小林 朱美子(こばやしすみこ)

ボルメランジェ

  • 1963年生まれ、東京都出身
  • 米タフツ大学院英文学修士、仏インシアド経営大学院MBA
  • 1988年英国ユニリーバ入社
  • 1990年より日本ロレアルに勤務。グループブランド
  • マーケティング、ブランドマネージメントに従事
  • 2002年よりロレアル仏本社にてグローバルマーケットの化粧品開発ディレクター
  • 2005年、ロレアルグループ日本・アジア市場開発戦略部ディレクター
  • 2012年クラランスジャパン代表
  • 2016年、ザ・オットー・インスティチュート代表
  • 経験を生かし化粧品ブランドの戦略コンサルティング、プロデュースなどを行う。

この稿を書くに当たり自分はどんな生き方をしてきたのかを改めて考えて見る機会を得たことはとても貴重なことでした。以下自分がどんな環境のなかで生き何を学びえたのかを振り返りながら書いてみたいと思います。

国際的な教育環境に育つ

私はアメリカで教育を受けた両親のもとに生まれ、比較的国際的な環境のもとに育ちました。父は大学教授でありながら欧米大学にたびたび長期赴任し、また外資系企業の役員をしながら国際経営に携わり海外へ出ていました。
母は家庭で家族を支える傍ら、在日外国人との親善に尽くしていました。家では海外への戸はいつも開いており、子供達も世界へ飛び立つことを自然に期待されているように感じました。
その後仏カトリック系ミッション女子校に通いました。18世紀フランスで革命による荒廃、混乱が進む中、女子教育のための学校を創設することが必要とされ、依頼を受けた創設者は女性ながらわずか20歳で学校を創設、23歳で総長に就任、常に勇気を持ち神の愛と使命に従い88才で亡くなるまで世界の16か国に122の学校を設立しました。
ここでは女性として社会に広く国際的に貢献して行くことを学ぶ教育を行います。私の通った日本校でも西洋のシスターたちがおり、英語、仏語の教育が特に進んでいました。

18世紀フランスで革命による荒廃、混乱が進む中、女子教育のための学校を創設することが必要とされ、依頼を受けた創設者は女性ながらわずか20歳で学校を創設、23歳で総長に就任、常に勇気を持ち神の愛と使命に従い88才で亡くなるまで世界の16か国に122の学校を設立しました。
ここでは女性として社会に広く国際的に貢献して行くことを学ぶ教育を行います。私の通った日本校でも西洋のシスターたちがおり、英語、仏語の教育が特に進んでいました。

ここでの教育のもと女性としての在り方、また女性としてこれから変動して行く世の中に貢献していくということはどういうことかを考えるようになりました。
私自身はいつしか社会に出たら教師となり、日本の女性たちの活躍、社会進出を応援したいと思うようになりました。

米国での大学生活

後に米ニューヨークの大学に留学し、始めて生の西洋文化に触れました。目の当たりにする文化、歴史そして社会、アメリカの文化はとても自由でダイナミックでした。
また人々は、他人と同じではなく自分の意見をしっかりと持ち、それを実現することで一人前として認められるようでした。画一的な社会の日本とは大分違い、初めは戸惑いましたが、次第に自分の意見を表現しながら話に参加できるようになって行きました。
週末には人種のるつぼといわれるニューヨークマンハッタンで過ごしたり、サンクスギビングやクリスマス休暇にはロングアイランドの白浜のビーチや、雄大なバーモントの山のスキー場で過ごしたり、未知の世界を体験しながらアメリカのスケールの壮大さをより身近に感じました。

その後教師を目指し、ボストンの大学院で英米文学を専攻しました。
ボストンには沢山の伝統ある学校がありましたが、皆学生は熱心に勉強に励んでいました。課題や研究の量は沢山あり、いくら時間があっても足りないくらいでした。
ここでは教授たちによる生徒一人一人についての研究の指導がしっかり行われ、幅の広いリサーチができる環境が整っていました。文学の深さ、そして1つの課題を深く掘り下げて研究していくプロセス、その意味や面白さを学ぶ場として素晴らしいところであったと思います。
冬の間は雪が深く閉じ込められた感のあるところでしたが、夏になると恒例のボストンシンフォニーオーケストラによるミュージックフェスティバルや演劇など、野外で多くの催しが開催され賑わっていました。
ボストンと言えばクラムチャウダーやロブスターなどの美味しいシーフードでも有名ですが、それらは確かに絶品で人気でした。まさに文化の溢れるアカデミックな街でした。

アメリカ生活の中で、女性も男性と同等な立場で人生に夢や目的を持ち、それにまっしぐらに向かい達成して行くアメリカンドリームの実例を日々目にしました。
そこには女性であろうとも強い意思で一心に打ち込み何かを成し遂げた時に人に与える感動があり、女性の生き方を模索する私にも夢と勇気を与えてくれました。
卒業後アメリカで出版、ジャーナリズム業界での仕事を考えましたが最終的に大学院に残ることにしました。それにはフランス語取得が必要でフランスへ行くことになりました。

フランスでの学びと生活で生き方・考え方の違いを知る

フランスはまた全く違う文化の国でした。自分の感覚を大切にし、自由をモットーに人生を愛し楽しむということにかけては、最も進んだ国ではないかと思います。

フランスは豊かな農業国であり歴史と文化の遺産をたくさん持っています。
町のブランジェリーの焼きたてのバゲット、パン・オ・ショコラ、広場の朝マルシェで売られている新鮮な野菜、果物、肉、魚、ボルドーやブルゴーニュの名品ワインの数々、フランス各地のチーズ、街中の賑わうビストロやレストラン、など食文化においては実に充実した国です。
またパリやフランスの街には多くの歴史的建築物、そして多くの巨匠作品を飾る、ルーブルやオルセーを始めとする美術館があり芸術の街とも言われます。本当に数え切れない豊かな資産を持つ国だと思います。

自由の精神を持ち、真に豊かな物、幸せを求め人生を生きるフランス人ですが、仏女性は女性らしさと粋なスタイルを保ちながら、社会で家庭でエレガントに、楽しみながら活躍していました。そうした彼女達の生き方は今まで知らなかった素敵で魅力的な生き方でありました。

英国にてマーケティングの基礎を学びながら仕事で経験を積む

仏滞在中にイギリス消費財メーカ―の会社より仕事のオファーがあり、学校に戻る前に社会経験を積む意義があると思いイギリスへ渡りました。
マーケティングの基礎を学びながら消費者のニーズを調べ、消費者生活向上のために物を作り売る、メーカーの仕事はお客様満足への貢献であり、やりがいがある仕事だと思いました。
イギリス人は理性的で秩序や体面をも重んじるようですが、一見とっつきにくい印象を与えながら、付き合っていくととても思いやりのあるところが見えてきます。
女性は概してきめ細かさと思いやりがありながら芯がしっかりしていて社会で責任のあるポジションに立つ人が多くいます。イギリス人は島国だけあって日本人に近い物を感じました。
その時イギリスでトップシェアを持つOTC妊娠試験薬*の日本発売の任務を受け、日本市場リサーチ、消費者分析、厚生省や商社、販売会社とのコーディネートをし、周りの人々に助けられながらなんとか無事に発売にいたることができました。
これ以来外資企業のマーケティングやビジネスというものにとても興味を持ちました。
*OTC妊娠試験薬:一般用医薬品(薬局・薬店・ドラッグストアなどで販売されている医薬品、通称「大衆薬」あるいは「市販薬」と呼ばれてきた)として販売される妊娠試験薬。

数年後、仏化粧品会社より日本勤務の話があり転職しました。有名ブランドを多く持つ会社で、美容業界のため世界各国で沢山の女性が責任のある仕事をしていました。
日本の消費者は世界一高品質なものを求めると言われ、また日本の化粧品技術は世界で指折りの高水準であると言われます。ゆえに日本で成功する製品を作ることは、世界の市場への貢献ということで、日本での任務は大切な役割を担っていました。
その頃女性の社会進出が進む中、美へのニーズが高まりコスメ市場が大きくなっていきました。そうした状況下でこの仕事は大変な反面とてもやりがいがある様に思いました。

仏国でのMBAクラスで素晴らしい友を得た

この頃から将来どのような道を進むのか真剣に考えるようになりました。日本での女性の社会進出はまだまだ遅れていると感じていましたが、美容の世界であれば女性でも自分の感性で社会に貢献する仕事をすることが可能かもと思うようになりました。
ビジネスをやるのであればもっと学ぶべきと思い、仏ビジネススクールのMBAプログラムに行きました。MBAとは女性には遠いことのように思っていましたが、いつのまにかそこで勉強することになっていました。
40か国以上の国籍の学生が一緒に集まり違う文化の中で共同作業を行うことはとてもチャレンジングでした。グループワークでケーススタディーをしていくときに、違う文化の人々は考えもアプローチも異なり、ぶつかることもしばしば。
まさに国際ビジネスの現場のようでした。ワークノルマが多く、私を含め言葉のハンディのある外国人たちはとても苦労していました。重いプレッシャーの中昼夜を分けず助け合い乗り越えた経験は忘れがたい物があります。
私も次第に難度を増すクラスについて行くのが大変になり、どうしたものかと不安を募らせていきました。皆それぞれの国のトップエリートなので、良い点をとる難易度は更に増します。自分の苦手な分野を得意な人に教わったりと助け合いながら進んでいきました。
もう無理かと思っても、何か道があるということを見出す社会の縮図と言われる教育現場でした。卒業生たちはここで身に付けた教訓がずっとビジネスで役立っているというのをよく耳にします。
ここで出会った女性たちはクラス全体の1割強だったと思うのですが、国籍を問わず共通して彼女達は美しくも強靭で大切と思うこと、正しいと思うことを物おじせず追求し、周りの男性たちをも圧倒してリードしていく大きさと暖かさがありました。ここで今でも私に勇気や励みをくれる友人達に出会いました。
この頃強く思ったのは、女性というのは万国共通で素晴らしい資質を持っており、日本の女性たちも全く同じ強さ、勇気、実行力、やさしさがあるということ、そして日本でも女性の活躍の場がこれからどんどん増えて行くだろうということです。

その後帰国し化粧品ブランドビジネスを続けることになりますが、百貨店、一般品ブランド経営などについて多くを学ぶ機会になりました。
化粧品ビジネスはお客様があっての生きたビジネスであり、美や幸せという価値を創り出す素晴らしい社会貢献であるということを身を持って体験しました。
女性の求めるものを創り出し、彼女達の生き方や生活に貢献できるということ、またそのビジネスを遂行して行く上でチームメンバーたちの才能を生かす素晴らしいチャンスの場がつくられるということ、 この仕事は色々な立場の女性達が生き生きと活躍するための沢山のチャンスを与えてくれたように思います。

フランス赴任で生涯の伴侶に出会う

数年後フランス赴任になり新たな展開がありました。
フランスではオン、オフの区切りをつけ、仕事の後にプライベートな付き合いをすることが多いです。友人を家に夕食に招いたり、招かれたり、パリのレストランで集まったり、人々は美術館のように美しい街を背景に遅くまで語り合って過ごします。
夫とはその頃知り合い、やがて結婚することになりました。ダヴィンチコードという映画が一時有名になりましたが、そこに出てくる地下に隠し物がされた立派なカテドラル聖堂、サン・スルピスという教会がサン・ジェルマンの近くにあります。
ここはフランス大聖堂のひとつで古くはナポレオンが戴冠式を行ったところと言われています。お洒落な地区であり、その頃サン・スルピス広場を歩いていて、すぐ脇のアパルトマンから外出するカトリーヌ・ド・ヌーヴとすれ違ったことがあります。
住んでいた教区の為、そこで結婚式を挙げることになりました。歴史のある素敵な大聖堂にはヨーロッパで指折りのパイプオルガンがあり、素晴らしい音色で演奏がされます。声楽家と演奏家の奏でるアベマリアやトカタなどの名曲は心を揺さぶるものがありました。
ミサの後、サン・ジェルマン・デ・プレでの宴では夜明けまでダンスを踊りながら皆が祝ってくれました。

多忙な生活、自分や周囲の病・・・「自然治癒」に関心を強める

本へ行って見たいという夫の願いから日本での新生活が始まりました。
仕事が忙しくなる中、親の介護も重なり疲れたと思う日々。パリ出張中に異変を感じ帰国後の診察で重病であることが発覚しました。ショックと共に色々な思いがありました。
その時初めて、人に寿命があるのであればこれから何をするべきなのかと考えるようになりました。今まで無理をし多忙にしてきたのであれば、これからは忙しさに流されず何が大切かを考え、日々の幸せに感謝しながら生きて行こうと思いました。
治療期間中、自然の力をもって行う自然治療というものにとても興味を持ち、生活の環境や食もすっかり見直しました。病気の回復後、植物の力を美に生かし、自然の恵みに感謝しそれを地球に返すことを目指す、仏自然化粧品会社の代表となりました。
地球からの恩恵、その恩恵を受けた女性の美、幸福というエコロジカルな思想に賛同し、この全く新しい考え方に深く感銘を受けました。会社の皆がこの素晴らしいブランドを愛し、美の使命を果たすために全力を尽くしていました。
以降、自然、エコロジーの考えは女性に大いなるパワーをもたらすものとして私のこれからの考え方に大きく影響して行きました。

多忙で仕事の比重が多くなる中、今度は夫が病で倒れる事態になりました。それをきかっけに夫のアトリエのある地で転地療養をすることに。現在夫はキャラリーをオープンしそこを基盤に創作活動を展開しています。
大好きな自然の中で生き生きと水中の生命を描く創作活動を行いながら、ギャラリーを訪れる方にリラクゼ―ションと癒しを提供するべく日々励んでいます。
私はコンサルタント事務所を立ち上げ化粧品や消費財などのコンサルティングを行いながら自然の豊かな恵みを用いた美容ビジネスに携わっています。

欧米での様々な経験から女性の力が社会を支え豊かにすると確信

以上私の生き方を振り返ってみましたが、女性として社会に生きることを常に考え思ったことは、女性として様々なことにチャレンジして行くと、女性にできること、また女性だからできることが沢山あること、 また行く先々で出会った女性たちは国籍にかかわらず皆素質や才能に溢れ、社会を支え豊かにするため、なくてはならない存在であるということ。

女性のもつ母性はすべてを優しく包む大自然のごとく、女性の存在はかけがえのないものだと思います。
これから新しい時代に入っていく日本にとっても女性の存在は今まで以上に重要視され、これからの日本や世界の発展のために益々活躍する女性がどんどん増えることは間違いないことと思います。

若い頃を欧米諸国で過ごし貴重な体験を得る機会を得ましたが、その学びを生かし、これから女性達が益々活躍していく社会に向けて貢献していきたいと思っています。