高橋 ゆき(たかはし ゆき)
株式会社ベアーズ 専務取締役
- 1969年、東京都生まれ。
- 1989年、都内短期大学卒業。IT関連会社に就職。
- 1990年、出版社の広告営業・企画部門へ。香港にて1ヵ月半、取材旅行を行う。
- 1995年、商社のマーケティングマネージャーとして香港に4年間滞在。
- 1999年、株式会社ベアーズ専務取締役就任。現在に至る。
- 2002年、家事研究家としての活動開始。1男・1女の母。
- 2015年 家事大学設立 学長就任
私は、株式会社ベアーズの専務取締役として家事代行サービス会社を経営しています。1999年に夫と小さなマンションスペースから二人三脚で始めたのですが、15年経った現在では東京本社を拠点に、北海道から九州地方まで全国の地域で私たちの家事代行サービスをご提供できるようになりました。
家事代行サービスに留まらず、家事代行サービス市場を創り“日本の暮らしの新しいインフラ”になれますよう日々心を込めて命がけでこのサービスを提供しています。それはもう、毎日が喜怒哀楽のすべてがギュッと詰まった鍋料理のような状態です。
香港で働き始めて、赤ちゃんができて・・・
この家事代行サービスをはじめたキッカケは私たち夫婦の原体験にありました。
1995年、私は、とある香港企業の社長さんから声をかけていただきご縁あって香港で働くことになりました。夫も同じ会社で働くことになり、夫婦で香港へと渡ったのですが、働き始めて数ヶ月で嬉しいハプニングがありました。それは、私の妊娠が発覚したのです。本来であれば幸せなことなのですが、当時の私はまだ心が未熟で「せっかく香港の社長が採用してくれたのに申し訳ない」と思ってしまいました。
同じ頃の日本では、働く女性は「結婚」は職場の上司や同僚から祝福されますが、「妊娠」したとなると祝福はしてくれてもすぐに後任を探したり、女性の職場復帰など考えられる時代ではありませんでした。もちろん、東京のど真ん中でOLをしていた私もそのような寿退社をする女性先輩をたくさん見てきたので、私も香港で日本と同じように社長に残念な思いをさせてしまい、場合によっては日本に帰るように言われてしまうのではないかと思い、妊娠6ヶ月まで夫以外に香港内では誰にも妊娠を打ち明けられずにいました。ところが6ヶ月もするとお腹が当然目立ってきますよね。そんなとき社長に「血色も良いし健康な体で、香港の水と空気がゆきに合っていて嬉しいよ。」と声をかけてくれたんです。
もうここしかないと思い、妊娠を打ち明けると社長は手を握って抱き寄せて、とっても喜んでくれました。そして「君はもっと素晴らしい仕事が出来る女性になるね。」とおっしゃったのです。私は、両親も友達もいない異国の地でどうしたらそれが実現できるのか聞きました。すると、香港ではフィリピン人メイドがたくさんいて、香港人家庭の仕事と子育ての両立をサポートしてくれているんだよと教えてもらいました。しかもそれは富裕層ではなく若いカップルが当たり前に使う香港の習慣として根付いているということを知り、ある意味カルチャーショックを受けました。
素晴らしいメイドに出会った
香港の風習に習い、私たち夫婦もさっそくフィリピン人メイドを雇いました。
スーザンという私より5歳年上の女性でしたが、すでに男の子のお子さんがいる“お母さん”でした。スーザンは私たちの家の中の家事を全てホスピタリティ精神高くサポートしてくれました。子育て経験のある彼女からは、赤ちゃんのサインや子育ての秘訣など、初めての育児で不安な私の心にも寄り添ってくれました。そのおかげで体力的にも精神的にもとても助けられました。
日本に戻って第二子を。あまりに違う日本の子育て事情
結局香港には約4年間住んでいたのですが、1999年日本に戻ることになりました。そして東京で第二子を出産したのですが、私は日本でも香港のとき同様に若い夫婦でも気軽に使えるスーザンのような存在のサービスが受けられると思っていました。しかし当時の日本には富裕層でないと雇えない家政婦さんやお手伝いさん、もしくは、専門清掃のハウスクリーニングしかありませんでした。仕事、育児、家事をすべてひとりで両立することになってしまい、東京で専業主婦暮らしの私は疲れきっていました。そんなとき夫が私の顔を見て一言、「お前ブスになったな。」と言ったのです。ブスということは笑顔がなくなったということだったのですが、日本には香港で受けたようなサービスがない。と、言うと夫は黙り込んで考え、「無いなら創ろうよ。」しかも「産業を創ろう!」と言いました。これからの日本がもっと成長していくためには女性の活力が必要だし、そうなれば女性が社会にもっと進出するような日本になるからそのときに自分たちが香港で体験したようなサービスが使えないと日本の女性が困る、女性たちが生き難ければ男性も子どもたちも困るから・・・ということで私たちは1999年ベアーズを立ち上げました。
夫と2人新たな産業を立あげる!
最初は、とにかく大変でした。「家事代行」という言葉も概念もなかったのでチラシを出しても、スタッフ募集を出しても家事代行がどんなものなのかわからないのです。私は家事代行の必要性を語り歩くことをひたすら続けました。「一度きりの人生、愛する家族やパートナーのために最高の笑顔でいて欲しい。家事や育児、仕事に忙しく、気忙しい中で女性が笑顔をなくしてしまうのは残念。そんなときこそ、暮らしをサポートする家事代行サービスがあったら使ってみたいですか?」友人、知人ひとりひとりに聞いて回ったんです。そうして少しずつ口コミが広がりお問い合わせがくるようになりました。なかなかうまくいかないことがあっても絶対に諦めない志が私たちにはありました。なぜなら、私自身がスーザンがいてくれたおかげで育児がつらいなんて思ったこともないし、笑顔のママでいれて、優しい妻でいれて、身なりを整えて会社では自分の仕事を滞りなくこなしていくことができた。という原体験があったからです。そして、日本でもこのサービスが当たり前になる光景が私たちには見えていたから、どんなに苦しくても失敗しても落ち込んでもまた立ち上がってこられたのです。『悩むより考える。後悔するなら反省する。』これが私のモットーです。また私に最も影響を与えてくれたのは9年前に他界してしまった父です。父の言葉はいつも私に元気と勇気と愛を与えてくれ、そして今の私が在ります。これは私が17歳のときに父が私にプレゼントしてくれた言葉です。
【明日の太陽はだれにも必ず昇ってくる、だから時に立ち止まり反省することはあってもメソメソしたり悲しんでいる時間はもったいない。人生はあっという間だからね、後悔しないよう前を向いてしっかり”自分らしく”歩め!そして、必ず他人のために生きれる人間になるために、自分を大切にするんだよ】
現在、私が“わたしらしく”いられるのはこの父の言葉のおかげだと思います。
感謝と笑顔でこの道を邁進
そんな私の座右の銘は「人生まるごと愛してる」です。家族も友人もお客様も社員もスタッフも、心の底から愛したい。命に感謝をして、“今ココ”をイキイキと生き抜く。ダメな日も、素敵な日も、辛い日も、嬉しい日も全て私の人生。だから一度きりの人生夢に向かって笑顔で邁進していきたいと思います。このことが私のご先祖様、生み育ててくれた両親、そして、今日まで出逢った全ての皆さまへの恩返しだと思っています。
今この瞬間、ご縁あってこの私の想いをご覧くださっているすべての皆さまの愛する心と笑顔がますます輝きますように。いつかどこかでお逢いいたしましょう。