伊藤 衆子(いとう しゅうこ)
NPO法人国際協力NGOセンター(JANIC)連携・アドボカシー マネージャー
- 北海道生まれ、埼玉・東京育ち。3人姉妹の長女。
- 日本とイギリスの大学院で国際協力について学ぶ。様々な規模のNGO、JICAに勤務後、2010年より現職。
- 幼馴染の夫、高校生の娘と大学生の息子がいる。
国際協力の仕事
「国際協力」の仕事には、国際機関や外務省、国際協力機構、民間組織であるNGOに就職して、語学力をはじめとする高い専門性を駆使して海外でバリバリ働くイメージがあります。貧困や紛争をなくしたいとか、環境や人権の問題解決に取り組もうと考え、それが国際的であればなおさら、「意識高い系」の人として、すごい、えらい、または煙たいと思わることが多いように思います。
実際は、国際協力の仕事は幅広く、民間企業の業務の中で間接的に関わっていることは多くあるし、外務省以外の省庁、自治体、大学でもいろいろな場面で国際協力に携わります。自分で仲間を集めて活動を始めることもできるし、社会起業をすることもできます。仕事の内容も様々で、海外の現場で現地の人とともに汗を流すことだけでなく、ルール作りの国際会議の開催・参加、政府や議員との交渉などは特徴的なもの、支援や共感を得るためのイベントやキャンペーン実施、広報業務、スタッフと活動を支えるための組織運営・資金調達など、どの業界にも共通する仕事も必要で、多様な職歴の人が仕事をしています。
国際協力NGO
私は長くNGOで仕事をしていますが、仕事内容を一言で表すことが難しく、「NPOって分かりますか?」から始まり、「ボランティア団体です」とか「学校建設とか井戸を作るとか、そういう活動ってあるじゃないですか。そんな感じの団体で〇〇をしています」と説明し、結局、何だか良くわからないけど奇特だという印象を持たれます。
NGOとは、Non-Government Organization(非政府組織)のことです。平和や環境、人権、地域開発に取り組む市民の組織であり、政府組織と区別するための国連用語です。NPO(Non-Profit Organization)は非営利組織全体を指し、NGOはNPOの一部と言えます。日本では、国際協力活動をする組織をNGOと呼び、国内の環境や福祉などに取り組む組織をNPOと言う傾向にあります。
日本には400~500のNGOがあります。NGOといっても、活動地域や内容、活動年数、財務規模(年間予算が数百万円~100億円以上)、スタッフ数(1人~100人以上)と様々です。政府や企業では対応できない草の根レベルでの人々の支援をすること、声なき声を拾って政策提言することがNGOの特徴です。
私が最初に就職したNGOは、日本で設立され、インド、スリランカ、ジュネーブに事務所を持つ、先住民族、少数民族、アウトカーストなど社会的マイノリティの権利保護に取り組む団体でした。ここでは、国連に提出するレポートの作成と関係省庁との会議企画、スタディツアーの引率やニュースレターの発行を行いまいした。次に、日本にやって来る難民の支援を行う団体に勤め、広報や会員管理、イベントやセミナーの企画を行いました。その後、イギリスに本部のある子どもの支援の団体に転職し、アジアとアフリカ地域の事務所との連絡を担当しました。国際協力機構(JICA)では、教師の海外研修、青年海外協力隊の募集や帰国後の研修、NGOとJICAの連携の業務を担当し、政府系の組織の経験を積みました。
少し多めの転職経験を活かして、現在は、「NGOを支援するNGO」として活動する、100以上のNGOが会員となっているネットワーク団体で仕事しています。今の仕事内容は、スタッフの仕事の進捗管理、組織運営や人材育成など、他業界の組織で仕事をすることとあまり変わらないため、様々な職業の人に会って話を聞くようにしています。
国際協力を目指したきっかけ
私が国際協力の仕事をしたいと考えるようになったきっかけを考えても、それといった格好のいいエピソードはなく、あえて言えば小学生の時に観たアフリカの飢餓のテレビの映像だったのだと思います。裸のやせ細った子どもの姿を見て、学校に行けず、食べ物や清潔な水がない生活をする人が大勢いることを知り、お腹をすかせて死んでいく子どもをどうして助けられないのか、なぜこういうことが起きるのか、疑問だらけになったことを覚えています。
国際機関を目指したり、海外の現場で活動することに憧れた時期がありますが、留学やアフリカ・アジアのバックパック旅行を通して、世界には優秀な人たちが沢山いること、外国人の自分が「貧しい」人たちを「支援する」という考え方が傲慢であることを痛感しました。日本の援助政策をよくしていくこと、優秀な人たちの活躍をサポートしていくことが自分のやるべきことだと気が付いて、日本のNGOで仕事をしています。
私の両親はともに教員で、父親も家事育児をする家庭環境であったことは、私が将来の仕事を考える際に影響しています。報道についての疑問に答えてくれる中で地域や国を越えた視野を持つように育てられ、女の子だからという選択の制限をしようものなら叱られ、大学院に進学することが特別ではなかった環境でした。
祖父母は北海道の厳しい自然や経済状況で暮らしつつも教育熱心で、父は長男であったこと、母は一人っ子であったことから当時では珍しく大学院進学をしています。祖父母や両親の苦労の話は聞いてきたものの、私自身は特別な努力や苦労をすることなくなく恵まれた教育環境や時代に育ったことに感謝を忘れず、その分、学んだことを社会に活かしていく責務をずっと感じています。
また、ジェンダー平等の考えを叩き込まれて育ったとはいえ、自分の「経済的自立」を考える際に、少なくとも自分自身、プラスして自分の子どもを育てる経済力まではイメージしましたが、専業主夫/婦のパートナーの分も稼ぐという発想はありませんでした。男性は今でも中学生くらいから「一家を養う」こと無意識にでも前提にして将来を考えがちです。一方、多くの女性はその発想がないため、男性よりも自由に将来を描くことができるのではないかと思います。共働きでないと子どもを育てることは難しい給与額であり、不安定な雇用状況でもあるNGOで仕事をすることに躊躇しなかったのは、女性であったからとも言えます。
仕事と育児
仕事と育児を両立していてすごい、両立するにはどうしたらいいのかと言われることがありますが、正直なところ両立できていたとは思っていません。どちらも落第すれすれのところをあちこちに目をつぶって、特に家事は手を抜きまくり、こんなんでいいのか?と悩みながらの、「あっという間だった」とは決して思えない長い大変な期間でした。
子育てしながら仕事をしている先輩女性は世の中にいっぱいいるので、出産前は両立が難しいことだと思っていませんした。しかし、母を含めて働く母親の横や後ろには子育てを支える家族やプロがいることに後で気がつきました。私の両親は現役バリバリで仕事をしていたし、夫の両親は仕事を引退していたものの病気がちで、子育てのサポートをお願いすることは難しい状況でした。ベビーシッターにお願いするほど収入に余裕もなく、しかも夫は飲食業の仕事をしていたので、夜も土日・祝日も留守で、どうにもこうにもならない状態だったので、無理なものは無理だと諦めがついたのかもしれません。
子育てしていなかったら挑戦できたチャンスを何度か見送る悔しさも経験し、その分子どもと過ごす時間から得られる体験や友人を大切にして、意地になって楽しんでいる面がありました。腕白息子はとても手がかかり、学校からはよく呼び出しを受けましたが、それすらも面白いと思うようにし、忍耐を学ぶ貴重な期間だったと考えています。
家庭や地域の環境、子どもの健康や発達状態等の事情によって、仕事と育児の両立がうまくいく場合もいかない場合もあると思います。育児に専念する時期があってもいいと思います。何を大切にしたいかの価値観は人それぞれ違うので、仕事を続けるべきだとか、育児に専念すべきだという考えに固執したり、その考えを人に押し付けたりすることは意味がないと思っています。
今後の思い
振り返ると、職業のいろいろな選択肢をもっと考えればよかったな、営利追及の仕事も面白かっただろうな、パートナーの仕事に合わせて自分の仕事を中断するという発想もありだったな、と思うことがあります。東京を離れた生活に憧れて農業を3年習ったけれど、大好きな東京を離れられずにいます。営利追及にも憧れて、小ビジネスを始めたいとも思っていますが、まだチャンスをつかめずにいます。
これまでの「国際」や「協力」の概念が変化している中で、もうしばらくNGO業界でやりたいこと、やるべきことがあります。防災減災や子どもの貧困など、日本国内での取り組みの経験を海外で活かす人たちや、逆に、海外での知見を日本で活かす活動を始めている組織もでてきています。グローバルな課題解決には国境が関係なくなっていること、ビジネスで社会貢献を目指す社会起業家の活躍もあり、国際協力や社会貢献において非営利にこだわる必要もなくなってきています。
変化を生み出し最前線で活躍する人を応援し、アイデアや行動力を持つ若い人はもちろん経験豊かなシニア層の取り組みをサポートし、なんだか意識の高い人がやっているというNGOのイメージが、もっと普通の参画しやすい仕事や活動になるような仕組みづくりを仲間たちとしていきたいです。