坪谷・ニュウエル・郁子(つぼや・ニュウエル・いくこ)

国際バカロレア機構アジア太平洋地区委員、東京インターナショナルスクール代表 他

坪谷ニュウエル郁子
  • 内閣府 教育再生実行会議 委員
  • 国際バカロレア機構 アジア太平洋地区 委員
  • 東京インターナショナルスクール 理事長
  • NPOインターナショナルセカンダリースクール 理事長
  • 株式会社 日本国際教育センター 代表取締役
  • 株式会社 グローバル人材研究所 代表取締役
  • 一般財団法人 世界で生きる教育推進支援財団 代表理事
  • UWC日本協会 理事、札幌開成高等高校 SGH運営指導委員会 委員
  • 山梨学院大学 国際リベラルアーツ学部アドバイザリーボード委員会 委員
  • 高知県教育委員会 グローバル教育推進委員会 委員
  • 岡山大学 大学教育再生加速プログラム評価助言委員会 委員
  • 武蔵野学院大学客員教授、開智国際大学客員教授

生い立ち

私は神奈川県茅ケ崎市にて、公社員の父と専業主婦の母、3歳違いの姉の元、育ちました。教育熱心だった母の影響で、小さい時からピアノ、バレー、家庭教師、琴などたくさんのお稽古ごとに触れさせてもらい、至って恵まれた環境で育ち、両親には大変感謝しております。地元の幼稚園、小学校の後、中学受験を経て国立大学の付属中学、かつてはその附属高校であった系列の県立の高校へ進学しました。勉強熱心で優秀な級友達にも囲まれ、なに不自由のない学生生活であったと思います。いつも母が学校から言われていたことは正義感の強さと、人の面倒ばかりみている、いいかえれば世話焼きということだったと聞いております。
あれは高校2年の冬休みの最後の日でした。とても勉強もでき、友人からの信頼も厚い級友が、電車に飛び込み自殺をしたのです。彼はその当時、楽器のベースを上手に弾き私には難しすぎて理解できなかったジャズの音楽活動をしていました。しかし生徒達全員がレベルの高い大学への進学をめざしている学校でしたので、おそらく彼の中には自分の進みたい道と周囲の期待との狭間の中での葛藤があったのではないか、と推測します。私は彼の死をきっかけに、なんとなく学校生活に息苦しさを感じる様になり色々と考え込む様にようになりました。そして外の世界に飛び出したくなったのです。その当時の私は極めて無知でネットもない時代でしたので、海外と言えばテレビの「わんぱくフリッパーや、「ラッシー」でなじみだった米国しか思い浮かびませんでした。そこで米国の大学を進学先と決めたのです。

米国、帰国、寺小屋の設立

米国では、イリノイ州での勉学,その後、自分の猫のために作った手作りのおもちゃの販売、続いて当時は日本では考えられなかった米国の古着を日本へ輸出する会社をカリフォルニア州で設立し、その会社を3年間経営しました。そして85年にその間に貯めた300万円を持って日本へ帰国しました。その時考えていたのは、「生まれたことは奇跡である。私達は、全ての事象に支えられて生かされている。全ては繋がっている。」そんな事を伝えたいと言う気持ちでした。そこで小さな英語の塾を東京都港区にあるお寺の境内で開校しました。それが私の教育に関わる一歩となりました。

子供の誕生、学校設立

92年と93年に続けて二人の娘に恵まれました。
その頃には、寺小屋も都内に3校となり、1000名の生徒を抱える規模になっており、指導にあたる外国人教員も30名を超える様になっていました。しかし週に1時間、2時間しか生徒達に接することができないことから、もっと生徒達に触れたい、もっと全面的に教育をしたいという気持ちがどんどんと強くなっていきました。そこで思い切って娘達の為に合計6名の生徒で全日制の幼稚園を作りました。そしてその幼稚園が娘達の成長に合わせて小学校、中学校と成長していく結果となりました。今では51カ国から340名の生徒が通う学校です。
さて開校した所、教育理念に賛同して集まってきてくれた生徒達のほとんどが日本に3、4年滞在している駐在の方々の子弟でした。よって生徒達が次にどの国に転校しても学習が継続できるプログラムを採用する必然性が生まれ、色々リサーチした所、出会ったのが現在146カ国に認定校がある全人教育の国際バカロレアのプログラムでした。それ以来、この学校、東京インターナショナルスクールは国際バカロレアの認定校として存在しています。
この学校は、民族性、宗教性の一切ない男女共学、今年度は94%の生徒が日本以外の外国籍をもつ生徒達の学校です。保護者達からは、「この学校があったから日本への赴任を決めた」との嬉しい声も多数寄せられます。しかし都心での校舎、校地の獲得は大変難しく、よって中学2年生までの生徒しか現在受け入れができていません。コミュニティの皆さんの高校まで開校してもらいたい、安心して東京に滞在していたいとの声に答えられる様にもっと努力をしていきたいと思います。
その後、様々な先輩である老舗のインターナショナルスクールとの付き合いの中で学んだのが、発達障害を抱える生徒達の存在でした。特に大学入学の準備が始まる高校1年生の終わりに、2年生に進級できないケースの生徒達が一定数いて教育の継続ができずに困っているという状況がありました。全ての生徒達は教育を受ける権利があると思った私は、高校2、3年生のそういった問題を抱える生徒達を対象にした小さな学校をNPOで設立しました。現在では、37名の中学生と高校生が通学しており、それぞれの個性を伸ばしながらほとんどの生徒が高等教育機関へ進学をしています。ジョージワシントン大学の医学部に進学した生徒もおります。ここの問題は、学校が小さな民家を使用しているため、美術室も音楽室も化学室もない極めて貧しい環境しか生徒達に提供できていないと言うことです。またいじめの問題が表面化してくる小学3年生からの受け入れもいずれは出来れば良いと思っております。

日本の教育との融合

こうして教育や沢山の多民族の人々と関わっていく中で、私自身、日本人の民度の高さへの気づきがありました。誠実で働くことを美徳とし、なにより利他的である。またたとえばほとんどの人がおつりの計算ができ、そして新聞を読めるという事実等は忘れがちですが、それは基礎教育の程度の高さを証明していると思います。そして社会性の活動として、教室を生徒全員で掃除をしたり、給食当番や、放課後のクラブ活動、運動会、文化祭等生徒達が主体となって計画実施する活動を通じて共生の精神と社会性が養われることも徐々に理解をするに至りました。
実の所、日本人のように考え行動できる人達が世界でもっと増えていけば世界はより平和になるのではないか、という思いに至ったのです。しかし一方、東京インターナショナルスクールは毎年、たくさんの日本人の生徒が入学を希望してきます。たぶんに私達の教育、21世紀を生き抜く力、自ら探究する力、多様性を認める力、そしてなにより自分で考えたことを発信する力、しいては学ぶ方法を学ぶ力を評価してくれているのだと思います。そこで日本の学校に通って、日本の教育の良さを学びつつも私達が30年間推進してきた教育を学ぶプログラムを開発して日本の小学校の後に通うカリキュラムをアフタースクールとして子どもたちに2012年より提供をはじめました。最初に入学した生徒達は今年3年生になり、とてもバランスが取れた生徒達に成長してきています。現在は、生徒達が5年生になってから中学3年生までのカリキュラムを開発しており、最終目標は「自分の好きなこと、強みを知り、自分がどの窓から社会貢献をしていきたいか、そのためには世界中のどこでその学びを続けるべきかを自らが選択できる生徒の育成」を目的としております。その子達が、どう成長していくのかが楽しみです。

国際バカロレア、社会活動

下の娘が高校を卒業したのが、2011年です。それまでは、母としての役割がありましたので、基本的に平日の7時には自宅に帰り、週末は子どもたちと一緒にいる、ということを最大限の優先順位としておりました。しかし娘の高校卒業と共に、私がやりたかった社会活動を始めることができるようになりました。まず手がけたのが国際バカロレアの教育を日本に導入する動きです。13年には、国際バカロレアと文科省との間で合意書が結ばれ、18年までには200校の認定校をめざすということが閣議決定されました。その後、卒業生達がどの学部をのぞんでも日本国内で進学ができるように大学の入学審査の門を開ける、プログラムを学習指導要領に読み替える、各校に若干は必要になる外国人教員の免許問題、プログラムが指導できる様になる教員の育成の問題、主としてこの4つの課題を解決するための委員会を文科省と共に立ち上げ、首長に就任して下さった前駐米大使の藤崎先生始め、委員を務めてくださったたくさんの先生方のお陰で無事にこの4つの問題を解決する事ができました。
私は公教育にもっと教育の選択肢を広げることを一つの目標としています。公教育は無料なので、経済格差が教育格差につながらなくするためには、公教育を強くすることが必至だからです。したがって国際バカロレアという世界標準の教育の導入も視野にいれて各都道府県で少なくとも1校の公立校を、と全国の教育委員会にお願いに伺う様になった所、はたと指摘された事がありました。それはプログラムの最終にある12日間に渡る卒業試験の試験代が一人850ドルもかかるという事実でした。
なおかつ大学入学準備コースは、できれば一人1台のパソコンと、数学では関数電卓が必須です。しかしその費用が個人負担となるとどんなに生徒本人が世界標準の教育を受けたいと希望しても、家庭の経済状況により、躊躇してしまう生徒達もいることでしょう。そこでそういった生徒を対象にそれらの費用を補助したり、PCや電卓を貸与する財団をなけなしの私財をはたいて設立しました。今後は、その運動に賛同して下さる皆さんにご協力していただき、生徒達が安心して教育が受けられる様に頑張ります。
またこの度、内閣府の教育再生実行会議の有識者の末席に加えさせていただくことになりました。他と違うことを「駄目なこと」ではなく、これからの日本に必要な「多様な個性」として積極的に認め、受け入れ、その力を最大現に伸ばす学校教育、社会を創造する為の施策を検討することとなります。 例えば発達障害、不登校、外国人生徒などがそれにあたります。 一人でも多くの生徒が幸福を感じられる学校と社会の創造の助けに少しでもお役に立てる様に身を律して頑張る所存です。

最後に

日本の財政基盤が揺らぐ中で、今、教育に対する財源のカットがされようとしています。日本はOECD加盟国の中で、税収に対しての教育にあてられる割合が3.5%と一番低い国です。オランダは20%。50年後の石油枯渇を視野にいれて中東(UAE, サウジアラビア等)は税収の25%、また世界各国がより教育に力を入れようとしている中で、人が資源の日本は少子化を理由に更に財源が減るという方向性が打ち出されています。子どもたちは私達の未来。一番大切なのは未来、ついでは子どもたちへの教育なのではないでしょうか?
人は一般的に、子供を育てている最中は、教育に対して関心があるが、過ぎてしまえば関心がないと言う方がおりました。本当にそうでしょうか?私は、今こそ、全ての大人が立ち上がって、教育の充実こそ必要だとの声をあげていくことができたらと願っております。なぜなら教育は子供を変える力があるからです。ぜひ皆様のお力をお貸し下さい。
これからも『教育は世界を変える』を信じて、誠実に一つずつ出来る事を精一杯やりながら生き切りたいと思います。