中村 真紀(なかむら まき)

株式会社若菜(惣菜製造販売) 代表取締役社長

中村 真紀
  • 1964年神奈川生まれ。幼年期に高度成長を経験、小・中学年でオイルショックを経験。
  • 早稲田大学卒後、雇用均等法第一世代として西友入社。
  • その後グロービスに入校し、戦略、ファイナンス、人事、組織行動学、マーケティング、ロジカルシンキングなどを学ぶ。
  • 一旦西友を退社し、カルフールを経て、西友へ入社し、ウォルマート流を学ぶ。
  • 2012年~(株)若菜(惣菜製造販売)代表取締役社長。

今、現在、経営者という仕事と格闘している私、中村真紀を『中村真紀』たらしめているものは何か?今回の原稿依頼をきっかけに考えている。初稿には思いとエピソードをつめこみすぎたため、書き直しを要請される始末。確かに自分の人生には、自分なりに大切にしているエピソードが山ほどあるのだが、その中からひとつだけ選ぶとしたら?

考えた末に選んだのは、新卒で入社して入った会社(西友)を13年目に辞め、2年後に出戻った出来事。「あれがなければ、今の私はなかった」というエピソードは、他にも山ほどあるのだが、その中でも“これ”は、最大級の影響を及ぼしていると思う。

なぜ、辞めたのか。一言でいえば、あのまま西友で仕事をしていても、これ以上大きく成長できないと感じたから。大変でも、苦労をしても、自らをストレッチして成長できる仕事がしたかったから。そして、小売業を生業(なりわい)とするなら、商品部という主要部門を経験したかったから。そして、この先、小売業においても英語や外資での経験が必要だと直感的に感じたから。

転職しようと、興味本位で受けた面接では、フランス人相手に、英語ができなくて会話が成り立たず、その会社を紹介してくれ、面接にまで付き添ってくれたビジネススクールの先生に「英語ができないとは知っていたが、ここまでできないとは・・」とあきれられる始末。しかし、そこで出会ったフランス人の仕事に対する情熱にほだされ、興味本位が本気に変わった。そのおかげで、面接結果を待つ1か月の間の集中特訓でなんとか英語が話せるようになったのだから、世の中は不思議だ。

今でも、あの程度の英語で、かつ、商品部での職務経験が1度もない、すでに30歳過ぎの女子を下着バイヤーとして雇ったカルフールという会社には心から感謝する。正直なところ、給料は30%ほどさがった。口の悪い親友には、「その程度の英語で、外資に給料が下がってまでいくのは馬鹿だ」と言われた。でも、あの経験がなければ今の私はない。小売業の本質を知るに欠かせない商品部での仕事に、その後、計12年携わることも、ウォルマートという世界一の小売業と提携し、突如、外資系企業となった西友に出戻ることも、英語力を買われて、ウォルマートの本拠地アーカンソー州ベントンビルに、西友からの研修生第一号として行くことも、それら全部の後に、ウォルマート・ジャパンの商品部長(CMO)を経験することも絶対になかった。

自分でも、なんて運の強い奴なのだろうとも思う。しかし、もし運を引き寄せたものがあるとすれば、自分のキャリアを取り巻く状況を多少読み、その中で自分なりの戦略を立てたこと。源にある「成長したい」という強い思い。目先の給料より、経験という財産に賭けた勇気。そして、その思いと勇気を奮い立たせ、現状を「手放して」、「行動したこと」ではないだろうか?

その後も今に至るまで、偶然と運命に助けられ、たくさんの“出会い”と、たくさんの“思い”とたくさんの“行動”、そして、たくさんの“失敗”と、そこからの“学び”があり、現在の私、中村真紀がいる。

随分遠くまできてしまった。が、まだまだ発展途上、めざす高みは遠い。経営者、リーダーという仕事は終わりのない旅。あの30代の頃と同じように。今もっているものを手放して、新たな成長のために行動する勇気とエネルギーが、今の私にもあると信じて、今日も格闘している。