渕上 陽子(ふちがみ ようこ) 

第二東京弁護士会所属 弁護士

プロフィール 
東京都出身 
2000年 福岡県で弁護士登録 
2010年 東京都内の法律事務所に移籍 
2022年 渋谷で「美竹やさか法律事務所」開所 
2024年 弁護士法人渕上陽子設立 

NHK連続テレビ小説「虎に翼」の影響で、女性弁護士に興味を持たれた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。弁護士の仕事については、ドラマや小説である程度イメージもお持ちだと思いますので、今回は、私が弁護士を目指した理由や、今の思いなどを中心に綴ってみたいと思います。 

作品«当時»の生活に興味

突然ですが、弁護士になろうとする人について、どんなイメージがありますか? “神童”、“法律が好き”、“法学部出身”、そんな感じ? 
もちろん、私はそのどれにも当てはまりません。 
私はもともと大変な内弁慶。中学生の頃まで授業中に手を挙げて発言するなどあり得ず、下を向いて「私に当ててくれるな」と先生に強く念を送っていました。その一方で、小学校高学年で通った塾の往復の電車内で、友達と一緒にいるときは友達に、そうでないときは一人で(?)、古典落語の本を、落語家の真似をして声色を変えて読むという、かなり大胆、というか不気味なことをしていました。 
中学から都心の女子校に進学しましたが、その頃から時代劇にはまり、学校から全速力で自宅に帰ってテレビで時代劇の再放送を見る、授業中にはこっそり時代劇の脚本を書き休み時間に友人たちと演じる、学園祭ではパソコンで自作したRPG「水戸黄門ゲーム」を展示する、といったオタク的生活を満喫していました。 
そうそう、中学3年生の夏に、宿題のレポートのために訪れた博物館で、葛飾北斎の『隅田川両岸一覧』という浮世絵版画との運命的な出会いもありました。舟に乗ったり、茶店で寛いだり、岸辺を歩く人々の姿があまりにも楽しそうで、この日から、浮世絵、中でも当時の人々の姿が描かれたものが大好きになり、学校帰りに神保町の浮世絵専門店に通うようになりました。実際にその絵の中に入って過ごすことを夢見て、江戸川乱歩の『押絵と旅する男』を読んだ際は、念願叶って絵の中に入れた“兄”に本気で嫉妬しました(笑)。 
もっとも、好きな時代は江戸に限らず、例えば宮中の楽しそうな生活や人間模様が描かれた『枕草子』なども大、大、大好きでした。 
全然違うジャンルですが、実はサンリオも好きで、某キャラクターのコレクターです(今も)。 

文化・芸術系を専攻

中学で配布されたアンケートに「あなたの将来の夢は何ですか」という質問がありました。絞りきれず、用紙の余白を利用して40個も書いた私。ちなみに、その中に弁護士はありません。 
高校生の頃、親戚の影響で精神科医になろうと医学部を目指すのですが、授業でやったネズミの解剖によるショックから、あっけなく断念。 
結局、大学では、文化・芸術系の学科(表象文化論)に進学することとなります。1学年8名の小さな科でしたが、映画評論家の蓮實重彦氏、演劇評論家の渡辺保氏、モーツアルト研究家の海老沢敏氏、他にも、松浦寿輝氏、小林康夫氏、野村萬斎(当時は、野村武)氏など、各分野の第一人者が指導してくださる世界一贅沢な環境だったと思います。当時の私は、アーチェリー部に身を置きつつも、お相撲さんの追っかけをしたり、浮世絵や歌舞伎を観たりと、楽しい日々を過ごしていました。 
が、バブルもはじけ就職状況も厳しくなる中、気が付けば、周囲は会社訪問をしたり、資格試験の勉強を真面目にしていました。私も、遅まきながら、大学に残って研究をするか、あるいは展覧会などイベントを誘致することの多い某番組製作会社に就職するか悩んだのですが、何となくしっくりこず、とりあえず、卒論に取り組みながら、ゆっくり将来について考えるという方針としました。 
ちなみに、卒論のテーマは『相撲と空間』。能楽研究者の松岡心平先生のご指導の下、相撲や浮世絵の世界に浸れる至福の時間でした。 

私の適性って何だろう?

さて、どうせ将来また浮世絵の研究に戻るだろうが、それまで何をしよう? 自分には何が向いているのか。 
私が好きな落語や時代劇、浮世絵……そこに共通するのは、愛すべき人たちと、そんな人たちが営む穏やかな明るい暮らしでした。でも、実は、今の時代の人々-例えば、車窓から眺めるアパートに住む人々や、NHK番組『小さな旅』に登場する人々など-の暮らしに思いを馳せることも、とても好きでした。 
また、私は幼い頃から、古くからあるドールハウス、仕掛け絵本、立版古(立体のペーパークラフト)なども好きで、海外でも博物館によく足を運びました。これも、単なるミニチュアには全く興味がなく、家の中や町、店など当時の人々が会話する姿が目に浮かぶようなタイプのものに心揺さぶられていました。 
手塚治虫の『ユニコ』(可愛いユニコーンの子どもが、行く先々で出会う人を幸せにするという物語で、私の心のバイブル)の影響もあり、市井に暮らす人々の穏やかな生活を守れるために働くことが自分には合っているのではないか、と思うようになりました。 
そこで頭に浮かんだのが、弁護士という職業。法律には関心はないし、何となく出遅れ感があるけれど、今からでも司法試験の勉強をしてみよう、と思い立ちました。 

ところで、私の内弁慶な性格はどうなったのか。中学で、授業中にクラスメイトが先生にカンニングを疑われるという事件があったのですが、カトリックの伝統校で先生には誰も盾突けない空気……そんな中、思わず立ち上がって発言した自分に、誰よりも驚いたのは私だったと思います。その頃から、シャイな私はどこかに去ってしまいました。今振り返ると、これが私の初の“弁護活動”だったのですね。 

弁護士になって

大学卒業から数年後、晴れて司法試験に合格し、1年半の司法修習を経て、2000年に福岡で弁護士登録しました。福岡で登録したのは、受験生時代に結婚した夫が九州の地方公務員(実家暮らし)だったためです。当初から遠距離別居婚でしたが、福岡と夫の実家は遠く、週末婚に変わっただけでした。 
弁護士に登録したといっても、何をしていいかわからず、TVドラマを参考に、事件を受けると現地に出向き、探偵の真似事をしてみたりしました。でも、偶然撮った写真に事件を勝利に導く証拠が写っていたり、聞き込みをした方が私を面白がってご飯をご馳走してくださったりと、幸運なこともありました。

九州の女性弁護士第1号である湯川久子先生のお誘いで始めた、謡・仕舞の初舞台 
(2003年、福岡市の森本能舞台) 

刑事事件や少年事件を受けると、毎日のように留置場や少年鑑別所に通いつめる。というか、押しかける。思いどおりの判決とならず、親しくなった被告人に申し訳なくて、裁判所から泣きながら帰ったことも何度かあります。もちろん、他の事件も同じです。弁護士になりたての頃、夫の実家に我が子を取られて無理やり追い出され、子どもに会いに行くとホースで水をかけられた女性から依頼を受けたのですが、私の意気込みは熱く、「もし裁判所が子どもの引渡しを認めてくれなければ、弁護士やめる!」との思いで徹夜して書面を書いていました。 

夫とも双方の実家とも離れた中で育児をしていましたが、子どもも2人となったこともあり、実家の協力を内心期待して、2010年に東京に戻ってきました。最初は一人も知り合いのいなかった福岡では、たくさんの素敵な方々と知り合い、一緒に子育てを助け合ったりしたのもよい思い出。今も親しい付き合いが続いています。 

東京の弁護士会館前にて
東京の弁護士会館前にて

東京都内の事務所は、福岡と違って専門化が進み事務所ごとに事件の偏りがありましたが、幸い福岡で幅広く事件を経験できたことが強みとなり、1つの事件についても関連して発生する諸問題にも対応できましたし、その流れで、比較的様々な事件について取り扱ってきたように思います。東京に移籍し、お客様が来てくださるかな? と心配したのも束の間、寝る暇もあまりないというハードな日々にすぐに戻ってしまいました。弁護団での人権活動や、弁護士会での委員会活動(学校みたいでしょう?)などにも楽しく参加しています。 

2022年12月には、信頼できる素敵な仲間たちと一緒に、渋谷に法律事務所を立ち上げました。2024年から、通常の弁護士業とは別の仕事にも携わる予定で、そこで得た経験を、今後の弁護士の仕事に還元できればいいな、と思っています。 

事務所の玄関
事務所の玄関 

これからの私

もともと、いずれは浮世絵の研究に戻りたいと思っていた私。弁護士になって20年以上経ちましたが、振り返ってみれば、一度も戻りたいと思うことがありませんでした。ついでに言えば、他の仕事をしたいと思ったこともありません。 
もっとも浮世絵を見ると、“絵の中に入りたい病”が再発して家族も仕事も放りだしそうな予感があり、なるべく見ないようにして生きてきたというのが大きいかもしれません(笑)。 
先日、『往復書簡 老親友のナイショ文 寂聴さん最後の手紙』(朝日新聞出版)を読みました。その中で、当時85歳の横尾忠則さんが、瀬戸内寂聴さんに宛てた手紙に、「人間の運命は本当にわかりません。僕の宿命は郵便屋さんになることなのに、運命が絵の方に持っていってしまったのです。だけどですね、これが結局僕の中の魂が求めていたことだったのかも知れません」、「これから先の人生も、何が起こるか楽しみです。」と書いておられるのを拝読し、本当にそうだな、と思いました。 
私も、この先“私の中の魂”の導きで、別のことをしたくなる日が来るのかもしれません。でも、それまでは、ご縁あって私のところに来てくださったお客様が笑顔を取り戻し、穏やかな暮らしができよう、弁護士の仕事を続けたいと思っています。