萩の ゆき(はぎの ゆき)

のがし研究所

萩の ゆき(はぎの ゆき)氏

能登の里山暮らしを起点にしながら、子育て、デザイン仕事、集落の昔ながらの暮らしのフィールドワーク、環境教育活動などをしてきました。
それらをまるっと詰め込んで、和菓子店「の菓子」の暖簾を上げました。

季節の菓子

50肩プロジェクト

年と共に節目や潮時と感じる時がある。会社員のように定年があるわけではないので、なんとなく体力やこころの声が聞こえてきて「次行こう!」となる。現在進行形なのが「50肩プロジェクト」。「50歳から肩書きを一つ増やそう」と勝手に始めたこと。40代の頃にやってきたことや、そのスキル、人脈などを活用しながら、視点や切り口を変えて、全く新しい肩書で「自分を生まれ変わらせる」プロジェクトだ。気がつけばシニアグラス常用、「できれば白髪は染めずグレーヘアーで貫いてみたい。」というお年頃。0から1を生み出すのはものすごくハードルが高いけれど、「お洒落なイタリアンの一皿が、実はおせち料理の残りの一品から!」みたいなことならできそうだ。

そうなると、まずは自分の過去10年の「棚卸し」。

1. デザイナーとして

能登の里山里海を中心とした農林水産物の商品開発に携わってきた。現場で取材をして写真を撮って、文章を書いて、ロゴやパンフレット、パッケージのデザインをする。レシピを考えたり、展示会場に出向き設営まですることもある。田舎だし、「限られた予算の中で、何でもやらないと回らない。」というのもある。けれども美しい自然の恵みに出会えたり、生産者さん達の熱い想いや古くから伝承されてきたモノゴトの深さに触れると、そこにあるのは単なる商品やクライアントという対象物ではなくなり、「もっと学びたい」「本質を伝えたい」という気持ちが湧いてくるからだ。
揚浜塩田の塩、どんぐりから森を育てて焼いた炭、漆の実からとった木蝋の和蝋燭、杉樽で二年寝かせた本醸造醤油などなど。どれをとっても自然に寄り添い、手間ひまを惜しまないものばかり。塩、炭などで生業を立てながら、人と自然が共生できる里山里海の循環型ライフスタイルのお手本でもある。一方で手間ひまに「見合った対価」を得ることの難しさを乗り越えようと、作り手さんと伴走してきた10年だった。「50肩」でも引き続き、つくる側と食べる側の「価値の受け渡し方」についてデザインしていきたい。

デザイン事例

2. ライフスタイルの提案として

2004年我が家はアメリカから能登へ移住した。日本の原風景と呼ばれる里山集落で、「まるやま」と呼ばれる丘の近くだ。2010年から自宅を月に一度、住み開きして、土地に根ざした学びの場「まるやま組」という会を主宰してきた。老若男女様々なバックグラウンドの人が交流し、学び合うサロン的な集まりだ。グローバリズムの弊害で様々な環境問題などが引き起こされている現代社会。土地に根差した知恵が「持続可能なライフスタイルのヒントになるのでは?」と一緒に模索してきた。

まるやま組活動

主に力を入れていたのは2つの知恵の蓄積。お祭りのご馳走や保存食のおいしさに惹かれて、集落のばあちゃん達に教えてもらった伝統的な暮らしの知恵。もう一つは、金沢大学の生態学者伊藤浩二さんと毎月植物のモニタリングをして環境省に送り、いつどこにどんな花が咲くのかという科学の知恵。その両方を暮らしの中で活かして豊かに暮らす取り組みも行った。

生物多様性アクション大賞

活動で得た伝統や科学の知恵を、地域の次世代の子供たちに届けるために、学校で出前授業を行うプロジェクトでは、国連大学サステナビリティ高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットと協働した。 (https://ouik.unu.edu/news/2228
報告書はこちら
https://ouik.unu.edu/wp-content/uploads/red-data-cook-book-20201016.pdf

一方で「昔の知恵や身近な自然にどれくらい価値があるのか?」と言われたら、持続可能なライフスタイルの提案という責任の伴わない枠の中では答えが出しきれていない気がした。「50肩」では具体的にそれらの知恵を活かした生業に取り組んでみる。正解はないにせよ「もがく背中」を一事例として参考にしてもらえれば嬉しい。

3. コラムニストとして

雑誌や新聞など声をかけていただいて「里山暮らし」的なことを書いてきた。本当に拙くて後から読み返すのもお恥ずかしい限りなのだが。振り返って自分で何を書きたかったのだろうと思い返すと一つのイメージが浮かぶ。google earthのような3Dの地図がある。そこには我が家や、まるやま、お米を買わせてもらう農家さんの田んぼ、美味しい山清水、などここの暮らしが見える。スマートフォンの画面のようにピンチアウトすると田んぼのおたまじゃくしや畔の小豆の黄色い花も拡大画像で見える。私の体は宙に浮いていて、体の真ん中の軸がまるやまの中心と重なって貫かれている。すると自分の体のおへその下のあたりにぐっと重く温かな石があるような気がしてくる。スピリチュアルという類でもなく、梅干しを見ただけで唾液が出るとか、「パブロフの犬」の条件反射みたいなものかもしれない。何度も歩いて自然を五感で焼き付けて備わった感覚なのか、はたまた自然の一部となりたい願望なのか、自分でも解らない。ただ東京や他の都市では自分の体と土地にそんなつながりを感じたことはない。
「書くこと」で自分を俯瞰したり、定点観測しながら自分の立ち位置を確認する作業。「50肩」ではまるやまに軸足を置きながら、菓子とのつながりと広がりを綴ってみたい。

4. 小豆の自給自足

十年前、集落のばあちゃんたちから小豆の種を分けてもらった。「小豆はね、ネムノキの花が咲く頃までに、畔に三粒ずつ蒔くんやよ。一粒目は虫が食べても、二粒目は鳥がついばんでも、三粒目は人の口に入るから。」「人は自然の一部」ということを改めて思い知らされた先人の一言だ。裏山から湧いた山清水が田んぼに流れ、お米ができる。田のすぐ横にある畔の小豆と一緒に蒸せば赤飯やぼた餅になる。小豆の赤い色は邪気を払うおめでたいものとして、古来から人生の節目に食されてきた。

畔豆のある風景

1966年東京生まれの私は、高度経済成長時代とともに子供時代を過ごした。女性の社会進出も目覚しく、小学生の頃から「男女同権」が当たり前だった。高校は日本における女子高等教育の開拓者成瀬仁蔵氏創立の日本女子大学附属高校に通った。青踏の「原始、女性は実に太陽であった」という言葉で有名な女性解放運動の平塚らいてうなど先人の残した校風の中で育った。大学では家政学部で住居学を専攻した。当時先生や学生の中には「女子大の住居学は東大や早稲田などの建築学科に対して劣っている。男と同じように会社に入り建築士となるのがゴール」というような気運があった。先生方もシングルだったり、結婚しても子供は作らない、モノクロのスーツに身を包んだキャリアウーマンというライフスタイルが主流だった。「女を否定して生きる」ような感じに違和感を感じる自分がいた。
その後結婚し、建築家の夫の留学でアメリカに移住した。現地の女性たちが権利を主張し、自ら選び勝ち取っていく生き方にもたくさんのものを学んだ。しかしどこか自分の魂の奥底で西洋の考え方がしっくりこないとも感じた
一見、古くて封建的とみられる能登里山の人々暮らしの中には、和を尊重し、人間は自然の一部であるという考え方が残っている。戦後西洋の合理主義によって切り捨てられた学校では教えてくれない「土地に根差した学び」の中には「人が人として慎ましく」「自然に分相応に暮らす」ための知恵が詰まっていると感じた。そのことを「小豆のある暮らし」を一例にしながら「50肩」で多くの人に共感してもらえるようにしたい。

ナリワイとしての菓子

新たな肩書は和菓子屋店主である。
屋号は、「の菓子」。和菓子に対する造語だ。
「の菓子」の「の」は3つの「の」
「能」登の風土に根ざした菓子
「農」の風景につながる菓子
「野」山の恵みを活かした菓子

nogashi concept

ざっくりいうと小豆の6次産業化。原材料の小豆や大豆を栽培→1次産業、和菓子に加工→2次産業、店舗、カフェで販売→3次産業を掛け合わせての6次産業。文字で書くと大掛かりに見えるが、以前から自給用に育てていた小豆を自宅を改装して製造・販売するというとても小さな起業だ。
なぜ和菓子屋に?には様々な理由が絡み合う。。炭火で炊いた美味しいあんこの味を伝えたい、美しい和菓子の文化を残したい、季節の暦を大切に、在来種の種を絶やさない、家の前の畑を耕作放棄地にしたくない、収穫や選別など地元に小さな仕事を、畑作業で健康維持……などなど。
最近テレビや新聞でも目にするようになったSDGs(持続可能な開発目標)は貧困や飢餓といった問題から、働きがいや経済成長、気候変動に至るまで、21世紀の世界が抱える課題を包括的に挙げている。それぞれの課題は複雑で、あちらを立てればこちらが立たないというトレードオフ状態で解決は一筋縄ではいかない。
小さい事業だからこそ、SDGsのような大きな目標を掲げるのは大切だと思う。手のひらの小さな豆粒から、つつましいけれど人らしい未来が紡げるように。
全国津々浦々、有名な和菓子どころは数あれど、まずはここにしかない美味しい、only 餡を目指そう。

素のままで、我がままで、

Water 集落の美味しい山水を活用
Enargy 炭火と珪藻土のカマドで餡を炊く

餡は和菓子の主要な原料だが、今では人件費の削減による分業などから和菓子屋さんでも自家製餡を作るところは減少している。また原料の小豆の高騰が進み、国産を使うことが難しくなっている。ましてやオーガニックとなると極めて貴重だ。昔は当たり前だった、湧水と地元の炭を使いかまどで炊く“ばあちゃんのあんこ”が、今では贅沢なあんこになってしまった。以下のような点に留意しながら「の菓子」の製造をしている。
一方で、製造販売の事業の経験がなかったので、石川県里山創生ファンドや輪島市新規起業者向けの補助金を活用して、京都の和菓子屋さんでの短期修行、加工場の設備投資などを行うことができた。

  • 品種:集落の在来小豆、能登大納言、白小豆、赤豌豆、青大豆、黒豆
  • 栽培方法:農薬、化学肥料不使用(10年)
  • 圃場: 自然栽培米の田んぼの畔、耕作放棄地
  • 燃料(餡炊き):炭(大野製炭工場)
  • 調理器具:珪藻土かまど(能登燃焼工業)、銅鍋
  • 使用する水:山清水(三井町市ノ坂、飲用適)
  • 作業:全て手作り
  • 渋切り*:可能な限りなし
  • 原料豆の保管:氷温庫
  • 添加物・保存料:なし

*渋きり あずきを水からゆでて沸騰させ、渋味を抜くために、ゆで知るを捨てること。

栽培の様子
栽培の様子
栽培の様子
栽培の様子

懐かしいのに、あたらしい

和菓子にも団子やおはぎのようなおやつ、練り切りや薯蕷饅頭のような上生菓子、神様にお供えする餅など色々な種類がある。中でも茶道に使われる菓子は洋菓子と違い、季節感に則して形や色合いなどの意匠、美しい言葉を選んだ菓銘などの取り合わせを楽しむ日本ならではの文化が素晴らしい。一方で現代の菓子では見た目や日持ちを追求するために、着色料や添加物も多用されている。古来、菓子の原点は山の木の実や果物だった。格式や決まり事にとらわれず、この土地にある季節感や土着の農耕文化などを取り入れたい。

まるやまに自生する有用植物

  • 餅草:ハハコグサ、ヨモギ、オヤマボクチ
  • 葉包み:サクラ、サルトリイバラ、ホオバ、ミョウガ、クマイザサ、カサスゲ
  • 花:スミレ、サクラ、ウワミズザクラ、
  • 果実:ウメ、アンズ、サルナシ、ヤマグワ、グミ、ナツハゼ、ミヤマガマズミ、エビヅル、ヤブツルアズキ
  • 木の実:シバグリ、オニグルミ、カヤ
  • 海藻:テングサ、エゴ
  • 菓子切り:オオバクロモジ、ヤマハギ、サルトリイバラ、クリ
  • 懐敷:クマイザサ、アテ(能登ひば)、オオイワカガミ、ユズリハ

農事暦

  • 4~5月草刈り、畝立て
  • 6月大豆苗づくり
  • 7月小豆播種、大豆摘芯
  • 8~9月草刈り
  • 10月収穫、ハザ干し
  • 11月脱粒
  • 12月選別、保管
の菓子暦

よりそいと共感

従来ならば顧客は商品に対して払った対価を要求するというのが当然のことだった。以下のような不便は訪問先の作り手からは、なかなか顧客に言いづらいことだったと思う。

  • 菓子の販売は予約制で受注生産
  • 限定数しか作れない
  • 直前のキャンセルを受け付けていない
  • 容器や紙袋持参

しかし菓子のできる背景として、季節ごとの小豆農事暦や野生の木の実を収穫する様子をSNSで発信したり、里山を散策しながら野点を楽しむツアーなども行った。すると訪れてくれるお客さんたちは、多少不便なことがあっても、身内のようにおもってくれる。「エシカル・ツーリズム」という、「旅先に敬意と思いやりをもって接し、小さな恩返しをして帰ってくる新しい旅の形」があるという。

「菓子の背景」を知ることで、少しだけ距離感が近くなり、ジブンゴトになる。お互いが手渡しするような感じで双方から自然と「ありがとう」となる。客が上で作り手が下というような経済的に従属的な雰囲気がなく、フェアなのが気持ちいい。

Nogashi trail

コロナ禍や冬の積雪が重なり、対面の直販で受け取りに来ていただくのが難しくなり、期間限定で通販サイトを開いた。最初はオンラインのshoppingだけの繋がりを懸念した。しかし自宅生活の中でお茶の時間を楽しまれる写真や、「自然を感じられて癒された」などの投稿をいただいた。見ず知らずのお客様でも共感する「同志」や広報もしてくれる「アン(餡)バサダー」にもなってくれた。モノとカネの交換の関係だけでなく、そこには温かな何かが通っていた。こんなに僻地にいるのに世界は思ったより小さく、想いのある人とは近くなれるものだと感じた。

豆を蒔いて、収穫して、餡を炊いて、菓子を作る。
食べたら菓子はなくなるけれど、
また豆を蒔けば、次の年がはじまり、
「小豆のある暮らし」が次の世代につながる。

あんこはつづくよ、いつまでも you-tubeチャンネル