三浦 眞(みうら まこと)

公益財団法人日本相撲協会 湊部屋おかみ

三浦 眞
  • 福島県郡山市出身
  • 1997年 埼玉医科大学 大学院卒
  • 2008年 湊部屋継承に伴い、湊部屋のおかみとなる

「ドーン、ドーン」
まるで地響きのような、鉄砲柱(土俵に立てられている丸い柱)を叩く音が一階の稽古場から聞こえてきます。この音を聞きながら、力士9名と家族4名が無事に新しい朝を迎えられたことに感謝をし、私の一日は始まります。
毎日が賑やかで、想定外の問題もしばしば起こりますが、世界中にたった44人しかいない相撲部屋のおかみとして、その幸せをかみしめながら、日々楽しく過ごしています。

湊部屋

両親の教え

私は、精神科医の両親のもとで育ち、姉が医学部に進学したことから自然と医学の道を志すようになりました。両親は、日々患者さんのために奔走し、忙しい毎日ではありましたが、可能な限り家族全員で食卓を囲み、一日にあった出来事を話しながら共に過ごすことが日課となっていました。「勉強しなさい」と言われたことは一度もなく、ただ、「今、一番大切なことは何かを考えなさい」と繰り返し教えられ、言い換えれば、選択の自由を与えられていたことにはなるものの、幼い子供の判断は得てして間違うことも多く、たくさんの失敗もしました。それでも、失敗は当たり前と叱られることもなく、打開策と、次はどうすべきかを一緒に考えてもらえたことで、親はいつも自分の味方であると実感することができました。成長に合わせ、選択の自由には責任が伴うことも教わりましたが、たくさんの成功と失敗の経験こそが、その後の私の人生に大きな影響を及ぼしたと思っています。

人生の転機

結婚当初、引退と同時に夫(元湊富士、現湊親方)が親方になることは分かっていましたが、15年前のある日、部屋を継承したいと聞かされた時は、まさに耳を疑いました。私は常勤医として老人ホームに勤務をしていましたし、子供達も幼かったため、生活が180度変わってしまうことに不安を感じたからです。当初私は大反対をしましたが、冷静になると、私が一番考えるべきことは部屋に所属している力士達の今後であり、医師としての自分を貫くことは単なるわがままであると考えるようになりました。未だに「すごい決断をしましたね」と周囲から言われることがありますが、私としてはその時に一番大切なことを選択した結果ですので、今も全く後悔はしていません。

湊部屋
湊部屋

おかみとなって

相撲部屋のおかみの役割とは、ひと言で言えば、大家族のお母さんであると思います。それぞれのご家庭で大切に育てていただいたお子さんを、思春期という大事な時期にお預かりするのですから、その責任は重大ですし、どのように接すれば良いのかと悩むことも度々あります。それでも、私なりにいつも心に留め、自分に言い聞かせていることが2つあり、折に触れその原点に立ち返ることにしています。
その1つ目は、「あれ?」という違和感を大事にすることです。
すれ違った時に、昨日と歩き方が違ってはいないか、テーピングが増えていないか、少し言葉を交わした時、その表情に心の変化が見えないか、こういったほんの少しの違和感がその後の大きな問題に発展することも少なくないからです。
一方、良い意味での違和感、その子自身が苦難や葛藤を乗り越えて成長が感じられた時の違和感はとても嬉しいもので、それを認めて褒めることも大事な役目であると思っています。
2つ目は、「間違ったことをした時、叱る」
基準は、「私の感情ではなく、社会に出た時に許されるのかどうかを判断すること」です。同年代のお子さんが、高校、大学と進学をし、その中で学ぶ社会性というものが、“相撲”という限られた世界の中で過ごすと少し偏ってしまうこともあるかもしれません。それを正すことで、社会に順応し目配り気配りのできる大人になって欲しいと思うからこそ、言葉を選び、時には厳しく注意をしていく必要があると考えています。
とはいえ、努力に結果が伴わず引退を考えていると察した時ほど、おかみとしての無力さを感じることはありません。親方にすぐに話そうか、さりげなく声を掛けようか、何を言おうかと、一日中考えあぐねますが、結局のところただ黙って見守るしかできないこともあります。それでも、いつも真正面から向き合い、一緒に笑い、一緒に泣き、卒業の日を迎えるその日まで共に人生を歩めることにこそ感謝しています。いつの日か、力士たちが自分の人生を振り返った時に「湊部屋にいた数年間は無駄ではなかった」と思ってもらえたとしたら、おかみとして何よりの幸せであると思っています。

湊部屋

今後の人生

おかみになってあっという間に14年が過ぎ、当時7歳だった長女、3歳だった長男もすっかり大きくなりました。私の子育ては、周りのたくさんの方々のお力をお借りしなければできませんでしたし、その一方、子供達に対しては反省と後悔がたくさんあります。力士を預かったまま海外旅行に行くこともできませんでしたし、国内の旅行でさえ、問題が生じた時のことを想定し近隣で2泊3日に制限していました。それでも、子どもたちが学校から帰って来た時に、たくさんの人から「お帰り」と声をかけてもらえることの幸せ、日本全国におじいちゃんおばあちゃんと呼べる方がたくさんのがいることの喜び、そして何より他人同士ながら、いつもお互いのことを思いやり、一喜一憂できる環境に育ったことがいかに素晴らしいものであったのかをいつの日か気付いてくれることと信じています。
今は、夫婦だけで食事をしていても、旅行に行っても話の中心は力士と子供達のことばかりです。定年まで、あと10年しかありませんが、これからもただ走り続ける日々となることでしょう。
それまでには、またたくさんの選択を迫られるかもしれませんが、それでも、私がすべきことは、「今、一番大切なことは何か」を考えるだけのことです。親方と力を合わせ、力士と家族の幸せを願い、一瞬一瞬を大切に、これからも時を紡いでいきたいと思っています。