田中 幸子(たなかゆきこ)

株式会社I.N.O 取締役社長

田中 幸子

豪州・欧州においてグローバルビジネス開発を経験した後、海外での業務経験を活かして多国籍プロジェクト支援、ダイバーシティー支援を行うコンサルタントサービス会社 株式会社I.N.Oを設立。取締役社長に就任。日本企業のグローバルビジネスの立ち上げ、特にベトナム、タイ、などアセアン諸国、インド、そして、中国に向けた日本企業の投資プロジェクトを担当、加えてアセアン諸国+日本のビジネス連携も関与。
2015年からは日本企業のアフリカ投資の可能性検討のプロジェクトを担当し、アフリカへの理解・接点の拡大に務めている。


こんな生き方 3つのKey Words

この数年、多国籍プロジェクトのコンサルタントとして、仕事をしてきました。

多国籍プロジェクトで何か?というと、経済的な労働力を求める、市場を求める、などの理由から日本の企業は海外市場にこの何十年、積極的な進出を試みています。
多国籍プロジェクトとはそれぞれの国が持っている強みを生かして、一個のプロジェクトを企画し、展開、そしてビジネスとして成功させることです。

一例をあげると、日本の製造ノウハウを生かし、新鮮な製品のアイデアはインドの会社から、製造基地は中国で、そして、製品は日本市場に向け、という仕組みです。
このようなプロジェクトが実際に動きだすと、それぞれの国は自国のやり方で作業と進めていきます。必ずしも日本の基準がインドや中国などであてはまる訳ではなく、プロジェクトの途中で行き違いややり直しなど何度もの調整が必要となります。
こういった場合、プロジェクトを成功させるためには常に複数の国にまたがる関係者間の情報共有と問題解決が鍵です。 現在、私はこの2点を積極的に強みとして、顧客の事業展開、支援を行っています。
自分がこれまで生きてきた道を振り返る時に、このような活動の中心となっている次の3つの言葉をこの機会に皆様に紹介したい、と思います。この3つは私が起業した時にその頭文字を会社の名前とし、自分の指針として守り抜くことを決めた言葉でもありま

Integrity

最初の文字は“I”.=Integrity, 辞書では清廉、高潔、などという訳がでてきますが、実際に世の中で使用される場合は、少し異なる意味合いを持っています。
このIntegrity は自分で提案したプロジェクトを実現するために初めて海外で仕事をした時に現地の社長が私に教えてくれた言葉です。

オーストラリア・シドニーを足場に組織の長、つまりラインマネジャとして、予算と人的資源の責任を抱えて多国籍のコンサルタントのチームを率い、日本本社に代わりオーストラリアからアジアや欧州の拠点の指導・支援することが私の仕事でした。

現場での虐めや失敗を経験する中で、社長から届いた言葉は、いつも“Integrityを持て”組織で人に尊敬されるには“Integrity”が必須、でした。 仕事においては、親会社、現地子会社、顧客、そして、自分の組織、など複数の利害関係者が必ず絡んできます。課題に対し、自分自身でしっかりと考え、自分の意見を纏め、それを明確に主張すること、がIntegrityの意味だと私は考えます。 上司が命令するから、など、他人のせいにして安易に自分の意見を変更することはその人の信用を失わせることになり、Integrityがない人間、という評価になります。

言葉は異なりますが、私が15才の時に父の仕事の関係で親と離れて自分ひとりで暮らすようになったときに父が私に与えた教えと同じでした。
自分の行動について自分が何をしたいか、自分の頭で考え、それを行動に移すこと。しかし、その結果については自分がその責任を持つように。

このやり方に沿って今日まで多くの場面、まず自分自身で判断をする、ことをしてきました。勿論判断が常に正しいとは限らず、失敗も多く経験しています。
しかし、父が言った通り、これは自分が決めた判断であり、その失敗を人のせいにすることはできず、自分で最後まで責任をもってやり遂げることがプロフェッショナルとしての態度であると信じます。
組織で働く場合に、相手を信じることができるか、自分が信用して貰えるか、ここで是非“Integrity”という言葉から考えてみてください。

Network

二番目が〝N“=Network.人的なNetworkです。日本では会社に永久就職と言われるように、同期に始まり、社内、そして仕事の付き合いがその人の人脈の殆どを占める場合が多く、周りが常にいる状態では個人として、新たに自分のNetworkに作ることに対し、あまりその必要性を感じない人がいるかもしれません。
しかし、世の中はどんどん変わっています。一旦住み慣れた土地を離れ、新しい所で生きることが必要になった場合、そこでの生活を楽しむため、というよりそこで生き抜くためにはNetworkの構築は絶対に欠かせないものです。

まずはシドニ―での体験から。日本でも難病のひとつMS (多発性硬化症)はシドニーに多く、民間に対し患者への一般の支援が広く期待されていました。
これは体が動かなくなった患者を週一回訪問し、その人の希望に沿った支援をするというプログラムです。毎週土曜に患者のリンという女性を訪問し、車いすを押して町で買い物をし、その後、カフェでお茶を飲みながら色々おしゃべりをすること、これが私に期待されたことでした。

リンは40代の女性で、仕事で世界を飛び回っていた人がMSと告知され、MSが進行し私が担当だった時は首から下はすべて麻痺の状態でした。徐々に筋肉が硬化し、最後には呼吸ができなくなって死に至るという過酷な病気です。
そのような境遇にもかかわらず、リンは常に自分ができることはなにか、他人が喜ぶことを考え、自分の住所録から、お祝いのメッセージを送ったり、励ましの手紙を書くことを私に手伝わせました。
私がオーストラリアを去るまで活動を続けましたが、その中で死との向き合い方、命の大切さ、そして、オーストラリア人の物の考え方や家族との付き合い方、などを理解する機会を与えてもらいました。
勿論、仕事に直接関係するNetworkingはとても重要ですが、利害関係とかけ離れた、ボランティ活動などにおいてNetworkを通して、人とのふれあい、その国の文化、価値観、ものの考えなどを知ることも自分の考えを固め、そして、多様性を理解していくことに必ずつながると感じます。

同様な経験はその後の勤務地である英国でも続け、色々な人を知ることができました。

第27回目のGlobal Summit Of Womenが今年、東京で開催されました。海外に行かなくても世界80ヶ国以上の人々が東京に来ていろいろな場を作ってくれました。 自分と異なる世界があることを知ると同時に、一緒に前へ進む何かを探す貴重なネットワークでした。こんな時に言葉のハンディがあるから、と言う理由でいつも決まった仲間と群れ、その時にしかない、一期一会を見逃していた人を沢山見かけたのですが、本当に残念に思いました。
是非、次の機会には自分からNetworkを作ってみてください。

Opportunity

そして最後の文字はO=Opportunityです。

海外での約20年の勤務を終えて日本に帰国して驚いたことは、世界が大きく変化し女性の進出が進んでいる動きの中で、性別、年齢、学歴に拘り、常に失敗を恐れ、旧態依然とした人事体制・働き方に拘泥した日本の姿でした。
そういった現実に半ば諦め、何時か、幸運が降ってくるのではないか、という消極的な姿勢がまわりに蔓延しているのを感じてしまいました。

組織や上司が自分を認めて機会をくれるだろう、という態度ではだれも、その人がなにをしたいのか、殆ど気づきません。
なぜ、私が海外に派遣されたか?理由は自分の信じるやり方を会社に提案したことが発端でした。この提案に対し実践してみる機会を上司が与えてくれ、私の挑戦が始まったのです。
そして、海外に出てしまった以上、そこで自分の提案を実現するだけです。周りは競争相手であり、英語ができない、とか、日本人だから、などという甘えや言い訳は通用しませんでした。
しかしそこで初めて自分が”やれば出来る“という自信をつけることができました。私は、Opportunityは自分から取りに行くものだと信じます。勿論、タイミングを外したり、人との衝突が有ったり、など、失敗も数多くあります。
しかし自分が求めていったOpportunityに対し挑戦し実現に少しずつ向かっていくことで自己効力感が育っていくと信じます。

人生には、様々なOpportunityがあります。そこでは常に学びが必要になります。でもそこには、自分だけにしか得られない喜びがあります。
たった3つの言葉ですが、これが私の生き方です。皆さんが大切にしておられる言葉はなんでしょうか。