映画監督 松井久子氏

2018年3月24日(土)、映画監督の松井久子さんの講演会を開催しました。

現在までに5作品を生み出された松井さん。2作目である『折り梅』は劇場公開の後、全国で活発な自主上映会が行われ、2年間で100万人の動員を果たしました。そんな彼女のライフヒストリーについてお話を伺いました。以下、レポートをお届けします!

松井久子 氏 講演会のようす

「仕事運に恵まれていた」と語られた松井さんのキャリアスタートは、フリーランスのライターでした。たまたま大学時代の友人の雑誌編集者に声をかけられ、料理ページの担当をするように。その後、大学時代に演劇を専攻されていたこともあり、俳優へのインタビューも担当するように。女性のライターは当時珍しく、どんどん仕事をもらえるようになり、有名俳優たちからインタビュアーとして指名されるまでに至ります。

しかし、仕事が軌道に乗ってきた頃、「これを一生の仕事にするのは違う気がする」と思うように。するとある俳優から、「新しく事務所を立ち上げたいからマネージャーをやってみないか」と打診されたのです。人から「あなたに向いている仕事だから、やってみたら」と言われると、素直に「よし、やってみよう」と思うのが松井さん。マネージャー経験はありませんでしたが、新たな世界に飛び込みました。当時33歳でした。

そして、マネージャーとしての仕事もどんどん評価されるようになってきます。新しい仕事を初めて数年間は、目の前のことをとにかく精一杯やって、プロとして仕事ができるように努力するのが大事だと語られました。でも、8年くらい経ってくると、「私はこの仕事を今後もやりたい?」という自問自答をするようになるそう。当時、マネージャーとして俳優の様子を見に行くと、現場では監督を中心にみんなが一丸となって良いものを作ろうと仕事をしていますが、マネージャーという立場だとどうしても「部外者感」が拭えなかったと言います。そんな時にふと湧いてきたのは、「私はものをつくる仕事がしたいんだ!」という思い。学生時代に演劇を学び、脚本を書き、時には自分が演じることもありました。その経験が忘れられず、「自分のやりたいことをやろう」と決意し、39歳の時に映像制作会社を立ち上げます。

当時の日本では2時間ドラマが流行っていました。視聴者の多くは主婦を始めとする女性たちでしたが、製作者は皆男性ばかり。そんな現状の中、女性のニーズを捉えた松井さんのドラマ企画はどんどん通り、40代の10年間で、40本ほどの単発2時間ドラマを制作。

しかし、あまりにも過酷な仕事環境に疲労すると共に、どんなに一生懸命作っても、たった一晩放送されると終わってしまうドラマの世界に、「これを一生の仕事にすることはできない」と思うように。そんな時に降ってきたのが、「映画だったらどうだろう?」というひらめきでした。

松井久子 氏 講演会のようす

未経験、資金もなし、後ろ盾もなし……そんな状況から「どうしても映画を作りたい」と立ち上がった松井さん。その思いを胸に行動を続けた結果、3年間で2億円を集めることに成功しました。そして日本人女性監督初の日米合作映画として作成されたのが、最初の作品『ユキエ』でした。

その後も活動を続け、3作目の『レオニー』では13億もの制作費を集められます。「女性としての体験から学んだことを、映画作品に昇華すること」が自分の喜び。そんなモットーを貫いて作られた松井さんの映画は、多くの女性たちの共感を呼んできました。まさに、「道なき道を、自分で切り開く」「自立する」という言葉を実行に移しながら、人生を歩まれてこられました。

講演の最後に参加者の皆さんへのメッセージをお願いすると、「私の経験は私のものです。皆さんに何よりも伝えたいことは、『自分の頭で考えること』。だから、『メッセージを信じないで下さい』という言葉を贈ります」と、最後まで「自分で経験し、学ぶこと」の重要性を伝えてくださいました。


主催:NPO法人JKSK(女性の活力を社会の活力に)女性100名山プロジェクト
共催:なでしこVoice

女性100名山記事

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