佐藤 有里子(さとうゆりこ)

株式会社キャリアリード 代表取締役

佐藤 有里子
  • 株式会社キャリアリード代表 取締役
  • 自身の経験から、多くのお母さんたちに安定した仕事をと考え創業
  • 現在社員24名
  • 久留米、福岡、北九州を拠点に事業、東南アジアへの進出を目指す

生い立ち

1967年8月24日。福岡県久留米市生まれ。父と母は戦時中生まれ。戦後も大変な時代を生き抜き、高度経済成長の中労働者として中卒で(金の卵として)就職し、その後、恋愛結婚をしたそうです。私はその2人の次女として生まれました。ただし双子の女の子でしたので生活が貧しかった両親はとても大変だったと聞いています。私の上には兄がいて3人兄弟です。
父は厳しく、母が外で仕事をすることは許されず、賢い女性ですが家で内職をして僅かでも家計を支え、私たちを育ててくれました。少しでも稼げるように和裁を学び、最後まで教室に行く資金が足りず途中から独学で着物を見て、見よう見まねで縫えるよう努力し、私が小学校へ行く頃には高価な着物をたくさん仕立てる事が出来るようになっていた事を覚えています。ラヂオを聞きながら徹夜で針を持っていた母の姿が今でも目に浮かびます。そんな母を楽にしたくて双子の私たちは小さいころから学校から帰ると台所に立ち、仕事中の母に手順をひとつひとつ聞きながら夕飯の準備をしていました。そのお蔭で今でも料理は得意で大人数の社員の食事を作ることもあります。

夢は保育士、23歳で結婚、幸せな人生のつもりだったが・・・

小さな時より夢は保育士でした。短大の保育課を卒業し保育士になり二十三歳、恋愛で結婚しました。ここまでは人生計画通りでしたが、ここから私の人生は大きな変換を迎えます。女性とは「家内」として生きる事を母の背中を見て育った私。男とは守ってくれる者だとばかり勘違いをし、男の言う事を聞かなければならないと思い違いもありましたので「飲む・打つ・買う」+今で言うDV、そして昭和初期のような生活環境の変化は私にとってどうしても馴染む事が出来ず、24歳で長男出産後、体を崩し入退院を繰り返し命さえ危ない病状の時もありました。このままでは長男を1人残し死んでしまうのではないか、そんな悲しみから2人目の出産を決意します。せめて兄弟を残したいと考えたのです。当時の私の病気はぜんそくの様なものでしたが状況はひどく、大変強い薬を使っていたので、医者から子供を産む事は母子ともにリスクが大きく止められていました。しかし、障害を持った子になろうとも、自分の命が消えたとしても、長男に血の繋がった兄弟を残したい一心でした。

何度も危機を乗り越え、たどり着いた考え、そして起業

入院しながら何度も危機を乗り越え九ケ月になった頃、母体もお腹の赤ちゃんにも酸素が足りない為、帝王切開で下の子を取り出して頂きました。奇跡的に元気な女の子が誕生しました。病院の先生方、看護師さん、母や父の支えがあり叶えることが出来ました。そして病床で私は気が付きました。人生は一度きりである事、両親に喜ばれる人になりたい事、小さくてもいいので役に立てる人になる事が幸せである事、誰かのせいにするのではなく自分の足で立てる事、人生は自分持ちであること。この事に気付いたのが27歳でした。「自立」を「覚悟」した時です。どんな小さな事でも良いので人様の役に立ち両親に産んで良かったと思ってもらえる様、子供達にこの人が母で良かったと思ってもらえる様、生き抜こうと決めた時よりみなぎる様に力が湧き、娘が3歳になると外でパートをして働き始めました。仕事を通して役に立つ事を覚え、プラスαの仕事をいつも心得としました。その結果皆様よりかわいがって頂き、評価を頂き、本社に出張に行かせて頂いたり事業計画書を作る事を任される様になりました。家庭では仕事帰りに保育園に迎えに行き家事をこなし、全て終わってから持ち帰った仕事をこなし勉強をしました。そうしている内に持病も改善していった様に思います。しかし主人の素行は変わらず、ある事をきっかけに34歳で離婚。当時の職場の工場には沢山の母子家庭の母親が働いていましたが生活が大変厳しく、離婚する私にとって他人事ではなく、お母様方の仕事を探し、より良い仕事を作る事を目的として、(有)キャリア・リードを創業しました。2002年、34歳の時です。女性の力を信じ、女性の雇用の会社として私の挑戦が始まりました。今年で会社は15年を迎え、子供達は25歳と23歳になります。起業して今があるのは、志を忘れず働く中、沢山の素晴らしい出会いを頂き、成長する事ができたからです。
どんな時も諦めず考え抜き皆で行動してきた様に思います。またNPOでは、一人親家庭の子供達を中心に支援をずっと行っています。私の心情は、「愛」は感情ではなく「生きる力」である。それを持って常に挑戦する事です。アジアに向けて展開をする計画を持っていますが、このスタイルは変えずに行動あるのみと信じています。現在社員24名、拠点久留米・福岡・北九州。起業した時の苦しみも今では何よりの財産です。これからも私の挑戦は続きます。人生の時間でお会いできた皆様に心より感謝申し上げます。