治部 れんげ(じぶ れんげ)

昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員・同大学女性文化研究所特別研究員、Toshima&Associates副代表

  • 昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員・同大学女性文化研究所特別研究員
  • Toshima & Associates 副代表
  • 1997年一橋大学法学部卒
  • 1997年より2013年4月まで、新聞社系出版社で経済誌の記者を務め、2006年~2007年、ミシガン大学フルブライト客員研究員。
  • アメリカ共働き子育て夫婦の先進事例を調査しまとめた。

自己紹介

私は今、この原稿を書いている2014年7月7日現在、40歳です。大学の同級生だった夫と、6歳の男の子、2歳の女の子の4人で暮らしています。
仕事はフリーランスの経済ジャーナリストで、いくつかの経済メディア(日経DUAL、東洋経済オンライン、現代ビジネス)に連載を持ち、働く女性、共働き子育て、教育、夫婦関係について書いています。また、昭和女子大学の現代ビジネス研究所に研究員として所属し、様々な調査・研究プロジェクトに携わっています。その他に国際協力NGOで広報コンサルティングをしたり、金融マンと一緒に女性向けのコンテンツ開発などをしています。
ここでは、私が働き続けるに至った理由や、そうした意思決定に影響を与えた人との関わりについて書きたいと思います。

学生の頃は働くことに消極的

働く女性が増えたとはいえ、大多数の日本女性は、出産したら仕事を辞めていますから、私のように、仕事を続けている女性は、珍しがられることも多いです。そんな理由から、よく、女子大生向けにキャリアや家庭生活についてお話させていただくことがあります。
一番驚かれるのは、大学生の頃、私が働くことに消極的だった、ということです。40すぎまで仕事をしているので「キャリア志向」と思われるようですが、20代の頃は「働きたくない」と思っていました。企業というのは今でいう「ブラック企業」ばかりなのではと、思っていたので働くのがこわかったのです。

良い上司に培われたモチベーション

実際の企業社会は、もちろん、そんなことはありませんでした。「会社のおじさんは意外とやさしかった」ためです。これも大学生向けに話をすると、反応が良い話題です。大学を卒業して入社したのは、経済系の出版社でした。ここに16年間在籍し、経済誌の記者・編集者として仕事をしてきました。
最初の上司はコーチングが得意で「治部さんは、何がやりたいの?」と、ことあるごとに尋ねられました。出版社に入ったのは雑誌や本が好きという、漠然とした理由からで、特にこれと言える目標がなかった23歳の私に、上司は飽きずに同じ質問を繰り返しました。「きみはどう思う?」「どうしたい?」と。
おかげで入社3年目くらいには「自分はこういう企画をやりたい」と提案をしたり、他の人とは違う取材先を見つけてくるようなこともできるようになりました。この頃から、仕事が面白くなり、働いて得られる収入で自活する喜びを覚えたと言えます。
この後もずっと、会社の中では何人もの「良い男性上司」に出会いました。彼らは仕事で色んなアドバイスをしてくれたり、アイデアだけで実現性の薄い私の出した企画に的確なコメントをしてくれたり、落ち込んでいる時は話を聞いてくれるなど、総じて親切で面倒見が良い人たちでした。

理屈より体験が大事な「女性のキャリア」

よく、日本は「男性社会」だと言われます。特に日本の企業社会は、女性管理職が少ないことから海外から批判されることが多いです。これ自体は克服すべき課題だと思いますが、私自身は、時間を惜しんで指導してくれた男性上司たち、先輩たちの真面目で理想主義的な態度から多くを学びました。
今も自分が仕事を続けているのは、ここで培われた基盤によるところが大きいです。自分の経験から、たとえ若いころに明確なキャリア意識がなくても、いったん始めた仕事の面白さを知れば、女性も仕事を続けると思います。大事なのは体験や接する人ということです。逆に「女性も仕事を続けるべき」と頭で思っていても、結婚早々に辞めてしまう人は、良い体験が欠けているのかもしれません。また、配偶者の影響も大きいです。わが家は後に述べるように、憲法前文がきっかけで知り合った対等夫婦なので、私が家庭に入るという選択肢は最初からあり得ませんでした。

転機になったフルブライト留学

私の仕事における最大の転機は、2006年にフルブライト・ジャーナリスト・プログラムでアメリカに留学したことです。ミシガン大学女性教育センターに1年間、客員研究員として所属し、アメリカの働く親について文献調査とインタビューを行い、英文の報告書と日本語の本にまとめました。テーマは「アメリカ男性の家事育児参加とそれが妻のキャリアに与える影響」でした。
ちょうどこの頃、日本は人口減少が始まり、女性活用と少子化対策をセットで進める必要がある、と私は感じていました。日本の財政状況を考え、北欧のような「大きな政府」が現時点ではあまり現実的ではないことから、アメリカ型の「小さな政府」からも、学ぶところがあるだろう、と考えました。アメリカは先進国では珍しく出生率が高く、管理職に占める女性割合は50%を超えています。政府に頼らずいかにして、女性の社会進出と出生率の維持が可能なのか。この点に関心がありました。

アメリカ行きを決めたもう一つの理由はプライベートなものでした。大学時代から付き合っていた夫が、2000年から留学していたのです。研究者を目指していた彼は博士号取得を目的に留学していました。私は当時、26歳。まだまだやりたい仕事があるからと、一緒については行かず、東京に残りました。
周囲の人からは、結婚適齢期なのにパートナーと離れていいのか、と言われましたが、私も彼(今の夫)も、お互い自分のキャリアを追求するのは当然と考えていました。もし、夫が「女性は男性の仕事をサポートすべき。ついてくるのが当然」という考えの持ち主だったら…。たぶん私はそういう男性とはお付き合いしないと思いますが、私の人生は相当に違うものになっていたことでしょう。
夫と出会ったのは大学1年生の時で、交際のきっかけは、日本国憲法前文を暗唱できたことでした。民主主義や自由、理想を重んじる価値観を共有していたからこそ、6年間にわたる日米遠距離交際が続いたのだと思います。アメリカ留学中の1年間は、いわば長い新婚旅行のような感じで楽しく過ごしました。

少し話が逸れましたが、アメリカ留学で自分が得たものは何だったのか。帰国してすでに7年が経ちましたが、一言で言えば意識の変化だったと思います。勤務先を休職し、フルブライトからの奨学金で生活。取材経費は自分で払い、名刺も会社のものではなく大学のものを自分で作って使っていました。日本ではそれなりに名の通った出版社にいたので、取材申し込みをする時も話が簡単でしたが、留学中は取材趣旨をいちから説明しなくてはいけません。
後から考えると、この経験はとてもよかったと思います。「会社にアサインされた仕事」ではなく「自発的に取り組む仕事」と向き合うことで「自分の仕事は会社ではなく自分に帰属する」という意識を持つようになりました。アメリカで取材した内容をもとに本を書き、それがきっかけで講演をしたり、個人ベースでの仕事が増えてきました。そんなわけで、帰国後6年ほど経ってから、独立して仕事を始めた時は、気持ちの上ではものすごく自然な感じがありました。

30代以降、私生活で起きた変化

留学から戻った2007年夏以降、私生活ではいくつか大きな変化がありました。第一に妊娠したこと。予想以上にひどいつわりに2カ月近く悩まされ、生まれて始めて、体が思うように動かない大変さを味わいました。第二に夫が日本の大学に就職して帰国したこと。6年間の遠距離、1年間の同居、半年間の日米遠距離を経て、再び同居するようになり今に至ります。第三に出産と育児です。これは、効率一辺倒で「男性と変わらない」という認識だった私の行動様式を大きく変えたと思います。

多くの先輩方が言われているように、子どもは不思議で、とても喜ばしい存在です。赤ちゃんの時のふわふわした感触、授乳やオムツ換えで睡眠不足が続いた日々。話ができるようになって面白くなる一方、だだこねがひどくて1つ1つの行動がゆっくりになる時期。育児経験を通じて感じたのは、自分の子ども時代の経験を子育て期に活用している、ということです。逆に、これまでやらなかったことを育児がきっかけでやるようになることもあります。
例えば童謡。子どもが歌っているのと同じ歌を、自分も幼稚園で習ったことを思い出した時には驚きと感動を覚えます。それから絵本。私も夫も本が好きなので良いなと思ったものを次々買ってくるのですが「これ、子どもの時に読んでもらった…」と思い出すと、何とも不思議なタイムスリップの気分になります。DVDでアニメ『赤毛のアン』や『トム・ソーヤーの冒険』を見るのも、子ども時代を思い出す楽しいひと時です。それまでろくにしなかった料理を、子どものためにやるようになったことも大きな変化です。「餃子100個」作ることになるなんて、予想もしませんでした。

子どもには「根拠なき楽観」を持ってほしい

ところで、32歳で妊娠、33歳で出産するまで、仕事中心だった自分が、気持ちの上では比較的スムーズに「母親業」を始めることができたのは、自分が親にかわいがられた記憶が、しっかりストックしてあったから、だと思います。
夕方、忙しく食事の支度をしていると、トイレットペーパーを全部巻き出してしまった娘がきゃーきゃー騒ぎ、お茶を飲んでいたカップをひっくり返してしまった息子がせっせと床を拭きながら、二次被害を生み出す…幼児との生活は、こんな混乱が当たり前。「まあ、いいか。面白いし。今だけだし」と思う時、楽天的で前向きな母から何かを受け継いでいることを感じます。

願わくば、子ども達が将来、何らかの困難にぶつかった時「たぶん、大丈夫」と思える根拠なき楽観を持ってくれるように。その基盤には愛情がもたらす自己効力感だと思います。今はできる限りの愛情を、夫ともに注ぎ込みたいと思っています。

「稼ぐ妻・育てる夫」勁草書房