棚澤 青路(たなさわ あおじ)

エレガンスグループ4社 代表取締役 会長

棚澤 青路
  • エレガンスグループ4社の代表取締役 会長
  • 認定NPO法人JKSK女性の活力を社会の活力に 会員
  • 公益社団法人 経済同友会 理事
  • 一般社団法人東京キワニスクラブ 理事・副会長(2016年10月から理事・会長)
  • KAE経営道フォーラム 幹事長
  • 現代禅研究所 終身理事
  • 信条は、『我・以外・皆・師』

病気が教えてくれたこと
-あと三ヶ月の命と言われて

それは20代のある晩、突然起こりました。布団で寝ている私の体に、ものすごく重い何かが急に覆いかぶさってくるのを感じました。息もできないような苦しさでした。
最初私は、強盗か何かが押し入り、数人に押さえつけられているのだと思いました。そう信じてしまうほど、圧倒的な力で私は締め付けられていたのです。
やっとのことで、こわごわ目を開くと、誰一人いませんでした。そこにいたのは、茫漠とした夜の闇の中で、全身に汗をかいて荒い呼吸をしている自分だけ。
恐ろしくなって慌てて枕元のライトをつけ、立ち上がろうとした時です。
私は歩けないことに気づきました。そして、私は入院したのです。
私を襲ったのは、現在では「筋無力症」と呼ばれている病気でした。これは、筋肉の著しい疲労によって、日常生活もままならないほど筋力が低下してしまう病気です。
まだ原因はよくわかっていません。十万人に三人と言う難病です。
筋無力症という病名が、当時の医学用語にあったのかどうか、わかりません。そのときは病名どころか、自分自身に何が起こったのかさえ、まったく理解できない状態でした。
入院してしばらくは、検査ばかりの日が続きました。一通り調べ終えた頃のことです。私の枕元で、医師が両親に話しかけている気配を感じました。先生は私には聞こえないだろうと思っていたのでしょうが、私はもうろうとしながらも、その声を聞いてしまったのです。
「お気の毒ですが、あと三ヶ月もてばいいほうでしょう」
入院してからの私は絶望感にとりつかれていました。自分の身体が自分で動かせないことへの苛立ち、怒り、哀しみ、絶望。「もう死んでしまった方がいい」自分でも驚くほどにはっきりと、自分の声が聞こえました。「灰色一色のこの病室で、寝たきりのまま一生を過ごすくらいなら、自殺したほうがましだ」頭に浮かぶのはそんなことばかり。そう、自殺をしなかったのは、自分で体を動かせないから、その術もなかったというだけのことだったのです。ところが、「あと三ヶ月の命」という言葉を耳にしたとたん、自分の中からまったく別の声が聞こえてきました。「生きたい!」「なんとしてでも生きたい!」もう生きられない、と知ったとたん、生きることへの執念というのか、情念というのか、何だかわからない強烈な欲望が泉のごとく湧き出てきたのです。
その直前までの私の世界を支配していた「死への誘惑」は、一瞬にして「生への執着」へと転じたのです。「それっていったい何?」と聞かれても、答えようがありません。自分でもわけがわからないのです。どこにそれほどの生への欲望が眠っていたのかと、我ながら驚きました。でも、その欲望の強さが結局は私を救ってくれたのだと思います。

「生かされている私」がすべきこと

私は何のため生かされたの?
本も読めず、テレビを見ることもできず、面会謝絶を言い渡されながら、私は自分が今、生かされている、その理由はなんだろうと考え続けました。
その頃の私は、毎晩ベッドの中で目を閉じるのが怖くてたまりませんでした。明日は目覚めないかもしれないという、とてつもない不安が襲ってくるからです。そんな不安に襲われるたびに、「このままでは終わりたくない」という思いがふつふつと湧いてきます。
そしてそれは、「生かされた以上、私にはすべき何かがきっとある」という確信へと変わっていきました。そしてある日、「使命感」ともいうべき何かが、私の中で次第に形になっていくのを感じました。
そうだ、私は一人一人の女性をより豊かに、より美しくするためにこの世に生まれてきたんだわ。神の啓示を受けたかのように、はっきりとしたビジョンが浮かんできました。
「女性が社会の中で生き生きと活躍できる場所をつくりたい」という私の思いと、病床で見えてきた「使命感」は、社会に出てからずっと抱いていた問題意識にその原点があったのでしょう。漠然と抱いていたそんな思いが、死の淵をさまよったおかげで、はっきりとした「使命感」となってよみがえってきたのです。

「禅の心」に支えられて
-人生を180度変えた出会い

大病から得た「気づき」そして、それが導いてくれた禅との出会い。
つきつめていえば、この二つが今の私をつくっているといってもいいほどです。私の言動や発想は、おおもとのところに禅の考え方が入っています。けれども、それはもう、どこからどこまでが禅の影響によるものなのか自分ではわかりません。それほど禅は私の生き方と重なっています。きっと、死を宣告されるような経験をさせていただいたことで、禅と出合う前から私は禅的な生き方に近づいていたのでしょう。

今日一日をいかに生きるか

私が好きな禅の言葉に「日日是好日」があります。これは、中国唐代末の高僧・雲門禅師の言葉として現在まで伝えられているものです。
ある日、雲門禅師は悟りを得ようとして修業をしているお弟子さんに、「悟りを得たのち、おまえたちにはどのような働きができるのか」と尋ねました。しかし、まだ悟りを開いていない弟子たちは答えに窮してしまいます。そこで、雲門禅師自身が、「日日是好日」と自問自答されたという話です。
しかしと、弟子たちは考えました。悟ったからといって、毎日毎日が好い日ばかりとはかぎらない。雨の日もあれば風の日もあるではないか。そんな日でも、悟れば日日是好日なのでしょうか、と。雲門禅師の答えはこうです。
「雨の日は雨の降るまま、風の日は風の吹くままで好いではないか。それがみな好日なのだ。好いことがあったり、悲しいことがあったり、嬉しいことがあったりして、それをそのまま己の人生として生きていくということが悟りであり、その人の一生なのだ」
どんな日であっても、一日一日が素晴らしい。それは、私自身の思いそのものでした。
ありのままを肯定し、とらわれのない心で、今日一日を大切に生きる。そんな生き方を説く禅の心は、「毎日を精一杯生きよう」と心に決めた私の魂にぴったりと重なるのです。

人生は全て自分次第
-自分以外のところに原因はない

筋無力症は、何か大きなショックがあった時に起こることが多いと聞いたことがあります。けれども当時の私には、その原因として何一つ思いつくようなことはありませんでした。でも、しばらくあとになってから気づいたことがあります。ひょっとすると私は、病気になって自分の人生に言い訳をしたかったのではないか、ということです。
私は病気になった原因をすべて周りのせいにしていました。みんな他人のせい、いいえ、本当は違います。自分のせい、自分がつくった病気。
健康というのは、健やかな体に康らかな心、と書いて「健体康心」、それを縮めて健康というのだそうです。なるほどな、と思いました。心が健全でなかったら、健康とは言えません。心の問題がすべて体への影響となって現れているというのが、今の私にはわかります。
結局、自分以外のところに原因はないのです。自分の人生、他人のせいにはできないのです。

おわりに
-悔いのない人生を

私は筋無力症の時に、何度かあの世に連れていかされそうになりました。
白いコデマリが美しく咲き乱れる中を宇宙遊泳をするように浮かび、本来無一物となって上がっていく私。とてもいい気分です。でも、もう少しで素晴らしい場所にたどり着けるというところで、私はいつもこの世に引き戻されてきました。
ですから、私は死んでいくのもまた楽だということを体で知っています。
むしろ生まれてくる際の闘いこそ、人間が一生の間に体験する中で、もっとも危険で苦しいものだと聞いたことがあります。そのせいでしょうか、赤ちゃんはみんな泣きながら生まれてきます。笑って生まれてくる赤ちゃんを見たことがありません。誕生という一番大きな苦しみをすでに乗り越え、死んでいくことが苦ではなく楽なのだとしたら、後は不安に思うことは何もないのです。
私は、死んでいくとき自分で「ご臨終です」と言い、棺おけの蓋を自分で開けて入るような最後が望みです。
そのときが来るまでは「一日一生」という心持ちで、一所懸命に生きるだけです。
今日が最後の日だと思ったら、何でもできるのです。
今日一日、そしてまた明日になれば、今日一日。
私の人生、こんなはずではなかったと思い残したくない。最後にありがとうと言える自分でありたい。
その日がやってきたとき、これまで生かされてきた自分の命に感謝できるような生き方をしたい。だから私は、今日一日を一生と思って、一日一日を大切に生きていきたいと思うのです。