伊勢 博美(いせ ひろみ)

コミュニケーションデザイナー

伊勢 博美
  • 2022年 社会情報大学院大学広報・情報研究科(現: 社会構想大学院大学コミュニケーションデザイン研究科) 卒業
  • 2020年 日本福祉大学 福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科 卒業
  • 卒業後も続けている学び
    • 福祉国際比較(スウェーデン)、スーパービジョン、災害とソーシャルワーク
  • 所属学会 
    • 日本予防医学会(認定資格:予防医学指導士、メンタルヘルス相談士)/広報学会
  • 所属団体 
    • NPO法人ZESDA(グローカルビジネスをプロデュースする、パラレルキャリア団体)
  • その他
    • 日本政策学校 第8期生/GR人材育成ゼミ 第1期~2期生/ペットの救急PetSaver国際認定資格 First Responder、Emergency Rescue Technician、災害救助犬用ペットセーバー

私の人生は、常に新たな学びと成長の旅でした。それはリカレント教育という概念に近いと思います。私は伝統的な教育システムにはしばしば違和感を覚えていました。一度学校を卒業すると、多くの人々が学びを終えたと考える傾向がありますが、そのことに疑問を抱いていました。なぜなら、人間の成長や進歩は終わることなく、常に新しい知識やスキルを獲得する必要があるからです。

私は、これまで新しい分野に飛び込むために必要な知識やスキルを持っていなかったため、学校を卒業した後もずっと学ぶ道を選んできました。その過程で、リカレント教育という考え方に出会いました。
リカレント教育は、人生のあらゆる段階で学びを続けることを奨励するアプローチです。このアプローチでは、学びが終わりのあるものではなく、一連の継続的な経験として位置付けられます。リカレント教育を受けるには、自己学習、現場実践、オンラインなど、さまざまな形態があります。自分にあったスタイルで学び、知識や経験を通じて、自分自身や世界に対する新たな視点を得ることができます。この後は、私がリカレント教育を実践し、影響を受けた経験や洞察について語らせていただきます。私の学びの旅を通じて得た知識や成長のエピソードを通して、読者の方々にも自分の人生のための新たな学びの可能性を感じていただければ幸いです。

会社員と写真家の経験から得た学びのきっかけ

私は会社員としてグローバル企業で営業から顧客サポート、WEBマーケティング、開発、広報、人事の経験を積んできました。どの分野の業務でも、個人で学んだことや視点がすぐに応用できるため、新しいやりがいを感じながら働いてきました。長く会社に所属しているにもかかわらず、いつも新鮮な気持ちでいられるのは自分自身が変化しているからかもしれません。

一方でプライベートは別名義での写真家活動をきっかけに、長年仕事で培ったコミュニケーション力を活かした地域貢献や、人々の繋がりに焦点を当てたコミュニケーションデザインの場で活動をしています。中でも宮崎県高原町の社家に代々伝わる真剣を用いた神事と祓川神楽(はらいがわかぐら)の撮影にはご縁があり、東京と宮崎で個展やシンポジウムを開催しました。フランスのアルル国際写真フェスティバルでは、祓川神楽をモチーフとした人の繋がりについて制作した作品のレビューを受け、日本の神事や伝統への理解を世界に伝える方法について考える機会を得ました。

宮崎県高原町の祓川神楽
宮崎県高原町の祓川神楽
宮崎県高原町の祓川神楽
宮崎県高原町の祓川神楽

この経験を通じて、日本の環境や歴史背景について更に学び、対外的な紹介や表現方法について考える事となったのです。作品を通じて多くの方に日本の神髄を伝えるために掘り下げてゆくなか、霧島の自然、人と神々の歴史について学びました。休暇を全て使い神楽の奉納時期以外も通い続けた高原町では、神楽を通じて地域コミュニティの重要性を再認識しました。その経験から第二の故郷となる宮崎県高原町だけではなく、自分の生まれ育った神奈川県の海辺や他の地域においても、何かできることはないかと考えるようになっていきました。そして地域コミュニティのために何か役に立ちたいと思うようになり、何かを具現化するために地域の社会課題解決について学ぶことになります。地域の社会課題解決には、自治体の動向や上流からの指針をよく理解する必要があると感じ、政治に関わる人を多く輩出している日本政策学校で政策について学びました。また、地域課題解決のための良質で戦略的な官民連携の手法であるGR(ガバメント・リレーションズ)を学ぶことができる日本唯一のゼミ、元横須賀市長 吉田雄人さんがゼミ長を務めるGR人材育成ゼミ( https://graj.org/seminar/) で、2期にわたって地域の社会課題解決に取り組むための実践的な学びの機会を得ました。このGR人材育成ゼミでのご縁から、大学院での研究や、NPO法人ZESDAの活動にもつながっていきました。

GR人材育成ゼミ修了式 吉田雄人ゼミ長と
GR人材育成ゼミ修了式 吉田雄人ゼミ長と

このようなプライベートの話をすると、なぜ仕事とは別に勉強や活動をしているの? 勉強費用や時間も経費で出してもらっているのでしょう。そんなに幅広く学ぶなんて、どんな仕事をしているの? とよく言われます。どうも学びや自分のスキルを活かした社会貢献活動は、仕事として会社のコストでやるものという認識の方が多いような気がします。私の場合はプライベートの時間を使い、自分の人生に必要なことを少しずつ自分に投資をしているだけなのですが。このような無形の価値を皆にお伝えするのは、中々難しいことだなと感じています。

同様に「仕事が忙しい人」のレッテルを貼られることが多いのも、時々モヤモヤするポイントです。せっかくいただいたお誘いが別の予定と重なるときには、正直に事情をお話ししてやむを得ず辞退をすることがあります。正直にお話しすぎなのかも知れませんが、休日に一つだけの趣味や、家族との予定ではない何かをしていることを理解いただけず、「仕事が忙しくて大変ですね」の一言で終わることもあります。もちろん、自分から仕事とは一言も言っていません。本当に仕事ではないので……。

「忙しいと言うのは心を亡くしている状態と自ら言っているようなものだ」と、ずいぶん昔に聞いたことがあり、自分では忙しいと思わないようにしています。予定があることを伝えて「忙しい人だね」と言われると、そう見えるのは私がまだまだなのだと反省します。実際のところは、予定が集中することもありますが、比較的のんびり楽しんでいるため、忙しく感じることはほとんどありません。考えることが多い時は、富士山を見ながらキャンプをして焚火を楽しんだり、愛犬と海や山の時間を楽しんだり、自然と向き合う場所でコーヒーをいれる朝の時間を過ごすなど、非常にゆっくりとした時間を過ごしています。こうして自分に集中することでリラックスし、余計なものを取り払ってバランスをとっているのでしょう。

死に直面する体験から

最近、人生50年を生きた振り返りをしていて、気がついたことがあります。無形の価値こそが、人間が死ぬ間際に唯一持つことのできるものであり、どんな時にも自分を支える非常に重要なものだということです。

皆さんもご存知の通り、死は誰にも必ず平等に訪れるものです。私自身も8年前、トライアスロン大会を目標にしたスポーツトレーニング中にくも膜下出血で倒れました。まだまだ先のことだと思っていた「死」に突然直面してしまったのです。トライアスロンは忙しい経営者の方々も多く参加されるスポーツであり、海外では年齢ごとのレースもあり、幾つになっても楽しむことができると聞いています。ゴールを達成するために自分自身の力の配分やメリハリのバランスを学べるスポーツだと考え、トライアスロンに注目しました。トライアスロンを通し、仕事の力配分や取捨選択の考え方を学べると思ったのです。各分野のプロに教えを請い、練習や模擬レースに取り組みました。しかしバランスをとる前に頑張り続けた体が限界を超えてしまい、強制終了がかかってしまったのです。この経験は私に予防医学を学ぶきっかけになりました。高血圧だったわけでもない。親の健康や介護の経験から、健康な食事や運動に気を使っていた自分でも40才過ぎで重篤な病気になってしまった。ということは、誰にでも起こりうるのではないか? きっと自分よりハードに、寝る間も惜しむように働いている方、子育てと仕事の両立で睡眠が不足している方、仕事と家庭の両立で頑張り過ぎている方も多いはず。それならば、病気を発症する前に間に合うことがあるはず、頑張っている誰かの健康のために、自身の経験が役に立てることはないだろうか。未然の備えで防げる死もあるはず。皆に長く健康で豊かな人生を歩んで欲しい。このような思いを抱え、日本予防医学会に入会し、最新の研究論文や知見を学び、予防医学指導士とメンタルヘルス相談士の認定資格を取得しました。こちらは学会が発信する情報に触れたり、毎年学会へ参加することで、予防医学の動向や最新の知見に触れ知識をブラッシュアップしています。

話は倒れたころに戻ります。生死をさまよい朦朧としていた間、周囲の医療従事者たちの声も聞こえていましたし、自分に起きていることについて考えも巡らせていました。親の闘病や介護を通じて学んだ知識で自分自身の身体に起こっていることを客観的に頭から足の先までチェックしていました。そしてまだ生きられると感じたこと。また、社会人学生として大学に入学したタイミングで、やるべき勉強や、これから挑戦したいと考えていた仕事のテーマが頭をよぎりました。私にはまだやるべきことがある、生きなければ! と強く願い、生きてやるべきことをやると神に誓いました。完全に目覚めると医師に積極的にリクエストし、許可が出ると早期から食事や歩行を始めました。自分の身体の力を信じて損傷した箇所を他の神経が補ってくれるようにイメージしました。そのおかげかはわかりませんが、発症早期にでていた後遺症の症状は次第になくなってゆきました。しかしこう見えて心配症な私です。起きてもいない入院中の死や後遺症といったネガティブな想像に、一人では不安に押しつぶされそうになります。支えてくれる友人や家族の存在がとても大きかったです。それでも再手術直前にはとうとう耐え切れなくなりました。それまで座禅でお世話になってきた、源頼朝公創建 三浦一族ゆかりの禅寺、横須賀にある満願寺の永井 宗直(ながい そうちょく)和尚に電話をしました。和尚の力強い「大丈夫!」の言葉をいただき、安心して手術室で眠りにつくことができました。私は本当に助けられてばかり、誰かのおかげで生きています。いつも心を寄せてくれた方の笑顔を思い出し心から感謝をし、生かされた残りの人生は誰かのために時間を使いたいと思う日々です。

 100日を超える入院中のルーティンは、朝コーヒーと読書
 100日を超える入院中のルーティンは、朝コーヒーと読書

入院中に始まった大学は、経済的な理由で進学を長い間諦めてきた私には、憧れの学びの場でした。仕事でも学歴が収入や待遇に悪影響を与えるという不満を数十年抱えていました。メンターのような存在の社長が「大学に行きたいなら行けばいいじゃないか、行きたいのになぜ行かないのか」と言ってくれたことで、私の心の中にクリアな光が差し込みました。数百万円の学費の準備や受験勉強、学生期間の4年以上の無職を覚悟することができない、キャリアがストップしてしまうなど、進学を先延ばしにしていた不安が消え去った瞬間でした。本当に大学に行きたいのなら、できない理由を探すのではなく、可能な道を見つけるべきだと思いました。それ以降、経済的な負担が少なく、フルタイムで働きながら卒業できる大学や、親の介護や地域の社会課題解決など、当時の私に必要な学びができる大学を探し求め、私は日本福祉大学の医療・福祉マネジメント学科に入学しました。

また、学ぶということは、生きやすくなり、人生が豊かになることではないかと、私は自分自身や周囲の社会人学生仲間の様子から実感しています。学ぶことによって、自分の独自の価値観や行動が広がっていきました。これまでと同じ仕事や人付き合いをしていても、見え方や出来ることが変わり、新しい発想がわいてきます。これまでと同じ道なのに楽に通れる、ノイズが気にならなくなる、もっと良い道に気が付くなど、生きることがとても楽になりました。私を支えてくれた友人たちの中には、通勤前に参加した「丸ノ内朝大学」という社会人向けの体験や学びの場で出会った方々、そして体験型の農園で出会った方もたくさんいます。皆、輝いていて、オンラインやリアルで交流をするたびに、私は刺激をいただきます。学びから広がった生涯のご縁、大切にしていきたいものです。