岡田 翔廣(おかだ しょうこう)

高野山真言宗 法乗院 住職、筑前琵琶奏者

岡田 翔廣(おかだ しょうこう)氏

昭和22年5月生まれ。昭和55年高野山真言宗で得度。平成15年に法乗院の住職に就任し現在に至る。趣味:琵琶・書道・太極拳。


京都に生まれ京都で育つ

昭和22年5月生まれ、戦後まもなく京都の地に生を受け、いわゆるベビーブームと言われる時期にこの世への旅立ちを始めました。
名前は岡田翔廣と申し、高野山真言宗の住職として日々諸神佛に相向かい合掌から始まり、合掌で終わる一日を過ごしています。またある時は、易学者・岡田晋暢(おかだしんよう)として人生相談から始まり運命的出あいの相性判断、人生の分かれ道のサポートをしています。またある時は日本伝統文化保存会、筑前琵琶の奏者・岡田旭洋(おかだきょくよう)として、演奏活動をしながら後継の指導にあたっています。お弟子さん達は異業種の方や特異な経験者など、いつも話題に事欠かないほどいろいろな方々で、お稽古が楽しみでますます琵琶の妙音にほれこんでいます。
またある時は書道の指導にあたり、流麗な筆のタッチに魅了され音楽を奏でる様に筆を進める時を皆で楽しんでいます。またある時は何もかも忘れてひたすら太極拳や気功と気の世界に没頭して、俗世を忘れて気の流れを感じつつ武道でもある太極拳を楽しんでいます。もともと武道は好きで学生の頃に少林寺拳法、社会人になって剣道や薙刀、空手と趣くままに楽しみました。なぜか最終は太極拳に落ち着いています。他にも乗馬、タップダンス(タップダンスは老後の足腰を鍛える為に始めましたが、結局踊りの素養が無いので続きませんでした)。
京都に生まれた私は一度も京都以外で生活をしたことがありません。
戦後、伏見稲荷という所で生まれ子供の頃は伏見稲荷の境内を遊び場所として近所の子供達はもちろんよく遊び、母に連れられて稲荷山へもよく行きました。母も同じく京都生まれ京都育ちなので伏見稲荷界隈には精通しており、色々と教えてもらったものです。
今ある私の健康体は母からの賜物。感謝あるのみです。

住職の道へ

現在どうして住職をしているかということですが、先代(岡田紹遍(おかだしょうへん)と申します)との出会いによって私は得度し僧籍を取得しました。
先代は視覚障害者でしたが、目が見えている者より全てが良く見えていた、見通せていたと言った方がいいかもしれません。
ヘレン・ケラーさんと言えば三重苦を背負った方でサリバン先生の熱心な指導のもと大学を卒業後、平和運動や身体障害などの社会事業家として世界各国を回ったりされた方です。先代は奇しくも社会福祉法人西日本ヘレンケラー財団より最年少でヘレンケラー賞を受賞し、日本国を訪れたヘレン・ケラーさんに会っています。盲学校在学中には多くのいじめを受けたこともあったそうですが、乗り越えて過ごした日々がヘレンケラー賞を受賞したのではないか思われます。
エピソードは色々とありますが、そのお話しは又の機会にするとして、私が出会った時はすでに住職として活躍し、多くの信者の対応に東奔西走の日々の人でした。お寺のこともわからない私でしたので、とにかく本山(高野山)へ行って、修行をしなければということで一年間、高野山での修行が始まりました。この一年間は語りつくせないほどのエピソードがあります。何かの折にお話しさせて頂ければと思います。
現在住んでおりますお寺(左京区下鴨西半木町)はビルとなっていますが、その設計は全て先代が致しました。せまい土地にいかに効率よく建てるかと試行錯誤しながら線引きをして無事に建立することができ、自慢のお寺です。信者さんからも建築の依頼があると設計し、私が注意事項や要望、寸法など諸々をテープではり、先代は図面を流暢にふれながら指示を出します。何度となくやり直し設計図が完成です。そんなことを繰りかえし二人三脚でしたことを、振り返る日々です。
いつも出かける時は腕をくんで一緒に仲良く歩きました。亡くなってからは私一人で歩くのが不安になったこともあります。今では足がふらつくようになってきたので、一緒に歩いていた時のことをとてもなつかしく思い出します。いつも一緒にいてくれるように思えます。世界一こわい人、世界一思いやりのある人、世界一心にかけてくれた人だったと思っています。
その人がこの世から旅立ってから早⒛年が経過しましたが、毎日必死で歩んでいます。必死で楽しんで、必死で学んで、必死でお勤して、常に私の心からは必死暮らしが抜けません。きっとそれが私にとって心地良いのかもしれないと思っています。時には場所を変えて時には時間を忘れボーッとすることもありますが、そのボーッとする時間がとてつもなくリラックスする時間帯です。きっと目もどこを見ているかわからず、何を考えているか……。頭の中はからっぽ。ここちよい風と聞き慣れない音がただ通りすぎるだけの時間を受けとめるだけ……。そんな時間が好きです。そんな時間がもてないと頭の中がごみごみとして何かまとまらなくってくるのです。

護摩供養を行う著者
護摩供養を行う著者

日々、ご縁を感じながら

与えられた時間は皆一緒です。金子みすゞさんの詩の一節で「みんなちがって、みんないい」ということばがあります。簡単なことばですが、とても意味深いことばだと思えます。2022年11月、金子みすゞさんの一人娘さんが旅立たれたことを知りました。詳しく知らなかった金子みすゞさんの世界ですが、ふっと感じるみすゞさんの世界、ほっとさせて頂くことばが沢山ありますね。これも私のより道の心が結んでくれた縁の入口でした。ただただご縁に感謝です。
ご縁ということをよく使いますが、ご縁の始まりはこの世に生をうけた時より始まったわけですが、その前からも始まり、さらにその前からも始まっているのでしょうね。「卵が先か? 鶏が先か?」ということになりかねませんが、この世でご縁を頂く方々、人でなくても全ての事柄について、どのような関係でどうなったかは全てが疑問とするところですが、今の年齢になってゆっくりうけとめることができる様になってきました。まだまだ未熟な者ですが命終わるまで、受けとめる受け皿を少しずつ大きく、できるならば、そうしていきたいと思います。なかなかそうはいかない事柄ばかり起こりますが、私の人生最後を飾る場面はどんな場面なのか、これからが楽しみです。苦しみも哀しみもあると思いますが残る人生、必死に精一杯生かせて頂けるならばこんな幸せはないと思います。
終末までの道のりでどんな形でどんな方々に出会うご縁が繋がって行くか、また切れて行くかは未知なる日々です。私が僧侶になること、琵琶という不思議な楽器を奏でること、書という風の様な存在の物に出会ったこと、他にも沢山のことがらや人々とのご縁を頂き生まれて来たことの幸せに涙が出るほど嬉しく思います。
ペットにも出会いました。犬の「サリバン」「メルシー」「ルイ」と、その前にも多くの犬や猫たち。もう名前も忘れました。どんどん忘れていくのでしょうね。忘れていく事が人生を深いものにしていくのかもしれないと思う事もあります。
お寺の法務の一つに御朱印を御来院の方々に授与しています。以前に書いた御朱印が巡り巡って戻ってきます。ふと御朱印帳をみると素敵な御朱印だなぁと思い、よく見ると以前当院が書いた御朱印だったりすることがあります。御朱印はその時々で変えていますが、アドリブ的にかいた御朱印もあります。すっかり忘れていますが、受けて頂いた方々には一つ一つが心に残るものになっていると聞かされる事があります。今まで必死で書いてきて必死に日々過してきたことは、決してわるくなかった。一つずつの積み重ねをさせて頂ける幸を御朱印を通じて感じるところです。
いつも参拝して頂ける御朱印の方々の笑顔にふれる時、また必死で書かせて頂ける幸せを体で感じつつ、来月はどんな御朱印にしようかと、寺内で会議して進めて行く日々、協力してくれる人、アイデアを出してくれる人、図案を考えて描いてくれる人、受付の人、お茶を出してくれる人、全ての人に囲まれて守られている私がここに居ることに感謝の一言しかありません。一生かけて私のできることは、わずかなことしかできないと思いますが、一瞬一瞬を一生懸命することができればつみ重ねで少しは良い結果が残せるのではないかと、安易な考えでいます。なので必死といいながら、日々良い加減な日暮らしをしているのでしょう。良い加減なほど心地良いものはないと思います。琵琶の音色も良い加減な程心地良い音色に響いてくれるのかもしれません。
時々夜遅く本堂で琵琶を奏でていると、もうやめられなくなってくるのです。琵琶の音色に魅入られて、弾くのをやめることができなくなります。それほど琵琶の音はすばらしい妙なる音です。少しでも多くの人々が琵琶の素晴らしさに聞き入ってくれればと願っています。
このような楽器はちょっと他にはない楽器と思います。「耳なし芳一」の話がありますが、平家の人々は琵琶の音色と芳一の語りに魅了され、引き込まれたのに違いありませんね。耳を切り落とされるのは嫌ですが、平経正は琵琶の名手で名器とされる「青山」という琵琶を奏でていたら龍神が現われる程の妙音を奏でたという話を聞きますと、それ程の琵琶が奏でられればいいのにと心に言い聞かせつつ、日々の琵琶に相向かっています。琵琶にまつわる不思議なお話もいくつか体験していますが、琵琶という楽器は生きものですね。弾けば弾くほど妙音を出してくれますし、弾かねばすねるし、わがままきわまりない不思議な楽器です。それをあやつれる様になりたいものです。

筑前琵琶の奏者としても活躍する
筑前琵琶の奏者としても活躍する

まだまだ書きたりないこともありますが、己にふりかかってくる全ての事柄は師として仰ぎ緒神佛からの教えと受けとめていける様になりたいものと思いますが、年齢を重ねているにもかかわらず、なかなかその域に達することができず、もんもんとする時間も少なからずあります。
今世でどれだけのことを知りどれだけのことがなしていけるか未知ですが、いつまでも一生懸命の精進、必死さを持てる体力を養っていけるようつとめていきたいと思います。これからの出会いのご縁を大切に又、大いに期待し、笑って喜んで集える事ができる様になりたいと思います。
こんな素晴らしい機会を授けて頂いた事に感謝感謝の一言しかありません。ありがとうございました。