渡邊 智惠子(わたなべ ちえこ)

株式会社アバンティ 代表取締役会長

渡邊 智惠子
  • 1952年北海道生まれ。明治大学商学部卒業
  • 光学機器を扱う株式会社タスコジャパン入社
  • 1983年同社取締役副社長に就任後、1985年株式会社アバンティ設立
  • 1993年国内繊維企業9社の協力を得て日本テキサスオーガニックコットン協会(現NPO法人日本オーガニックコットン協会の前進)を設立し理事長に就任
  • 2008年株式会社アバンティとして「毎日ファッション大賞」を受賞
  • 2009年経済産業省「日本を代表するソーシャルビジネス55選」に選ばれる
  • 2010年NHKの人気番組「プロフェッショナル仕事の流儀」に取り上げられる
  • 2011年3月11日東日本大震災以降は復興支援事業に活動の軸をおき、今までに「東北グランマの仕事づくり」「わくわくのびのびえこども塾」等を実施している

オーガニックコットンと東北大震災

わたしは北海道のオホーツク海に面した網走と知床の中間に位置する斜里町という小さな町で、両親姉兄の5人家族の農家の末っ子として1952年に生まれました。 流氷に乗ってやってくるアザラシに、氷のかけらを投げて、追いかけっこをしたり、雪原に枯れたススキが風にゆらぐ景色が、私の原風景です。この原風景は、のちのオーガニックコットンの風合いや色あいとが重なっていくものとなりました。
高校を卒業し、税理士になるべく明治大学商学部に入学しました。当時はまだまだ学生運動が残っていて、授業が正常に戻っていないこともあり、志半ばでタスコジャパンという外資系の光学製品を扱う会社に入社しました。
しかし、幸運にもこの会社での15年間は、現在の私の経営者としての基盤に最も大きな影響を与えてくれました。
当時、タスコジャパンの小林社長は「これからの女性は責任ある仕事をするべきだ」と言い、私にいきなり銀行の交渉も含めて会社の全ての経理を任せられました。
更に、入社5年目28歳のわたしに自社株まで持たせてくださり、その後10年間で38%までもたせてくださいました。
小林社長は1985年、現在の株式会社アバンティの社長に私を据えてくださいました。当時はまだまだ女性経営者の少ない時代でしたし、33歳という若さでの社長就任は、小林社長の勇断にほかなりません。
タスコジャパンでつちかった経営者マインドが、株式会社アバンティの株を社員全員に持たせ、全員が経営者というような「みんなの会社」を目指す、基本理念になりました。

オーガニックコットン(最初の出会い)

5年間タスコジャパンとアバンティの2足のワラジをはいてかかわっていましたが、1990年にアバンティを一流の会社にすべくタスコジャパンを退社いたしました。
丁度その時にイギリス人のエコロジストからオーガニックコットンをアメリカから輸入してくれないかというお話をいただきました。
これが、まさに日本初上陸となるオーガニックコットンとの出会いでした。オーガニックコットンの社会的な意味・意義を知り、これをアバンティの生業にして行こうと決めたのです。しかし当時は織物と編み物の違いも判らず、専門用語も全くちんぷんかんぷんでした。英語で交渉するのですが、交渉相手のアメリカ人は元ヒッピーで、ビジネスの事も繊維の事も全くの素人で、なかなか仕事がはかどりませんでした。
四六時中、寝ても覚めてもオーガニックコットンの事ばかり考えていました。この苦労こそが、オーガニックコットンを社会に広める仕事は私の使命だと、思えるようにしてくれました。
私たちが毎日使っているタオルやTシャツ、下着など、その他多くの生活にはかかせない製品のほとんどがコットンでできています。
天然素材だから人にも環境にも優しいだろうと思われるでしょうが、現実は随分と違います。
コットンは栽培においても、農薬や化学肥料、除草剤、落葉剤などが大量に使われている、農薬集約型農産物であります。
約8割が遺伝子組み換えになっており、発展途上国における農民の借金苦による自殺、児童労働など、人道的搾取が大きな社会問題になってもいます。
糸や生地など、最終製品における加工のプロセスにおいても、環境に対するダメージの大きさは、計り知れません。

華やかなファッションの世界でありながら、このような環境と人道的なダメージがあるということを知ることになりました。

オーガニックコットンの理念は出来るだけこのような破壊的行為をしない自然農法で、遺伝子組み換えの種は使わないなど、循環型農業を目指しています。

我が国の食糧の自給率は40%ですが、皆さんは綿、絹、麻羊毛などの繊維原料の自給率はどのくらいかご存知でしょうか?
実は繊維原料の自給率は0%であります。
そして最終製品たとえばt-シャツやタオル、洋服などの生産は95%が海外に委ねられており、ほとんどが中国製であります。
日本製はたったの5%という数字であります。
数十年前までは繊維産業が日本の基幹産業でありましたが、今や日本での物つくりが難しくなってきています。

しかしアバンティは全ての工程、紡績の糸作りから生地作り、最終製品を作る工程すべてを、日本国内で生産しています。メイド・イン・ジャパンにこだわっています。一気通貫、当社がすべてのリスクも持ち自分たちの想いでオリジナル商品を作り在庫し、原綿も生地も製品をも売るということをしています。

効率的ではありませんが、どこで、誰が、どのようにして作ったのかをすべてトレースできる、顔の見える物作りを徹底しています。
お客様に安心をお届けしていると自負しています。

オーガニックコットンの専門ブランド「プリスティン」を立ち上げて16年になります。
実は服を染色するということはたくさんの化学薬剤を使います。
洗剤、漂白剤、染料、定着剤,柔軟剤と大量の水もつかいますので、それだけでも環境に対してのダメージは多大です。
このため、プリスティンでは綿の色をそのまま生かし、染めないことにしました。
そうすることにより、かえって綿の持っている優しいふくよかな感じを残し、且つまた、丈夫な製品に仕上げることに成功したのです。

しかし染色をしないで生成りだけで物を作るということは、掛け算ができないということなのです。
染めずに生成りのままで、どこまで飽きさせない、退屈させない商品作りができるか。
それには生地のバリエーションをたくさん作れば解消できるのではないかと考えました。
幸いなことに、日本にはまだ各産地に技術と感性のある個性的な機屋や加工場があります。世界中を見ても、これほど個性に溢れた産地は日本にしかないのではないかと思うほどです。当社の商品製作はこれらの産地があればこそ成り立つのです。
一方、海外ではこのようなことができず、単一の生地を染色してバリエーションを作っています。そうするとオーガニックコットン本来の個性を引き出すことができません。通常のコットンとの差別化もできず、苦戦をしいられていることも事実です。
欠点を個性にし、日本でしかできないこと、日本だからできたことを突き詰めた結果、現在のアバンティ、プリスティンが存在すると思っています。

業務内容(今日只今この出会い)

2008年はリーマンショックの影響で創立以来の大きな赤字を出してしまいました。
原油の高騰、綿の高騰、円高など、トリプルダメージで、海外での販売は激減、OEMビジネスも激減、しかし在庫は増す一方でした。
前年の勢いで、予算から人材確保までのすべてを120%に設定したのですが、それが全く裏目に出てしまいました。
2008年の経営は大きな反省であり学習となりました。
危機感を持って、即、立て直しに取り掛かりました。
(1)自社ブランドであるプリスティンに集中する。
(2)卸売よりは、直販店の開店やwebサイトを充実させる
(3)海外でのマーケット開拓は縮小する
などなど素早い手当により、売り上げの増大と営業利益率を2%アップさせることに成功しました。
経費削減においては社員一丸となって取り組んでいきました。

社員が率先してエネルギー班、文房具班、就業時間班、運送料班などの各班を作り、お互い無駄なところを徹底的にチェックし合い、実現してゆきました。
また、過去8年間は毎年新卒者を採用していますが、特に最近の3年間においては、3名05名採用し、当社の基本理念の純粋培養が可能な人材育成をすすめています。

東日本大震災(東北とのチャンス)

2011年3月11日、東北大震災が起きました。
その時に出会った仏教の言葉が「代受苦者」です。

~本来なら自分が受けるべき苦しみや悲しみを自分の代わりに受けてくれた人~
まさしく東北で震災にあわれた被災者の皆さんであると思いました。
だから私は被災者の皆さんとこれから長く寄り添っていこうと決心することができました。その基本理念はやはり「敬天愛人」でありました。

私は時に社会起業家と呼ばれることがあります、「社会問題をビジネスによって解決をする人」という意味です。その名にふさわしく、アバンティにソーシャル事業部を創設しました。

最初の取り組みは2011年にスタートしました「東北グランマの仕事作り」です。ちなみにグランマとは欧米ではおばあちゃんですが、今回は女性の総称として親しみを持った女性たちという意味でつけました。
仮設住宅や避難所で何もできないでいる被災されたグランマたちに仕事をしてもらいました。仕事こそが夢であり希望であると信じていたからです。
久慈市、陸前高田市、石巻市の3箇所で約50人のグランマたちにオーガニックコットンで作ったクリスマスオーナメントを25,000個制作してもらい、その工賃として8百万円払うことができました。
以来この3年間、作業所は9カ所になり、約100名のグランマたちに引き続きお仕事お願いしています。

仮設住宅や避難所で何もできないでいる被災されたグランマたちに仕事をしてもらいました。仕事こそが夢であり希望であると信じていたからです。
久慈市、陸前高田市、石巻市の3箇所で約50人のグランマたちにオーガニックコットンで作ったクリスマスオーナメントを25,000個制作してもらい、その工賃として8百万円払うことができました。
以来この3年間、作業所は9カ所になり、約100名のグランマたちに引き続きお仕事お願いしています。

そして2014年ソチオリンピックが開催されました。

東北グランマの作ったオーガニックコットンの帽子とスヌードを日本選手に使ってもらうことになりました。
きっと皆さんもソチに出場している選手が被っている様子をテレビや新聞などでご覧になった方も多いかもしれません。
ことオリンピックに関してはオフィシャルスポンサーにガッチリ固められていますので、選手に届けることは簡単ではありませんでした。

いろいろとありましたが、某スポンサーを通して東北グランマのメッセージと我々の想いを選手のみなさんにお渡しする事ができたのです。
パラリンピックにも選手にお渡しすることができました。でもスポンサーが見つからずすべてアバンティの経費になってしまいました。でも夢はかないました。そして多くの人たちにわくわくをお届けできたと思います。

「成し遂げるまでは絶対諦めない!」

私は今62歳です。あと20年、オーガニックコットンを通して東北の復興のために力を注いでいきたいと思っています。
アバンティは社会貢献をしながら100年企業を目指します。
アバンティの
基本理念「敬天愛人」―天を敬い、天が人を愛するように、人を愛する。
経営理念―オーガニック製品を通して地球環境の保全と社会貢献をする。
行動指針―1.社会倫理に照らし、人として正しいと思うことを実践する。
2.関わるすべての人々が利益を分かち合う「四方良し」
(作り手、売り手、買い手、回り良し)の精神を実践する。
であります。

社員が本当に心からアバンティを誇りに思い、自分の子供をアバンティで働かせたいと思えるように、愛情豊かな会社にしていきます。