リッフ 雅映子(リッフ かえこ)

株式会社SUI Associates代表取締役

リッフ 雅映子

1984年生まれ。東京大学在学時、日中韓の学生のための国際ビジネスコンテストOVAL, 北京大学生と東京大学生の学生フォーラム京論壇を設立。
卒業後はビジネス誌の記者として働く。
その後、コンサルタント業務を行う株式会社SUI Associatesを設立し、主に家業の食品製造業にかかわる。
26歳の時にアメリカ人男性と結婚しアメリカ移住。 


今年34歳になります。
26歳の時にアメリカ人と結婚し、アメリカへ移住。 今はインディアナ州のブルーミントンという小さな街で二人の子育てをしながら、日本で食品製造業を営む家業へインターネットを使ってコンサルティング業務を行っています。
時間の比重でいえば、子育てにあてる時間が一番長く、仕事はしているもののキャリア構築は一度お休みしているような状態です。
そんな私をみて、昔からよく知る方は私は別人のように見えるそうです。
この町に会いに来てくれた旧友には、「東京で働きマンだったかえこが都会ではないこの町で、バリバリ働くことをせずに、どうやって今の生活を暮らしているのか知りたかった」といわれました。

1. 20代前半までは働きマン

移住前は、とにかく自分がやりたいことや、やるべきと考えていることに100パーセント時間を使い、寝る間も惜しんでがむしゃらに活動していました。そして、やればやるだけ成果が出ていました。 結婚するまで実家で暮らしていたので、家事もほとんど母任せ。家族の世話になりながら、100パーセント時間を自分のがんばりたいことに使っていたわけです。
卒業後は第一志望の会社に採用していただき、週刊誌の記者になりました。日本や世界に取材で飛びまわり、会社に泊まり込むこともしばしば。
それが25歳の時に食品製造業を営む家業を手伝うことを決め記者を辞め、半年後にはアメリカ人男性と結婚を決意。アメリカに移住をすると環境が一気にかわります。

2. 20代後半、がんばれない自分との葛藤

夫の仕事と私の仕事を比べると私のほうが場所を選ばないという理由で私が移住することになりました。「まあ3年も住めば、英語も問題なくなるだろうし、アメリカでやりたい仕事も見つかるだろう」と軽く考えて飛び込んだ異国の生活。それは思ったよりも大変でした。 
 が衝撃だったのは英語が全然通用しないという事実でした。
 日本に住んでいたころはそれなりに英語をしゃべることができると思っていました。前述した学生コンテストも英語で主催していましたし、記者になってからも英語でインタビューすることもありました。しかし、アメリカに住みだすとこの国で日本にいたころと同じようにネイティブとして過ごすには英語力は底辺の底辺に感じられました。医療保険の契約といった難しい内容もですが、カフェのレジの人と注文以外にちょっとしたウィットの利いた日常会話をすることもできないこともショックでした。
半年間、英語が聞こえてくる外に出るのも嫌になり、部屋にこもって日本語を使う仕事をし、料理を一日五時間くらいしているような日々を送っていました。
 そして拍車をかけたのが、facebookを通じて知る友人たちの大出世のニュース。昇進、起業、最年少副市長、アフリカへボランティア移住。
「私はこの国でやりたいこともわからない上、社会に貢献できる仕事に就けるスキルや自信すらない」と、とにかく焦る一方でした。
では、英語を思いっきり勉強したらいいじゃないかと思われるかと思うのですが、そのショックが大きすぎたようで英語をがむしゃらに勉強する気分にもなれないほど落ち込んでしまったのです。がんばれない自分というものと初めて出会うことになりました。
そして、子どもが生まれてからは楽しく幸せな日々を送りながらも、自分のキャリアアップ、スキルアップからはますます遠いところに向かっているような感覚に陥りました。
子どもとの時間を一番とっているのは、もともと幼児教育に興味をもって教育学部も卒業しているくらいなので、わが子の子育てに時間をかけたいということが大きな一因です。一方で「子どもが自立した後、社会に貢献できるような仕事、生き方ができるのだろうか。スキルアップもまったくできていないし」と焦るのです。
そして、行き着く先には自己嫌悪でした。「社会に役立てる自分になるために、がんばっていない自分が嫌だ」と。

3. すべてがんばっている時の自分が好き

きっと私のあるひとつの価値観が脳裏にあるからだと思います。
それは、「がんばってスキルを身につけ、世に貢献したい。がんばらなければならないし、そんな自分が好きだ」というものです。しかも、私の場合、がんばるというものの定義は仕事だったり、勉強だったりと狭いものでした。
この価値観に従って生活できているとき、私のエゴは満たされていました。
逆にこの価値観通りに生活できていないとき、自己嫌悪に陥ります。がんばっていないから罰が当たるのではないかとも思うこともしばしばです。
英語の勉強にがんばれない自分が許せなかったり、子育てで物理的に仕事や勉強にがんばれないことに焦ったり・・・
しかし、家族にお世話になって100パーセント自分のしたいことをさせててもらっていた20代前半までの生活が戻ってくることはありえません。そして、人生のフェーズが変わり、やることがふえ、責任が増え、体力も落ちてくる中で、20代のころのように「いっつもやる気に満ちている」なんということもないのではないかと思います。

4. キャリア以外の成長軸を持つ

私の今のテーマは、この「がんばっている自分が好き」という価値観と新しい関係を築くことです。
一つ目に、成長軸を多数もつこと。
キャリアにつながるスキルでの成長軸ばかりに目が行くことが多かったのですが、たとえば困難に立ち向かったときに自分の精神をどれだけ早く正常な状態に持っていけるかという成長軸を持ったり、友人に悲しい出来事が起きた時に昔よりも心に寄り添った声がけができるようになったことを成長と呼んでみたり。  こういう成長軸はむしろキャリアでうまくいっていないからこそ伸びたり、友人の気持ちをわかるようになったとも思います。
二つ目に、小さなことを積み重ねようと思うようにしています。
20代前半までは目立った大きなことに向けて、がむしゃらに走るということが多かったように思います。何十万人に届ける記事を書いて世に提言がしたいとか、誰もしたことがない学生イベントをして社会概念を変えたいとか。今の私のライフスタイルにはあっていません。
今できることをできるだけしたらいいではないかと考えています。
子どもと散歩している時にごみを拾う、政治的マーチに参加する、子どもと一緒にフードパントリーでボランティアするなどです。
三つ目に長い人生スパンでみるということです。
私の義理の母は、40歳に大学院にいき、30年以上小学校の教師をしました。いつでもキャリアやスキルはアップできるのです。仮に80年生きられるのであれば、そのうちの10年、自分ががんばるべきことに100パーセントのめり込めなくても全然いいではないかと思うようにしています。
四つ目に、「がんばらないのも大事な時がある」と思うようにしています。
がんばっているときは少なくとも精神的負荷がかかっています。がんばっていることに対して周囲に認めてもらいたいとかそういう気持ちも生まれてきます。負荷がかかりすぎると心の余裕が失われることが私はあります。
子どもたちの行動にいらいらしてしまったりと、周囲にネガティブな影響を与え始めます。NPOなどを立ち上げたり、いわゆる“目立った大きな”社会活動ができていないと嘆いて、自分の心の余裕を失い、その結果、電車の中で席を譲るべき人がいることに気づかなかったり、運転中に道をほかの車に譲ることを忘れたりすることがありました。そんなの本末転倒です。

「私の生き方」というシリーズのお題に対する答えになっているかはわかりませんが、34の私の今の心情です。
きっと今後も新しい人生フェーズがやってきて、私の「がんばっていたい・頑張るべき」という価値観がまた変わった形で見えてくると思います。JKSKの皆さまは、一生懸命生きていらっしゃる方ばかりです。がんばることへのいろいろなとらえ方、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。