大澤 かほる(おおさわ かほる)
一般社団法人 日本流行色協会 クリエイティブディレクター
- 東京造形大学彫刻科卒業、就職情報誌営業・市場調査会社を経て現職
- 一般社団法人日本流行色協会(JAFCA)クリエイティブディレクター
- インターカラー 日本代表
- 財団法人日本色彩研究所 評議委員
業務:
先行市場分析(時代背景、ライフスタイル、デザインの潮流、色彩志向、ターゲット分析、等)、色彩志向調査、市場のデザイン&色彩動向リポート、新商品カラーコンセプト作成、カラーディレクション、カラーコーディネーション提案、カラートレンドリポート&セミナー実施、新商品のカラー戦略立案、カラーデザイン評価 等
時代の色彩
私は今、日本流行色協会に所属し、「時代の色彩」を考える仕事をしています。「時代の色彩」とは何か? 一言で言えば時代の気分を色彩に置き換える仕事です。何のためにそのような仕事が必要かというと、5年先10年先、近いところでは1年先に製品化する物を企画、制作、販売する人々が、近い将来に「売れる色」を計画するためです。今、売れている色が来年以降も売れ続けるとは言えないから、色彩動向について予測が必要になるのです。
私たちはまず、今がどのような時代であるかを見極め、この先どのような方向に進むかを考えます。時代が変われば人々の価値観も変わります。技術革新は、人々のライフスタイルを変え、ライフスタイルが変われば、色彩に対する志向も変わります。私たちはその一連の変化を日々探っています。
私がこの仕事についてから30年を越える長い時が過ぎました。80年代の終わりは円高で株高。非常に景気が良く、その景気の良さは中身がないからかバブル景気と呼ばれた、と記憶しています。その頃、ファッションに敏感な人々はデザイナーズブランドの「黒」を好んで着ていました。彼らがあまりに黒ばかり着るので「カラス族」と呼ばれたくらいです。この黒人気はインテリアの色彩にも影響を与え、黒い冷蔵庫まで登場します。冷蔵庫は白物家電と呼ばれ、黒色はタブーとされていたにも関わらず。時代の色彩は、タブーを軽々と超えるのですね。
その間に技術革新が進み20世紀末と言える1998年、アップル社に戻ったスティーブ・ジョブスはiMacを世に放ちます。カラフルでキャンディみたいな質感を持つコンピュータは、「高級な事務機」という価値を「世界をつなぐインテリア商品」に変えました。この頃、樹脂系の発色技術も開発され、半透明でカラフルな素材を使った家庭日用品も増えていました。巷では陽気なイメージの、鮮やかなオレンジ、黄色、黄緑色をまとった若者が街を闊歩しました。デートは”イタメシ”。初めてこの言葉を聞いた時、チャーハンか?と思いましたが、イタリアンレストランで食事をすることでした。イタ飯ブームはオリーブオイルを一般家庭に広めるきっかけになりました。
自動車の色では、シルバー全盛時代を迎えます。塗料と塗装の技術が革新し、これまでとは違う金属調が表現できるようになりました。1997年、ガソリンと電気のハイブリッドで走る車、プリウスが発表されます。2007年iPhone、2010年iPad、革命的なデジタル技術が次々と開発されます。2011年、日本でも電気自動車が発売されるようになりました。
変化のスピードはさらに加速します。干支を数回転した私にとって、デジタル化による生活の変化は目が回るようです。
インクルーシブ
デジタル技術だけではなく、バイオテクノロジーの開発も目覚ましく、脳科学に対する関心も高まります。2010年前後から、腸内細菌が次々と発見され、「脳腸相関」と言う言葉も使われ始めます。15歳過ぎたら脳の成長は止まります……、いやいや、還暦を過ぎても思考回路を鍛えることができますよ。今は、腸内細菌を整えてストレス緩和や良い睡眠、ダイエット……といった脳トレグッズや、健康食品のコマーシャルをよく見かけるようになりました。当たり前とされてきた知識も刻々と塗り替えられ、今日正しいと言われたことが明日は間違いとされるような時代になりました。
新しい情報はSNSを通じてあっという間に世界中に広まります。ネットを通じた情報網は異なる文化の交流を促します。古い慣習に疑問を持つ若者たちが増えます。この10年でインクルーシブ(Inclusive)という言葉がよく使われるようになりました。インクルーシブは「開放的で、すべての人が参加できる」ことをPRする場面でよく使われます。反対語がエクスクルーシブ(Exclusive)で、この言葉は特別な知識階級、特別な地位にある人だけ、などといった、特別な条件を満たす人だけに許され、それ以外の人を排除する時に使われる言葉です。
写真は、10年前、2014年虎ノ門ヒルズにオープンした高級ホテルを取材した際の写真です。内装デザインの考え方は一言で言えば「インクルーシブ」です。ラウンジの床材や家具は無垢の木材で、自然な木目を生かした素材そのままの色です。スツールに使われたチェック柄は、普通の家庭で見かけるような親しみのある柄で、友達の家で、みんなと会話しながら、気軽に楽しくくつろぐ雰囲気を演出しています。ただし、どの家具も非常に質がよく、高価です。以前の高級ホテルの内装は、高価な細工を施し「特別な場所」を演出する、これ見よがしのデザインが多かったのですが、この頃から、さりげなく「親しみ」を表現しながら、その実、非常に高価であるといった「サイレント・ラグジュアリー」が主流になります。
絵を描く
長々と、私の仕事の話をしてしまいました。ここからは、私の人生観についてお話しします。実は、人生観なんて言えるほど確かなものはなく、還暦を過ぎた今でも「流動体」で皆さんにお聞かせするような確固たる人生訓のようなお話しはできませんが、少しだけ話させてください。
私は長野県の諏訪市で山野を駆け巡りながら育ちました。遊び場は今でいう「里山」でした。その後どんどん切り崩されて宅地化されてしまいましたが、当時は、遊びながら毎日何かしら発見していました。自然の中で遊んだことは、私の核になっていると思います。
絵を描くことは子供の頃から好きだったのですが、思春期を迎えるころからキャンバスに向かう時間が長くなりました。今から思えば、成長期の心の揺らぎを、絵を描くことで解消していたのかもしれません。絵を描いていると、時間も空間も、私自身のことでさえ忘れることができました。対象物の色や形を追っているとその世界に没頭することができたからです。それは「陶酔」といえる感覚で、のちに得た知識では、その感覚を「三昧の境地」、または「ゾーンに入る」フロー状態という感覚だったようです。
めぐりあい
今、私がここにいることも、今の仕事に携わるきっかけもすべて「めぐりあい」でした。言い方を変えれば成り行きです。これといった人生設計を持たず、その時出会った人と物ごとに真剣に向き合おうとしてきた結果が今の私です。特に「自分らしさ」を求めたこともなく、人とのめぐり逢いの中を必死で泳いで来た結果が「わたし」になりました。
若い人たちがよく口にする「自分らしい」とは何なのだろうと、最近よく考えます。ようは、ストレスなく存在できる自身の状態、その感覚のことを示す言葉で、決して明らかな自分の色や形があるわけではないと思うのです。「らしさ」はあくまで人と人との関係の中で形作られるものではないかと…。だから、「らしさ」に自らこだわる必要もなければ、逆に誰かから、例えば、「女らしさ」を強要されることもない、もっと自由な「自分」であってよいのではないかと思うのです。
複雑な問題が絡み合う世界情勢、社会動向であるために、温かい人間関係を築くことが難しい時代でもあります。気づかないうちに、真偽が疑わしいSNSなどの情報に簡単に操作されてしまう可能性がある怖い時代です。だからこそ、自分の心眼を研ぎ澄ませて、人と話す時間を大切にしなければならないと思っています。
今日、この場でお話しをさせていただくめぐりあいに感謝しています。また、めぐりあう日がありましたら、その時は是非お声をかけていただけたら、とても幸せです。
それではまた。