通すことができるようになりました。かれこれ30有余年。娘はというと、私の先を行っておりまして、夫婦別姓を貫くため籍を入れず事実婚、とっても夫婦仲の良い、三人の子供の「シングルマザー」です。

武田先生のリズミカルなお話に惹き付けられ、あっという間の時間でした。

(文責:事務局)

 

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