相原 靖子(あいはら やすこ)
木彫人形

- 1938年東京神田明神下 生まれ
- 1941年 疎開
- 1945年 終戦
- 1956年 石州流成瀬派にて茶道の稽古を始める
- 1969年 全日本人形師範会 人形美術協会師範 相原緋靖として人形をつくり続ける
- 1995年 茶名 雅甫堂彰雲として茶会を通じ、さまざまな方々とのご縁をつくる
- 2007年 松久宗琳芸術院 截金彩師 松久真や先生、松久宗琳仏所代表 仏師、仏絵師 松久佳遊先生に師事
木彫人形に始まり仏像、仏画に截金を施す作品づくりへと活動を広げる - 2025年 個展開催
昭和13年、東京の神田明神下 神田同朋町生まれの私は気づけば戦中、戦後、日本が一番貧しい時代に育ちました。今日、生きているのは何かを食べさせていただいたからこそで、感謝の他はありません。幼少時代の体験は後の人生に深く関わっていくと思います。子供は大切に育てることを胸に刻んだのは、この頃の体験からでしょう。
戦火に消えた私の雛たち。8歳の折、友人の棺に納めた市松人形の愛らしさ。友に寄り添ってくれた人形からもらった安心感を忘れません。そして、品があり、情のある内面的な美しさや優しさを表現したい、人がこころ和む作品をつくりたいと思いながら今日まで制作を続けてまいりました。
ひとつのことを究める道筋で、その時々に心惹かれるもの、こと、そして人に出会い、興味を抱く。それは、ちょうど大樹の幹のようにさまざまな方向に大きく枝を広げ、地中に根をはるように、心を豊かにすることだと思います。歳を重ねてゆくうちに、振り返ってみると異なる経験が一本の道筋、一本の幹と交差して、人生を鮮やかに彩っているのです。
茶道、生け花は母の影響、登山は母方の叔父の影響です。叔父に連れられ10代から北アルプス立山、剣岳から始まる縦走路を何度も巡りました。日本の山々は神の住む端正で美しいものです。山に向かう精心、そして美しいと感じる心を育んだのはこの頃です。そして20代にはアルプス登頂を目指しトレーニングを始めることになります。
18歳より茶道石州流 福田祥雲先生より指導を受け始めました。師は物静かで凛とした方で「茶の道は剱の修行と同じです」と、「かまえ(心身の姿勢)」を厳しく指導されました。
一服の茶をたてるために経験と努力を積み重ねて美しい手前ができるようになるのです。雅甫堂彰雲の茶名をいただき、これまで数々の茶会を楽しみ、さまざまなご縁を紡いでまいりました。ご縁は、幹から伸びた枝に茂る葉のように、私の目指す凛とした内面的な美しさ、優しさの表現に大きな影響を与えています。
23歳 結婚にあたり、
父からは、真心(ものごとの中心)を忘れないように
母からは、大車輪はゆっくり廻り出す
祖母からは、5本の指が揃った家はない (つらい時は自分に課せられた試練と思い耐える)
という言葉をもらいました。結婚とともに、これまでおこなってきたことを全て断念した私にとって、この言葉は今にいたるまで、迷路、岐路に立たされた時の指針となっています。
心を浄化するプロセス - 木彫人形づくり
嫁ぎ先で、仕事と幼い子供を抱え、全てを断念しながらも、悲しみ、怒り、負のエネルギーを浄化してくれたのが、人形制作でした。
そして、30歳より全日本人形師範会 人形美術協会師範 相原緋靖として人形をつくり続けています。福田啓助師、長田良夫師より受けた指導は、今でも作品づくりの宝となっています。
その時々に心惹かれるものを、木彫技術をとおし舞妓、御所人形、雛、子供の情景などのさまざまな人形として表現できるようになったのですから。



その中でも、幼少時代から深い思いのある雛人形は、数々制作してまいりました。鳥取には雛送りの行事として「用瀬の流し雛」があります。無形文化財に登録されている町を上げてのひな祭りです。雛人形を乗せるための藁で丸く編んだ桟俵の上の雛は、川の流れにのって流れていきます。「来年もまたね」と心の中で見送ります。町の家々に飾られた雛があり享保雛、次郎左衛門雛、有職雛、古今雛などを見せていただきました。この見学会がご縁で我が家での雛祭り茶会、雛づくりが続いてゆくこととなります。
人との出会いに心が開かれることが何度かあります。高尾山での茶会には沢山の教えをいただいた尊敬する先輩、その時々に迷路から脱出し、一歩ずつ前に進むきっかけをつくってくださった方々がいらっしゃいます。
念ずれば通ず - 截金との出会い
雛人形の制作にあたり、思い通りの着物の柄や質感、配色を得るために腐心した時期が長くありました。

念ずれば通ずの如く、69歳の暮に念願の截金にたどりつきました。松久宗琳芸術院 截金彩師 松久真や先生に截金を、松久宗琳仏所代表 仏師、仏絵師 松久佳遊先生に仏画をご指導いただき、十数年 少しずつ勉強させていただきました。
截金は、金箔等を数枚焼き合わせ、細かく直線状に切ったものを、2本の筆を操作して文様を表現する伝統技法です。日本には7世紀半ば大陸より仏像彫刻や仏画とともに伝わったと言われています。法隆寺所蔵の「玉虫厨子」に小さな長菱形の截箔が施され、国内で現存する最古の截金作品とされており、今もあきない截金の美しさに惹かれています。
親王飾りの雛人形への截金彩色から始まり、仏像、仏画の世界へと導かれ、人生の樹に新たな一枝が生まれました。

仏像への装飾のみならず、如意輪観音、大日如来、毘沙門天といった仏画の截金仕上げ、般若心経や延命十句観音経などの経を截金で描くことは、まさに心洗われる経験でもあります。麻紙、絹布、麻布、木板上と多様な素材の上に仏の姿や経を描いている自分の姿が、伸びのびと枝を広げ、しっかりと地に根を下ろした大樹となっていたら、これほど充実した人生はないでしょう。




87歳になる今年、夫の一周忌を迎えるにあたり、子供や孫が私の作品展を催してくれました。50年間 少しずつ、つくり続けた作品を観ていただく集大成でした。期待以上に多くの方々が足を運び、作品を楽しんでくださったこと、これを機にまた雛人形制作の教室を始めること、多くの方のお力添えがあっての行事で感謝の気持ちで一杯です。
好きなことを充分させていただいた私の人生、最後まで楽しかったと思えるよう、今を過ごしています。
撮影:人形(立体) 青山紀子/仏画截金仕上げ謹写 松久真や
