山本 未生(やまもと みお)
一般社団法人WIT 共同設立者&代表理事
プロフィール
一般社団法人WIT 共同設立者&代表理事
http://worldintohoku.org/
国境やセクター、世代などの境を越えて、一人ひとりが社会を良くする一歩を踏み出しあえるエコシステム、Change-making Communitiesを人生のビジョンとして活動しています。
大学時代、マレーシアの非営利団体での経験を通じて、戦略・ネットワーク・資金の不足が、非営利団体のミッション達成を妨げていることを実感。
大学後は住友化学株式会社で営業・マーケティングに携わりつつ、SVP東京にて社会起業家を資金・経営面で支援。
2011年、東日本大震災を機にWIT(創設当時名WiA)を共同設立。2013年より同代表理事。日米のビジネスエグゼクティブ、NPO/社会企業、若手ビジネスリーダーが、事業提携・メンタリング・ボードマッチング等共創を行う事業を展開している。
デジタル・ソーシャルイノベーションの世界的アワードWorld Summit Awardのジャパン・カントリー・エクスパートを務める等、日本のソーシャルイノベーションのインパクトを海外にも広める動きも行っている。
英語日本語双方での講演多数。2005年東京大学教養学部総合社会科学科国際関係論過程卒業。2013年MITスローン・スクール・オブ・マネジメントでMBAを取得。ボストン在住。
このお便りはボストンから成田への飛行機の中で綴っています。自分の話を、まだ会わぬ、読者の方にお伝えすることは、とても難しいです。というのは、私は目の前にいらっしゃる方との対話の中で話をすることは心が躍るのだけれど、不特定多数の方に向けて書くことが苦手だからです。
これを読んでいただいた方と、いつかお会いできることを楽しみに綴ります。
私はアメリカのボストン郊外に住み、日米を行き来しながら、自分のお役目だと思えるような仕事をしています。
仲間と共同設立し現在代表をつとめているWITという団体では、日米の社会起業家とビジネスリーダーをつなぎ、世界の誰もがどこからでも世界を良くすることに力を発揮し合えるアメーバのような有機体づくりを目指しています。
ビジネスパーソンを非営利団体のメンターやボード候補としてつなぎ、非営利団体の経営・組織成長サポート、コンサルティング、資金調達等を行い、ビジネスパーソンにリーダーシップ実践や学びの機会を提供している、というと分かりやすいかもしれません。
違いを越えて出会いたい
4人兄弟/姉妹の長女として東京で生まれ育った私は、幼い頃から何故か、色々な生き方がある、ということと、人がつながる、ということに敏感でした。
小学校1年の時に、台湾から転校生が来ました。日本語の名前を持つその子は、日本語が流暢ではなかったせいか、教室でいつも寂しそうにしていました。 言語が違うからといって、繋がれないのはおかしい、という不条理さを感じた私は、ある日の学校からの帰り道、彼女が一人で歩いている彼女の後ろから「遊ぼう」って声をかけました。
声をかけるのに結構な勇気が要ったのを覚えています。それからその子が家に呼んでくれ、初めて食べた骨付きの冷製鶏肉の香り。エキゾチックな味わいで一口しか食べられず、食文化の違うってこういうことか、って思いました。もう一つ覚えているのは、他の日本人の友人と集まる時には、その子を誘えなかったこと。 上手く橋渡しできる自信がなかったのでしょう、悔しかったです。「多様性を越えて出会いたい」、「世界で多くの人に出会いたい」という私のベースは、この頃に刻まれた感があります。
何のための勉強か
女だからという理由で大学に行かせてもらえなかったという母親は、結婚後、働き口が限られること、お金が無いことに苦労していました。 そんな母から私は、「勉強すれば良い就職ができる。勉強しなさい」というメッセージを常に受け取っていました。
お金が無いながらも、工夫して教育をしてくれました。一番難しいなと思った勉強(?)は、文字の無い絵本を広げられて、「これにお話をつけなさい」という、小学校1年生の時に出されたお題です。 そういう、答えが必ずしもない問題にクリエイティブに答えるということ、もっとできたらいいなあ(今あえて言語化するなら)と感じていました。同じようなことは、中学受験の勉強をしていても思いました。 学校のテストはできるけれど、「天声人語を読んで意見を書きなさい」みたいな問題をどのように解くかは、学校で教わっていないんだよなあ、と思っていました。 答えが無い問題にクリエイティブに答える教育は、この学校教育に欠けているなと。
死を頂戴する
大学受験もお金が無かったのと、自分でどうにかするのが好きだったので、塾には行かずに一浪して東大に入りました。 念願の国際関係論専攻で学び始めた時、母親の癌が発覚し、数か月で亡くなり、その1年後に幼い頃から大好きだった父方の祖母、さらに1年後に父親が亡くなりました。
母が亡くなる2か月ほど前、このまま母親が亡くなったら自分は壊れるなと思いました。 どうにかしないと、と訪れてみたのが、内観という研修でした。畳半畳分のスペースで1週間すごし、家族一人ひとりと自分との関係がどうであったかを、0歳から現在に至るまでひたすらひたすら内省するのです。
だれもが、家族や近しい人との関係性において、満足も不満もあると思いますが、自分の認識に依るところも大きいものです。内観で、自分の人生や母親を含む家族への感謝にアクセスすることができ、「ありがとう」と母親を見送ることができました。
妹弟3人を養うため、2年間大学を休学し、稼ぎ貯金することにしました。自分のやりたいことは一旦棚に上げ、家族が食べるために働くという2年間を支えてくれたのは、内観もありましたが、周囲の方々のサポートでした。 母のお葬式の日、お坊さんが「死を頂戴する」とおっしゃったように、今のチャレンジは将来の自分の糧となる、と日々言い聞かせて働き始めました。
社会を変える仕事とは何か
どうせ働くなら稼げる方がいいと思い、時給の高い派遣の仕事に登録したら、派遣先が消費者金融の取り立て業務でした。 長期債務者に毎日取り立ての電話をかけ、カウンセリングのように先方の話を聴く中で、「この金融では問題を解決できない」「仕事をするならやりたい仕事に」と強く思いました。 社会を変える仕事とは何か、自分がやりたい仕事とは何か、そういう想いが、消費者金融での仕事を通じて湧いたのです。
そこで、休学から大学に復帰した直後に、以前から関心のあった国際協力や非営利組織を体験してみようと、マレーシアの孤児院で2か月間インターンしました。妹弟を2か月日本に置いて。 そこで出会えたのが、「非営利と営利の橋渡しをしたい」というその後のキャリアのテーマです。孤児院は意義ある活動をしているのだが、資金や人材が不足していいて、職員が疲弊し、そのしわ寄せが子どもたちにいっていた。 これをどうにかできないかと思ったわけです。
世界のあちこちに社会起業家と呼ばれる、社会問題を根本から解決したり社会をより良くしようという起業家がいます。 せっかく良いことをしている彼らの活動が、持続可能に、より深まり広がっていくにはどうしたらよいのか。それには、ビジネスの知識やネットワークやリソースが役立つのではないか?
そう考えて、大学卒業後は、民間企業(住友化学株式会社)につとめながら、平日夜や週末は社会起業家の成長を支援する活動(SVP東京)に携わり始めました。
渡米、そして起業
2009年、結婚を機にアメリカに渡り、留学していた夫と暮らし始めました。「非営利と営利をつなぐ」ためには、ビジネスをさらに広く学んでおきたかったので、MIT Sloan School of ManagementでMBAを取得しました。
そのビジネススクールに入学する直前2011年に、東日本大震災が起き、WIT(World in Tohoku。設立当時の名称はWIA)を仲間と立ち上げました。 東北(現在は日本全国)で次々に立ち上がる社会起業家を、世界の智慧や人々とつなげ、彼らの活動が持続可能に、そしてそのインパクトが世界に広がっていくように、という想いからです。
エネルギーの生まれる出会い
WITでの仕事は、実にエキサイティングで波乱万丈です。
まず、素晴らしい社会起業家に次々に出会えます。貧困、教育、子育て、ジェンダー、介護、地域コミュニティ、移民、雇用機会、地球環境、アート、資本主義等、様々な社会の問題をチャンスと捉え、クリエイティブに社会をなるべく根本から良くする事業を立ち上げている彼らと接していると、これほどインスピレーションやエネルギーをもらえることはありません。 彼らの生き様に心から共感し、そのインパクトを増せる機会を共に探すことは、大きな喜びです。
さらに、日米を中心としたビジネスエグゼクティブや若手リーダーたちとの出会いがあります。 テキサスの都市デザイナー、ニューヨークのフード&酒ジャーナリスト、日本の上場企業取締役、東京の大学教授、グローバル企業の日本法人社長、サンフランシスコのエンジニア…多様な分野で活動する方々の経験や関心事に耳を澄ませていく中で、彼らのこの智慧があの社会起業家のニーズとつながる、 この専門性があの非営利団体の成長にきっと役立つはず、等と化学反応へのアイディアを膨らませます。
そして、彼らビジネスパーソンと社会起業家たちが出会い、共鳴する場をつくるのが、WITの仕事の大きな柱です。そして、互いに未知の分野を学びながら、互いの智慧・リソース・ネットワークを出し合うプログラムを運営しています。
分野(セクターや価値観)・空間(場所)・世代の違いを越えて、多様な人々が、より良い社会に向けて価値を出し合っていく、そのようなエコシステムづくりを私たちは目指しています。これからの時代にどんどん求められる、Profit、People、Planetへの価値を統合して生み出すグローバルリーダーが次々に生まれてほしいのです。 これまで出会う機会の少なかった人々の協働を加速することは、チャレンジングですが、難しいからこそ取り組む価値があると思って、やっています。
世界があなたを通過する
家族が次々に亡くなったせいか(その後、弟の一人も他界しました)、生きている意味というのは自然と自分の中に流れます。
自分なりのお役目というのは、世界に自分がいることで、世界が自分を通過することで、何かが少し違っていてほしい、何か少し良くなっていてほしい、という願いみたいなことだと思います。
私の場合は、人と人が出会う力が、そのたびに、世界が少し良くなる力に昇華していってほしい。そんな願いです。
自分の足元の歩みを振り返り言葉にする機会をいただき、木全ミツさまをはじめJKSKの皆さまに感謝いたします。こういうお仕事をさせていただいていることについて、家族や人生への感謝を湛えながら。