伊勢 博美(いせ ひろみ)
コミュニケーションデザイナー
- 2022年 社会情報大学院大学広報・情報研究科(現: 社会構想大学院大学コミュニケーションデザイン研究科) 卒業
- 2020年 日本福祉大学 福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科 卒業
- 卒業後も続けている学び
- 福祉国際比較(スウェーデン)、スーパービジョン、災害とソーシャルワーク
- 所属学会
- 日本予防医学会(認定資格:予防医学指導士、メンタルヘルス相談士)/広報学会
- 所属団体
- NPO法人ZESDA(グローカルビジネスをプロデュースする、パラレルキャリア団体)
- その他
- 日本政策学校 第8期生/GR人材育成ゼミ 第1期~2期生/ペットの救急PetSaver国際認定資格 First Responder、Emergency Rescue Technician、災害救助犬用ペットセーバー
前回に引き続き、私自身の率直な言葉でこれまでの経験をもう少しお伝えできればと思います。
学びたい思いを持ち続けて
私は航空宇宙工学と芸術という2つの異なる分野に進学したいと願う高校生でした。中学生の時にダグラス・R. ホフスタッターの著書『ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環』に出会い、自分のイメージがここにあると思いました。異なる分野の「不思議の環」について反芻して考え、もっとこの先を知りたいと思ったものです。そのため、高校から明確に理系と文系にクラスさえも分けられてしまう状況や、進学もどちらかしか選ばないといけない現実に大変な違和感を抱いていました。しかし、2018年に参加したNPO法人ZESDAの「鶴岡イノベーションヴィレッジ訪問ツアー」で、当時、慶應義塾大学先端生命科学研究所の所長であった冨田勝教授と出会い、ようやく払拭されました。冨田教授との会話を通じて、「学ぶ」行為やイノベーションについて考えることができ、高校生だった過去の自分に「その疑問は間違っていなかったよ。分野を明確に分けずに重なり合う学びをこれから探究しよう」と、話しかけることができました。30年近く経過し、ようやく過去の自分に承認を送ることができたのです。どの年齢になっても、素晴らしい指導者と出会うことは貴重な機会だと思います。繋いでくださったご縁にも感謝しかありません。
高校生のころは学問の選択に疑問を感じていただけではなく、家庭の事情もあり、望んでいた大学進学を叶えることができませんでした。しかし、学びたいという気持ちは捨てきれず、卒業後にアルバイトを掛け持ちしながら通信制の短期大学に進学しました。当時は通信制とは言っても、夏休み期間中にはスクーリングで2か月近くも、仕事を休んで昼間に通学することが必要で、夜間や週末は課題の提出に追われるという大変忙しい状況でした。また、学費の他にも学習に必要な教材や資料を揃えるために相当な費用がかかりました。時給数百円のアルバイト代だけでは朝から夜まで働いても足りません。現在の私なら、当時の自分にアドバイスをする方法を見つけられると思いますが、当時は誰にも相談できず、2年目の学費を支払うことができずに退学せざるを得ませんでした。なぜアルバイトだったのかとよく問われますが、勉強のために2か月も仕事を休むことは、当時の正社員の勤務条件として大変難しかったのです。学費を稼ぎながら、夏に2か月近く休みを取るためには、睡眠以外の時間を全てアルバイトに割くという方法しかありませんでした。短期大学のスクーリングに参加しようと考えていたころ、興味のある研究所からの就職のオファーを断らなければならなかったこともあります。今の時代であれば、企業側の制度やオンラインの普及により、仕事時間外の時間を使って進学する機会があったかもしれません。
自分自身も周囲も社会も、いくつになっても変化し続けています。まだ見ぬ世界もあり、知らないことや新しいことが次々に現れます。このような変化し続ける世の中には無限の可能性があります。その中から、その時の自分に必要なことを吸収し、自分なりに消化して、仕事や社会に貢献できれば、非常に充実した気持ちになります。そして、ただただ目の前のことに取り組んでいるだけなのに、気がつけば思考や交流の幅が広がり、できることが増えています。
幅広い世代やバックボーンの方々との学びを日本でも
大学や大学院での社会人学生時の経験にも触れますが、略歴をご覧いただければ分かるように、学びは学位だけではありません。自分のライフスタイルのペースで、興味のあることや必要だと思うこと、またはわからないと思うことに一歩踏み出すことが大切だと感じています。平均寿命が延びている現在、これから数十年もの間、それができると思うと、私は本当にワクワクします。大学の社会人学生仲間には、高校を卒業したばかりの10代から80代まで、幅広い年齢層の方々がいました。スクーリングでチームワークを共にすると、社会人経験の浅い若い世代や現役で管理職や非管理職として活躍している方、休職して子育てや介護に携わっている方、そして定年後の先輩方など、多様な仲間に恵まれました。年齢だけでなく、それぞれの個性や得意分野、経験も異なるため、幅広い視点に触れることができました。学校ではない場所では、地元の子供向けの学びの小さなイベント活動のお手伝いをしています。ここでは子供たちだけでなく、多世代の方と出会い、交流や子供向けの学びからも新しい気づきを得ることがあります。このような経験から、大人だからこそのオーダーメイドの学びや吸収、そして自分自身の日常や行動に応用できることも含め、多くの気づきがあると考えています。今の自分に必要なものや、自分自身に関連付けて理解するために、自分ごとに学びを咀嚼し腑に落とすが肝要かと思います。これができるのは社会人の経験を経た方々の強みであるのではないでしょうか。詰め込みではなく、納得のいく学びの力は、誰もが多かれ少なかれ経験していることだと思います。
誰でも学びたいと思えば、学ぶ機会が得られるという考え方が、日本でもようやく広まってきたように感じます。リカレント教育の概念の浸透やオンラインの普及により、学ぶ意欲さえあれば道はより開かれやすい時代になりました。数年前に参加した日本福祉大学のスウェーデン研修では、福祉や行政の現場を視察し、日本の医療福祉業界で働く社会人学生仲間との議論を通じて、自分の考えを深める機会を得ました。スウェーデン研修を通じて、どのような個性を持っていても、どのライフステージにおいても、不安なく生きることができる社会や、自分自身が社会に参加し続ける大人として育成される子供たちの教育に感銘を受けました。私は日本でも以下の3つのポイントの実現を願います。
1.年齢や子育てなどの状況に関係なく、学びたいと希望すれば学ぶ機会やサポートが提供され、学びを終えたら希望すれば元の仕事に戻ることも可能。
2.住むところの不安がなく、個々の心身の個性を尊重しながら、本人の希望や持てる力を活かす視点からのサポートがあり、不安少なく生活することができる。
3.飼犬を、職場やどこへでも連れて行けるような理解が整えられている。同時に飼い主がマナーやしつけを徹底することが実践される(人間社会の中で暮らす犬の幸せのために、仕事に連れていける環境だけではなく、飼い主のマナー意識がとても高くそれが普通であるということが素晴らしいと感じました)。
研修から帰国後、日本が北欧のような高福祉国家になることはまだ難しいと考えていました。財源や国民の意識形成など、さまざまな要素が関与しているためです。しかし、例えばコロナ禍の影響でオンラインシステムの急速な普及が起こりました。日本でも既存のシステムや手法に加えてデジタルツールを活用することで、学ぶ意欲さえあれば挑戦できる状況が近づいたように感じます。このように、何かのきっかけで急速な変化が起こるかもしれません。
日本は北欧のような高福祉高負担の国ではありませんので、残念ながら無償で誰でも何歳になっても学ぶことは難しい状況です。しかし、オンライン環境が整えばという条件が必要となりますが、時間や場所に制約されず柔軟に学ぶことができるようになりました。オンラインの学びは経済的な負担も抑えられる場合もあり、通学に比べてハードルが低いと感じます。周囲の協力を得ることで、自分の人生のステージごとの生活に合わせて学びやすくなったのではないかと思います。また、コロナ禍で職種によりリモートワークが普及したのはご存じの通りです。見方を変えると、スウェ―デンのように職場に愛犬を連れていくことはできなくても、リモートワークで自宅が職場になることで、同じような環境ができるのではと考えます。残るはどんな心身の状態になっても、住むところや生活の不安なく生きることです。これができれば、スウェーデン研修直後に日本でもそうなって欲しいと思った点が何かしらの形で実現できます。デジタル「も」活用することで、学びの機会は広がっています。あとは人の意識がどのように変わるかですね。
学びの場で得る多くのもの
日本福祉大学では、元々医療福祉現場で働く社会人向けのオンライン講義が普及しており、社会構想大学院大学ではリアルとオンラインを選べるハイフレックス講義で学ぶことができました。デジタルの恩恵を受けて、くも膜下出血で倒れた際も入院中でも大学の勉強を進めることができました。退院後も親の介護とフルタイムの仕事を続けながら、大学と大学院を卒業することができました。また、日本各地で行われたスクーリング授業にも参加しています。医療福祉の現場で働く学生仲間と一緒に、講義の内容や、職場や各地域の課題解決などについて実践的で真剣な議論を重ねました。業界や職種、地域、年代、立場を超えた交流はお互いを刺激し、自分の当たり前が相手の違和感であることにも気づかせ、課題解決のためのイノベーションのアイデアが生まれやすい場となりました。卒業後も、継続的な学習会への積極的な参加や友人との交流は続いています。すべての講義の内容は、当時の仕事やプライベートの活動にもすぐに応用でき、思考の幅を広げるものばかりでした。
小さな一例ですが、障がいや認知機能、自我機能について学んだ当時、顧客サービスの業務にも関わっていたため、職場に認知症サポーター制度の社員受講を提案し、自治体の協力を得て実施していただいたことがあります。当時は高齢のお客様との接客機会が多かったため、「認知症の症状やサポート方法を知る」ということは、高齢の方々が自分の思いを伝えやすく行動しやすい環境を作るために重要であると考えました。また「知る」ことで、働く仲間が自分ごとへ備えるための資産となればと思ったのです。受講後は、接客への実践だけでなく、高齢の方にも見やすい色やサイズを使った伝達デザインの導入や、多言語化だけでなく記号を用いた視覚情報から理解できる方法を参加者同士で話し合いました。これにより、言語にとらわれずに瞬時に理解できる伝達手段の実践に一歩を踏み出すことができました。
広報業務に携わっていたことや、発信することを長年公私ともに実施していたことから、構造的に広報を学ぼうと入学した大学院では、グループディスカッションや発表が頻繁でした。オンラインツールを活用して限られた時間内で異なる国籍や業界の学生同士が資料作成やディスカッションを行うこととなりました。このような経験は即座にビジネススキルとして応用できました。また、講師陣は各分野で活躍する第一線の方々です。社会人に教えることを意識された講義は、情報収集から考え方、実践まで、まるで自社のTOPの直属となり叱咤激励されているかのような錯覚を覚える、非常に自分ごとに出来る有意義なものでした。単位にはなりませんが教授にお願いをし、2年連続同じ講義や関連するものを受講したこともあります。2回受けることでしっかりと腑に落としたかったのです。大学院1年次と2年次では広報から人事へと異動し業務が変わり視点も変わっていたので、2年次は、同じ講義を受けても新しい発見がありました。自分が変われば繰り返しの学びであっても気づきも増えることを経験しました。自分の業務範囲に関連する社内研修や情報収集は社会人の経験によって増えていくものですが、他の部署や業界のトレンドやノウハウに触れる機会は意識的に創出しなければなかなか得られません。大学院の講義を通じて第一人者から学ぶ経験は、書店で偶然出会う本のように、新たな発想を生み出す源となりました。こうして大学院での学びは楽しいだけでなく、仕事や人生全体の視野を広げるものであり、考え方や行動の幅も拡大させました。
実は大学院在学中と卒業直後に身近な家族が2人それぞれ末期がんとなり、介護をして見送ることとなりました。介護の日々は、できるだけ元気で長く生きてもらいたいと栄養摂取に力を入れ、何をすれば家族の気持ちが晴れるかを考えることから始まりました。抗がん剤の副作用で悩まされた日々、スーパーで食品を選ぶ際には、一口でもよいから食べられるものを見つけるよう努力しました。同時に、仕事にも全力を注がなければならず、コロナ禍で社会が厳しい状況にある中、雇用される状態を守るためにも一生懸命働きました。大切な家族を失い、長年信頼していた人々との絆を断たれる出来事もありました。そのような状況で、初めて一人になった直後にやらなければならないことがあったことに本当に救われました。泣きながらもやらねばならない、今日明日が締め切りの大学院の講義や提出物、そして仕事。目の前の講義を受けることで、少なくてもその時間だけは悲しみや絶望から立ち返ることができたものです。この失意の底の時は、さすがに食事が取れなくなっていました。そんな時、とても心のこもったメッセージとともにフルーツポンチやスープを学びの場で出会った友人が送ってくださいました。その一口と友人が寄せてくれた気持ちをきっかけに、少しずつ体と心が栄養を受け入れるようになっていきました。少し食べられるようになると、その他の友人たちの気持ちにも目を向けられるようになります。朝昼晩、ちゃんと生きているか、生存確認をしてくれて見守ってくれた友人たち。ただ、「おはよう」「仕事お疲れさま」「おやすみ」何でもないいつもの言葉を家族のように途絶えることなくかけてくれる。私自身も自然に出来るようになりたいものです。私はとても弱い人間です。こうして学びそのもの、そして学びの場でできた友人たちのおかげで生かされています。
学びの旅をご一緒に!
インターネットやそこで可能になったオンラインプラットフォームの発展により、私たちは時間や場所に縛られることなく、自分自身を学びの舞台に置くことができるようになりました。自分が行動をおこせば、世界中の専門知識や経験を得ることができるのです。学びは一生の旅であり、終わりがないものです。私自身も、一つの学校が終わったからと言って学びを止めるつもりはありません。むしろ、さらなる知識とスキルを磨くために、自己啓発を続ける覚悟とワクワクする気持ちを持っています。
学びの旅を通じて得た知識や成長は、無形の価値として人生に深く関わってきます。無形の価値とは、物質的な対価では計り知れないほどの豊かさや充足感があります。学びの旅においては、知識やスキルの習得だけでなく、内面の成長や自己啓発、他者への貢献など、目に見えないけれども価値の高い要素が存在します。かけがえのない友人や恩師との出会いもまた無形の価値です。私自身の学びの旅を通じて得た知識や成長のエピソードを通して、ご覧いただいた方々にも自分の人生のための新たな可能性を感じていただければ幸いです。
ここまで、リカレント教育を実践してきた経験やその効果についてお伝えしてきましたが、最後に心からのメッセージをお届けしたいと思います。
私の小さな経験が、あなたの学びのモチベーションや自己成長への意欲を高めるきっかけとなれば幸いです。新たな知識と経験を積み重ね、自分自身の可能性を広げていくことで、人生がより豊かで充実したものとなることを心から願っています。
こちらではまだまだ話しつくせない、学びの旅話が沢山あります。例えば社会構想大学院大学の話も講義ごとのエピソードがありますし、日本福祉大学も卒業後に続いている教授のフォローアップのおかげで更新し続けている学び、日常で出会った人からの学び、自分自身で気になって開始している学び。また、趣味に関することも。いつかご縁がありましたら、無形の価値の雑談を皆さまとご一緒させていただけたら嬉しく思います。その時にはあなたの学びの旅のエピソードもよろしければお聞かせください。
どうぞ健康で、あなただけの豊かな人生を!