髙橋 麻理子(たかはし まりこ)

チェロ奏者

 桐朋学園大学首席卒業。霧島国際音楽祭にて特別奨励賞、及びサントリー賞受賞。第6回大阪国際室内楽コンクール、トリオ部門にて日本人初の第三位入賞。文化庁「文化芸術による子供育成総合事業」登録アーティスト。
 2021年、世界初録音を含む「間宮芳生 チェロとピアノのための作品集」(ピアノ・山田剛史/コジマ録音・第76回文化庁芸術祭参加作品)をリリース。レコード芸術「準特選盤」、朝日新聞「推薦盤」、音楽現代「推薦盤」ほか、日経新聞誌上等でも高く評価された。同年12月オリジナル楽器によるトリオ・ハービッヒ「ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル室内楽曲集」(コジマ録音)をリリースし、レコード芸術誌上等で取り上げられた。バロックから現代まで幅広いレパートリーを持ち活動を広げているほか、邦人作曲家の作品にも意欲的に取り組んでいる。


チェロと素晴らしい師たちとの出会い

 6歳からピアノを習っていましたが、とても厳しい先生でレッスンに通うのは義務のようになっていました。そうしてレッスンを受けていた小学6年の頃に、母が趣味でチェロを始め、我が家へ楽器がやってきたのです。
 それまで弦楽器を間近で見たことがなかった私にとっては、チェロは新鮮に映り、憧れもありました。チェロの豊かな音色にすっかり魅了され、この楽器で音楽の道に進みたいと強く思うようになりました。そこで、母が知り合いの先生に頼んでくれてそこからの伝手を頼りに、チェロ界の重鎮でいらした当時70代の井上頼豊先生の門を、中学1年のときに叩くことになったのです。
 当時、井上先生と言えばシベリア抑留を経て、コンサート活動やコンクール審査員のほか桐朋学園でもたくさんの素晴らしい生徒さんを教えていらっしゃいました。
 なかなか生徒を取らない先生とお聞きしていましたが、初めてお伺いした際に教本の1番最初のページを弾いてみて、と言われて私がたどたどしく弾くと、
「音高[桐朋女子高等学校音楽科」(ただし男女共学)]に入りたいならもうあと3年しかない。人の3倍練習しないと入れないよ」と仰いました。
 私はその時にはもう自分の気持ちを決めていたので、「はい、大丈夫です。やります!」と答えたのです。
 本当にゼロからのスタート。中学の3年間はチェロの練習、ソルフェージュのレッスン、学校の勉強ととにかくフル稼働で時間がいくらあっても足りず、特に中学での記憶は殆ど思い出せないくらい受験に向けて集中しました。
 そんな矢先でした。受験の直前に井上先生の訃報が飛び込んできたのです。なんとか高校に合格はしたものの入学した後の師事する先生が決まっていない……。色々悩みましたが、井上先生から何度かお話を伺ったことがある倉田澄子先生に運良く指導いただくことになりました。
 倉田先生はチェロの母という言葉がピッタリで、とても温かくユーモアもある方です。面倒見もよく、生徒と一緒にふざけたり、時には厳しく叱ってくれたり、9年余り大変お世話になりました。
 その後、堤剛先生にも大学の途中からお世話になり、当時では珍しい先生二人の体制で卒業まで過ごすことができました。堤先生は雄渾壮大という言葉そのもので、演奏だけではなく、先生の日々の姿を通して私たちは色々なことを学びました。
 先生方からはチェロを弾くこと以外に大事なこと、例えば音楽以外の事にも興味を持ち知識を深めることや、全てが音楽に繋がっていて無駄なことは何一つないということを学びました。

桐朋時代 オーケストラと室内楽

 念願の桐朋の音高に入った私は毎日がとても楽しく、周りの優秀な同級生や先輩たちを見ながら自分も上手くなりたい、と強く思いました。特にオーケストラの授業では、本当にたくさんのことを学びましたし、かけがえのない時間でした。一流の指揮者の先生方がみっちりと約1週間、時にはもっと長期間にわたり毎日リハーサルを行って曲の構成や音の響かせ方、呼吸の合わせ方などとても細かく叩き込んでくださいました。また、室内楽(いわゆる弦楽四重奏やピアノトリオなど)も仲間たちと組んで毎日のようにリハーサルやレッスンを受け、とにかく音楽漬けの毎日でした。高校の卒業時に成績上位者は卒業演奏会に出られるのですが、私は逃してしまいました。もちろんそれが目標の全てではありませんが、この時密かに大学で1番を取る、という目標がひとまず出来ました。負けず嫌いの性格がうまく作用したのか、大学卒業時には1番を取ることができ、皇居での演奏会にも出演させていただきました。そして、この頃からさまざまなプロジェクトでのソロやアンサンブルの演奏、プロオーケストラに参加しながら演奏家としての学びを深めていきました。 
 プロのオーケストラは長くても3日のリハーサルで本番、というスケジュールを月に何度もこなすのが当たり前。そして、団員の方々にはもう何度も弾いた曲であっても自分にとっては初めて弾く曲ばかり。譜読みのオンパレードで慣れないうちはスコア片手に音源を何度も聴いたり、とにかく膨大なインプットの時間を費やしました。 
 今考えるとあの濃密な期間があったからこそ、今でもオーケストラや室内楽の曲を困らない程度に弾けるようになったのだなと思ったりします。その一方で、仕事を詰め込めるだけ詰め込んでいたせいか次第に行き詰まりを感じるようになりました。 

ドイツへ

 桐朋学園大学を卒業して数年たったころ、ベルリンに留学している幼馴染のヴァイオリニストから、いろいろな話を聞き、私も海外で勉強したいと強く思うようになりました。当時どこへ留学するかは目星がついていなかったのですが、漠然と欧州の中でフランスかドイツあたりかなと考えていました。しかしフランスは入学することは年齢的に難しかったことと、比較的、物価や学費が安く色々な情報が入って来やすいドイツに行くことにしました。知り合いを頼りにベルリンからシュトゥットガルト、ミュンヘン、と南下しながらそれぞれの都市の音大の先生にアポイントを取ることにしたのです。
 ベルリンはいろんな国から学生が来ているせいか、とにかくピリピリした印象で、逆にミュンヘンは少しのんびりした印象を受けました。結果、指導してくださることになったユリウス・ベルガー先生の教えるアウグスブルクという都市にある音大に通うことになりました。
 その後、家庭を持ちドイツと日本との行き来生活が始まることになりました。ドイツやヨーロッパではホールでのコンサートのほか、教会でのコンサートも頻繁に催されており、比較的安価で日常的に音楽を聴ける環境があるという、音楽への敷居の低さに驚きました。また日本とは違い日曜にお店が閉まっていることの不便さ、病院へ行くことのハードルの高さや、イースター、クリスマスなどの宗教的な背景も、住んでみて改めて知ったことだらけです。自分も移民の一人ですが、海外で外国人として暮らす上で、様々なことをリアルに感じられたのは貴重な経験でした。

バロック音楽との出会い、藝大へ

 あるチェリストからバロックチェロを貸すから弾いてみたら? と、エンドピンもなくガット弦が張ってあるチェロを借りたのが始まりでした。
 それまでバロックといえば、バッハの無伴奏チェロ組曲や「インヴェンションとシンフォニア」「平均律クラヴィーア曲集」などしか馴染みが無く、学生の頃にはバッハが偉大すぎて、どこかとっつきにくいという印象しか持っていませんでした。しかし、たまたまバッハコレギウムジャパンの公演で「クリスマス・オラトリオ」を初めて聴いた時、まるでお祭りが始まったかのような太鼓で始まる出だしに、何かすごくワクワクして面白そうで、バッハのイメージが一気に崩れたのです。バッハはこんな賑やかな曲も作るんだ、と目から鱗が落ちるようでした。同じ楽譜を見ても、バロック音楽を学んでからだと違うアプローチが出来、一気に世界が広がるような感覚になりました。
 せっかくバロック音楽へ足を踏み出した直後に東日本大震災が起こりました。すべての仕事がキャンセルになり、色々と自問自答する日々が続きましたがそんな中で唯一の心が癒されたのがバロックチェロを弾いたり、バロック音楽のCDを聴いたりしている時でした。数年間、悩みましたが最終的に出した結論で、東京藝術大学古楽科別科に入り他の学生達と一緒にアンサンブルや音楽理論を学び、その後も様々なバロックのプロジェクトに参加させていただけるようになりました。
 今ではバロックとモダンと両方を使い分けて仕事をしていますが、バロックを学んだことで色々なことがフレキシブルに考えられるようになり、さらに人生が豊かになりました。

緊張と緩和 両立の難しさ

 音楽家の仕事は一般的な休日にコンサートやイベントがあるので、必然的に土日祝日などが仕事で埋まることがほとんどです(クリスマスやお正月なども!)。平日でも、夜にコンサートがあること多いですし、リハーサルの時間帯はいつも決まっているわけではなく、流動的です。予定が入らない休日も、完全にオフという意識にはなかなかならず、むしろ夜遅くまでコンサートの練習をし、その他の雑用に追われます。
 音楽家の生活は会社勤めの方々からすると理解がなかなか難しいところかもしれません。子供を持つとさらにオーガナイズが大変になりますし、仕事とプライベートの両立は常に頭を悩ませます。
 また、舞台に立つということは緊張を伴うものです。良い緊張感の中で演奏するのは心と身体に良い影響をもたらしていると思うのですが、会場の空気やお客様の雰囲気などはすべて毎回違うので、それを感じ取って脳から様々な物質が出ているのでしょう。演奏会が終わった後はしばらく余韻が抜けず、いわゆる一種の興奮状態なので、あまり疲れすぎないよう、オンとオフを意識的に心掛けて気持ちを切り替えるようにしています。

12人のチェロアンサンブル「タンタシオン・デ・ブルー」での集合写真
トリオ・プリマヴェーラのコンサートにて

音楽がつなぐもの

 実はこの「女性100名山」のお話をいただく以前から、女性として社会の中で働き、表現し家庭を持つことについて、私はずっと考え続けてきました。仕事への評価や周囲の視線、家庭や子育てとの両立。さまざまな場面で求められる役割の中で、どこか息苦しさを感じながら歩んできたように思います。そうした経験を重ねるうちに、これは個人の努力だけで解決できる問題ではなく、環境や仕組みの問題なのではないかと考えるようになりました。
 現在、私が関心を寄せているのは、さまざまな年代の女性が、過度なストレスや役割意識に縛られることなく、仕事や生活をより楽しみ、豊かに営むためのあり方です。
 音楽は本来、人を支え、つなぎ、回復させる力を持つものだと思っています。今後は、女性が人生の段階に応じて立ち止まったり、戻ったり、再び歩き出したりできるような、フレキシブルな音楽の場を形にしていきたいと考えています。キャリアや家庭の在り方が一様でなくてよいように、音楽との関わり方もまた、多様であってよいはずです。
 例えば演奏会だけではなく、ワークショップや業種を超えた対話の機会などを、同じような違和感や希望を抱いてきた方々と、無理なく長く続けられる形を模索していくこと。
それが今、私が思い描いている未来図です。