溝口 あゆか(みぞぐち あゆか)

心理セラピスト

溝口あゆか

心理セラピスト
早稲田大学第一文学部美術史卒。日本で10年の会社員生活を経て、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ芸術運営学修士号。 Center for Counselling & Psychotherapy Educationにて心理カウンセラーの資格を取得。EFT(感情解放のセラピー)マスタートレーナー、また日本人唯一のMatrix Reimprinting(EFTを発展させたセラピー)トレーナーでもある。また、「インテグレイテッド心理学」を提唱し、非二元(悟り)の観点からの人間の心のしくみを教えている。一般社団法人ハートレジリエンス協会の代表理事を務め、被災地でのメンタルケアプロジェクトなどの活動も行っている。「こころがスーッと軽くなるさとりセラピー」(大和出版)など著書多数。


アートからセラピーへ
ロンドンでの迷いと発見の日々

1996年春、ロンドンの爽やかな風の匂いを感じながら、私の心はこれから学ぶ学問にウキウキしていた。アートマネジメントという、当時、世界では3つの大学しか教えていない新しい分野であり、私が通うことにしたロンドン大学でも、私はその第1期生であった。子供の頃から美術が大好きであったが、才能に恵まれなかったため、芸術家になることは早々にあきらめていた。その代わり大学では美術史を学び、そしてゆくゆくは日本の芸術振興にかかわっていくのが夢であった。
そのため、ロンドン大学の修士課程に合格したときは、ほんとうの夢の始まりだと心の底から嬉しかったのである。ところが、1年後私はまったく混乱の中にいた。ロンドンでの生活や久しぶりの学生生活を堪能し、英語の壁はありつつも、とにかく楽しい日々であった。
ではなぜ私は混乱していたのか?それは、芸術政策が日本よりも圧倒的に進んでいる欧米から学べる!という理想と裏腹に、イギリスアート界のしくみ、ヒエラルキーが色濃く見えてきてしまったからである。
そこは才能があるアーティストではなく、自分を売ることが上手なアーティストたちや、それをとりまくビジネスが渦巻く世界だったのである。芸術政策の上層部は、そんな世界を這い上がってきた面々で占められていた。ナイーブだった自分にあきれたが、それでも失望感が薄まることはない。
しかし、本当に混乱していたのは、アート界への失望というよりもアートの仕事そのものへの情熱が薄れてきてしまったことであった。そして、その代わりイギリス滞在中に触れたセラピーへの憧れがむくむくと大きくなっていたのである。
もともと健康おたくでもあり、いろいろな健康雑誌や本を読むのは好きなほうであった。なので、ロンドンの街角で健康食品店などを見かけると、つい用もないのにお店に入り、いろいろ物色していたものである。
お店には日本では見たこともない商品がたくさん陳列されてあり、また壁には様々なセラピーの張り紙があった。ロンドン中のセラピーの講座やセラピストの連絡先が掲載されている無料の月刊誌などもたくさん置いてある。それらを自分の部屋に持ち帰っては隅々まで読んだりしたものであった。
そこに掲載されているセラピーは日本ではまったく聞いたことがないものばかりで、イギリスでは明らかにセラピーが盛んな様子であった。そうこうするうちに読んでいるだけではあきたらなくなり、興味を引いたものや面白そうなものを受けに行くようになっていったのである。
初めて受けてみたセラピーはどれも私の目を開くものばかりであった。自分ではまったく気がつかなかった隠れた感情や思いがあぶりだされ、そしてそれらが癒されていった。気持ちがこんなに晴れやかになったり、安堵感で満たされるような、こんなに素晴らしいものをなぜ今まで知らなかったのかと深く驚くばかりであった。

セラピーを志すまでの葛藤

そんなセラピーでの実体験が増えていくとともに、アートへの情熱はどんどん冷めていいった。なんとか修士課程は終えたものの、私は複雑な気持ちのまま帰国することとなった。
実家に帰ってからしばらく、私はなにもせずただぼんやりと過ごしていた。両親は当然私がアートの世界で仕事を見つけてくるものばかりと思っていたが、一向に何も始めない私に不安を抱いている様子であった。
帰国して一ヶ月が経ち、部屋の窓の外は雪景色となっていた。相変わらず混乱したままであったが、なぜか焦りも不安もなく、冷たいはずの雪が温かく優しげに目に映っていた。そしてそのとき、なぜか自分が行く道がはっきり感じられたのである。それは、じわっとお腹に感じる確信、理由はないけど確かに信頼できる感覚。セラピーを学びにまたイギリスへ行こう。そうはっきり決めたとき、混乱は雪とともに溶けていったかのようであった。
とはいえ“せっかく大金もかけたし、時間も労力もかけた資格なのに、無駄にして良いのか?”、“惹かれるというだけで、一体自分にセラピーの才能などあるのだろうか?”、“そんな確立されていない分野の勉強をしたところで、食べていけないだろう”といった理性や不安の声ももちろんわんさか沸いてきた。が、それらの声に負けなかったのは非常に幸いであった。
私たちは小さい頃から、“よく考えなさい”と言われ、きちんと考えることこそが最善の方法だと思っているだろう。もちろん、それが大切であることは言うまでもない。しかし、人生は考えだけで割り切ることができるものでもない。答えが出せないことも私たちは多く経験しているはずだ。
実際、私は大切な決定をするときほど、考えではなく、自分のハート(心の声)に耳を傾けるようにしている。考えは理論的であるが、効率性や損得、先の保障、常識などにどうしても傾いてしまう。しかし、人が幸せや達成感を感じるのは、効率が良かったときや得をしたときなのだろうか?
それよりも、自分らしさを発揮し、生命のダイナミズムを感じながら、人と交わり、お互いから信頼や愛を感じたとき、私たちは幸せを感じないだろうか?そんな幸せにつなげてくれるのは、理性的な考えよりもハート(情熱、ワクワク感、好奇心など)だとつくづく感じているのだ。

再びイギリスへ
さまざまな体験・新たな学び

その後イギリスに戻り、私の新たな貧乏留学生生活が始まりまった。カウンセリングやセラピーの資格を取得するために心理学や栄養学、解剖生理学など、まったく新しいことを英語で学ぶのは楽しいというより正直大変で、なん度も放り投げだしそうになった。
ちなみにイギリスでは、大学以外の場所でも、こういった学問を学べる機関がいくつもある。大学は基本的にアカデミズムの場であり、実践的な知識とスキルを身につけるには、こういった専門学校で学ぶのが主流となっている。
心理学者よりも、カウンセラーやセラピストになることを目指していた私は、このように学校をいくつも通い、ひたすら吸収し続けていた。なんとか数年の年月をかけて、知識も増え、私の手元にはいくつもの資格が並んでいた。そろそろ実践のときかもしれない。
そんなとき、学校の掲示板に「アルコール依存症回復プロジェクトセンター、ボランティアセラピスト募集」という張り紙を見つけたのである。
そこで、さっそく連絡を取り、面接を受けることとなった。今でも覚えているのは、面接にあたったディレクターの“あなたはどれぐらいお酒を飲みますか?”という質問に“まったく飲めません。”答えたことである。
母親から受け継いだ体質で、私はまったくの下戸であり、ワインをグラス半分飲んだだけでも、ひどい頭痛に悩まされるのだ。しかし、そう答えたあとしばし沈黙があり、彼女の表情から“お酒を飲めない人間にアルコール依存の人たちの気持ちが理解できるだろうか・・・?”という疑問が聞こえてくるようであった。
ディレクターの戸惑う表情を見ながら、これはダメだなと思ったにもかかわらず、私は無事採用され、そこで1年半経験を積むことになった。そのとき、すでに30代後半であり、周囲の友人らは仕事と家族の両方を持ち、いわゆるあるべき姿の人生を構築していた。一方、私自身はやっとボランティアができるようになったというだけであったが、好きなことに集中できている日々が楽しくてたまらなかった。
将来が不安にならなかったのかといえば、それはもちろんウソである。好きだというだけで、自分がどこまでできるのか、また一体食べていけるのか?ということは、常に未知数であった。幾度か修士号が活かせる仕事のオファーなどもあり、心が傾きそうになったこともある。しかし、ここには詳しく書けないが、心の勉強のおかげで不安を解消する方法を学んでいたため、不安にすっかり取り込まれることはなかった。おかげで目の前に差し出された“保障”に飛びつかずに済んだのだ。
実際、あまりに先が不確定であるという不安に負け、志半ばで辞めていく人を多く目撃していた。最終的には、自分と人生をどこまで信頼できるかにかかっているのだろう。
こうやってときどき沸いて来る不安を克服しながらも、私は好きなことに集中できる幸せをかみしめていた。しかし、アルコール依存症回復プロジェクトセンターでの仕事はそう簡単ではなかったのだ。というよりも正直に言えば、私は敗北感に打ちひしがれていた。センターのカウンセリングルームでとつとつと話される内容は、両親を立て続けに突然亡くした悲しみや喪失感がどうしてもぬぐえない、仕事場で事故に遭って半身不随になってから生きる希望が見出せない、幼い頃の虐待のトラウマから抜け出せない、などといったどれも深刻なものばかりであった。
これらの話を前に私は何を聞いて、どんなことを言えば良いのかさっぱり分からなかったのである。学んだ知識によって彼らの状態や苦しみの原因について話すことはできても、それで苦しみを拭い去ることはできない。フロイトやユングやアドラー、そしてロジャースなどもすべて知識である限り、実際には役に立たない。

自ら「実践的心理学」を編み出す

そこで、まずもっと実践的な心理学はないのか?と探すことから始まった。あれこれ探しているうちに、ある悟りの本に「自我のしくみ」として、人間の心のしくみの記述がされていた。それを読んだとき、私は目からウロコが落ちまくり、直感的に先が見えてきたと感じたのである。
そこで、その本を基にみっちり自分の心を見つめていった結果、自分に対する深い気づきが何度も起き、私の世界の見方も激変し、そして心が驚くほど楽になったのである。そして、なぜこんなにも“生きた”心のしくみがどの心理学コースにもないのか、不思議でたまらなかった。
何よりもこの心理学を取り入れてから、あんなにどうしたら良いか分からなかったクライアントの重いテーマもきちんと対応できるようになったのだ。クライアント自身も変化を感じ、家族や友人に勧め、ついには新規のクライアントを断るぐらいまでとなった。この経験で自分が生み出した心理学が、実践的に効果があることが確信でき、「インテグレイテッド心理学」と名づけることにした。現在ではこれを教えることも私のセラピスト活動の中心となっている。
インテグレイテッド心理学とは、言い換えれば「解剖心理学」ともいえる。既存の心理学が、ある個人(フロイト、ユングなど)の研究や洞察に基づいた理論が中心であるのに対し、あたかも体を切り開いていくかのように、その人の心の中の真の状態を見ていく実践的な心理学である。

世界有数のセラピスト・トレーナーに

カウンセリングの効果を大いに助けてくれているのが、セラピーである。ヨーロッパでも指折りのセラピー先進国であるイギリスでは、実に多くの優れたセラピーが教えられている。
その中でもとりわけ、EFT*1とマトリックス・リインプリンティング*2というセラピーは、重度のトラウマからパニック障害、そして長年抱えてきた精神的な問題に抜群の効果を発揮する。実際、東北大震災のときも、EFT、マトリックス・リインプリンティングとともに大活躍した。
これらのセラピーと出会ったとき、私はその効果にすっかりほれ込み、何段階もある課題をパスして、日本人唯一のEFTのマスタートレーナーになることができた。(※トレーナーとは、セラピストを養成し、資格を与えられる人のこと)
また、EFTから発展したマトリックス・リインプリンティングというセラピーも実力が認められ、こちらも創始者から直接トレーナーとして抜擢されることとなった。今現在、世界中でこのトレーナーは22名のみである。トレーナー希望者は大勢いるものの、クオリティコントロールが厳しく、滅多になれないだけではなく、うっかりしているとトレーナーからはずされることあり、今まで10名ほど減ってしまった。
正直言って、トレーナーになること自体はあまり苦労をしておらず、とてもスムースな道のりであった。しかし、実力が評価されたのは、自分で自ら新しい心理学を生み出したこと、不安など自らの思いや感情にきちんと向き合ってきたこと、また、まったく対処できなかったアルコール依存症回復プロジェクトセンターでの経験から、様々な問題が扱えるようになっていたことなどがあるだろう。その人がどういった道のりや経験と積んできたのかということも、トレーナーの資質として大きな評価のポイントだからである。

学びに終わりはない

人の心を癒すという学びに終わりというものはなく、今でも常に分からないことがあり、学び続ける日々である。それでも、現在はイギリスのカレッジと提携したカウンセラー養成講座も開催し、卒業生は200人以上となった。(※2017年以降は、一般社団法人ハートレジリエンス協会認定心理セラピスト養成講座となっている)
振り返ってみると、ある意味私の人生の鍵は、「捨てること」にあったかもしれない。それは、常識を捨てる、学んだことでも役に立たなければ捨てる、資格を捨てる、不安を捨てる。捨てることによって未知の世界が開き、頭ではなくハートに従って進んでいくこと。苦労したから、お金をかけたからといって得たものにしがみつかないこと。つまり、いつも新しいものが入り、そしてまた生まれるスペースが自分の中にあるかどうかである。
最後に「皆がそれぞれに自分のダンスを踊る」という言葉がある。これは私のダンス(人生)であり、これからもダンスは続く。誰もが心の深いところから発する情熱に耳を傾け、自分だけの自分らしいダンスを踊れば良いのだろう。

*1:EFT(Emotional Freedom Therapy)とは、東洋の気の思想と、西洋の心理セラピーを統合した感情を解放するテクニック。欧米ではいくつものニュースでも取り上げられるほど知られたセラピー。

*2:マトリックス・リインプリンティングとは、EFTをさらに発展させたもの。量子学に基づき、過去に経験した辛い記憶などをポジティブなものに変化させることができるツール。