森岡 朋子(もりおか ともこ)
日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会 理事(元代表)
- 2007年春、英語とスペイン語の通訳としてサンティアゴ巡礼の旅(カミーノ)の取材に同行。
- 800キロの歩き巡礼の旅で、大自然の中での自分との対話を通じて「ここに生きること」を教えられた。
- 帰国後、カミーノへの恩返しとして日本でこの旅を紹介する日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会を設立。
- やって触って体験、やらない後悔よりやって納得、あきれられる勇気、などをモットーに、自分で納得できるような人生という道を歩いていきたいと願っている。
- ホタテ貝のシェイプに魅了されている少しマニアックなホタテコレクターでもある。
切羽詰まった現実逃避から巡礼の道へ
2007年4月から6月にかけ、フランス側のピレネー山脈の麓の村、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩く約800㎞の巡礼の旅をした。通常の生活から切り離され、大自然の中での自分との対話から様々な気付きが与えられ、体の芯から激震が走る体験をした旅だった。
私が40歳になる前後の時期、日本での生活の中で逃げ場が無く、精神的に出口のないトンネルの中に追い詰められていた。そんな時、旧知の新聞社カメラマンがサンティアゴ巡礼(以下カミーノ)に取材旅行で行くことを知り、英語とスペイン語が多少できた私は渡りに船とばかりに通訳を買って出て彼らに同行できることになった。普通9歳と10歳になる二人の子どもがいる主婦が45日も家を空けるなど「非常識」とされるが、世間体などどうでもよかった。救われたい、現実から逃避したい、それだけだった。
なんの予備知識もないままカミーノに飛び込んだわけだが、そのおかげでトンネルの出口が見えたどころか、今までのトンネルは私が作りだした幻想であったと思えるような広い世界が広がったのだ。憎しみが感謝に、絶望が勇気へと180度変わった気づきの旅。こんな素晴らしい体験ができるカミーノと、カミーノでの気づきを日本の人に伝えたいという思いが心の底から沸き上がった。世の中にごまんと存在する癒しや救いの中のワンオブゼムとしてカミーノの存在を人々が知れば、私のように助かる人が出てくるかもしれない。日本の自殺者数も減るかも知れない。カミーノへの感謝、恩返しの強い気持ちと、これは私がやらなくて誰がやるという理由もない使命感が、それまで働いた経験がなかった専業主婦であった私の背中を押した。そしてある程度のスペイン語と英語ができて時間がある自分が動かない理由もなかった。
友の会設立へ
カミーノとはスペイン語で「道」を意味するが、我々の間ではこの道をたどって巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラに旅することを称して「カミーノ」と呼んでいる。2007年頃といえばインターネットは普及していたもののまだスマホやアプリといった存在もなく、カミーノに行きたいと思っても情報が少なかった。また体験者の生の声を聞くことも難しかった。そのためカミーノの情報提供をする友の会を作りたい、と周りの人に言ったが、眉をひそめる人が大半で前向きに応援してくれる人は身近にいなかった。無理だ、と。しかし、「ここで辞めて後悔しないか?」と自問すると必ず出る答えは「絶対後悔する」であった。そこで私はまだ見ぬ、存在するかもわからない理解者を求めるため、思い切って身近な世界から飛び出す決心をした。未知のものに対する恐れに身と心を震わせながら、である。
私が作る友の会は、身分や貧富、学歴、肩書、ましてや巡礼方法(徒歩、車など)、回数、歩いた総距離数、辿った道の数など目に見える上下関係が存在しないものにしたかった。巡礼は心の旅であり、良し悪しや優劣などで語れるものではないし、ましてや誰かのカミーノを批判したり評価したりするような風潮はできる限り無くしたかった。カミーノは人生と同じで一人一人がそこでの主役であり、個々を尊ぶ気持ちを大切にして欲しいと願った。
大切にしたいことを伝えるには人に認識してもらわなければならない。少しずつ実績を積んでいくことを目指した。まず、カミーノはカトリックの巡礼路でもあるため、その関係者が不快な思いをしてはならないと思い、サンティアゴの巡礼事務所との対話の後、日本の大司教がいらっしゃる東京カテドラルとの対話を通し友の会設立に関しては快諾いただいた。巡礼路が通る州政府や自治体や友の会に話を聞いてそれぞれのカミーノに対する姿勢や方針を尋ねて歩いた。友の会創設に関してカミーノやスペイン関係者に手当たり次第にコンタクトをとって少しでも情報やアドバイスをもらうため、長野や和歌山にまで足を運んだ。無我夢中という言葉がぴったりだったと思う。 カミーノに対してあんなことも、こんなこともやりたい。思いを様々な人に伝え、動くことで私の周りの状況はどんどん変わっていった。まるでカミーノを日々一歩一歩大事に歩いているといつしか周りの景色が変わりゴールに近づいていく感じと同じである。変えたければ動くし動くと変わる。言葉通りの展開だ。
友の会の事業
第一にやりたかったこと。巡礼手帳(以下クレデンシャル)を日本で発行したい、ということ。クレデンシャルとは巡礼者としての身分を証明する書類である。現在、人々はクレデンシャルを所持することで巡礼者のための宿(以下アルベルゲ)に宿泊が可能になり、巡礼達成時に巡礼証明書を受け取ることができる。
「巡礼は家を出た時から始まる」と言われている。それまで日本人はスペインやフランスン出発点についてクレデンシャルを発行してもらっていた。それを日本で発行することで日本から「巡礼者」として旅を始めてほしい、というわけである。全くカトリックの世界を知らなかった私は手当たり次第に話をできる(したい)方を探し、最終的に東京カテドラルの岡田大司教とお話をさせていただき、日本からオリジナルのクレデンシャルを発行するに至った。またデザインに関してもカミーノの世界では著名な彫刻家の池田宗弘先生にお願いでき、今では現存するクレデンシャルの中で一番美しいと世界中の方から絶賛を受けるものとなっている。
巡礼者として出発するとなると、中世で教会が執り行っていた「送り出しの祝福」も日本で実施したいと思うようになった。当時東京カテドラルにいらっしゃったチェレスティーノ神父様のお力添えもあり、立派な式次第も出来上がり、巡礼に旅立つ方はもとより、無事巡礼を終えた方のお礼参りのイベントとして執り行われている。
第二にやりたかったのは情報発信の場所となること。サンティアゴ巡礼を幅広い層に認知してもらうための友の会が中心となるイベントとして巡礼の説明会、スペイン語講座、歩くことを体験してもらうワンデー・カミーノ、体験を発表する報告会など次々と形を変え生まれてきた。また多くの方がカミーノに旅立てない理由として挙げる「日本語のガイドブックが無い」状況を打破したかった。ガイドブックの作成という今までやったことのない世界。しかしこれもご縁があり、ダイヤモンド社の敏腕編集者に巡り合うことができ、2010年のサンティアゴの聖年の1月に無事発刊することができた。
第三にやりたかったのは恩返しとしてカミーノに貢献すること。巡礼上にアルベルゲと呼ばれる巡礼者用の宿があるが、そこで巡礼者のお世話をするのがオスピタレロと呼ばれるカミーノ体験者だった。彼らは無償のボランティアである。自分がいただいた恩を奉仕を通して返す形である。ありがたいことに巡礼宿を持つ現地の友の会の方がオスピタレロ(女性はオスピタレラ)として受け入れてくださることになり、日本人で働きたい人はそこで恩返しをさせていただいている。また、巡礼者数が増えるにつれごみ問題も顕著になってきた。日本の友の会が発起人となってカミーノを清掃する活動を提案し、細々ながらではあるが現地の人たちが続けてくれている。これも恩返しの一つである。
「道になる」~私の次のカミーノ
また、日本の友の会が正式に発足したことを各地の団体に知ってもらうため、スペインを中心に様々な国際会議に出席し、日本のカミーノに対するビジョンや提言の発表を続けてきた。カミーノに限らず、実際会って話をすると急に距離が縮まることは皆さんもご存じだろう。友の会という媒体を通して日本人を認識してもらい、何かあった時は手を貸してもらえる、そんな関係を築き上げてきたつもりだ。
全く社会の流れ、常識を知らなかった私である。反対に知らなかったから、怖いものなしで平気でトップの人に会いに行き話をつなげる。そのほうが手っ取り早いことも学習した。自分の思いがしっかりあれば、必要な人が寄ってきて、必要ではない人は自然と離れていく。私の友の会の活動は私が竜巻の中心となって、やりたい!を伝えて、その渦に人々を巻き込んでいく、そんな感じだったと振り返って思う。私のやり方を「あり地獄」と表現する人もいる。じわじわとカミーノの世界、友の会の世界に引き込んでいくらしい。
恩返しのための友の会。しかし恩返しは終わらない。返したらありがたいご縁ができたり教えてもらったりして倍返しを受ける。返しては倍返し、返しては倍返しで、全然返しきれないのである。巡礼は「礼」を「巡らせる」と書くが、まさにその通りの旅であり、永遠に巡り続けるものなのかも知れない。私はありがたさで平身低頭し、最後は巡礼路に溶け込んで「道になりたい」と心から感じている。
カミーノ体験から友の会の発足、そして現在までの10余年を振り返ると無我夢中で形作りに専念してきた。ある意味、私の思いが原動力となって動いてきた友の会であるが、NPO法人という団体である以上存続させなければ一代限りで終わってしまう。そのため、2016年に代表を次の方にお願いし、世代交代をした。初代は思いだけで突っ走るだけでよいが、次はそれを安定運営に持っていく力が必要となる。残念ながら私の性格上、そちらのマネージには向いていない。今友の会は第二段階の最中である。この後、第三代にうまく引き継ぐことができればある程度安定した運営が続くのではないかと、勝手に思い描き楽しみにしている自分が今いる。
そして私は今…。私がそうであったように、カミーノ後、その体験がそれぞれの現在の生活の中で生きている人が多いと信じているので、それぞれの形を探求することに関心が向いている。いわゆるポストカミーノの世界である。そこを知ることでカミーノの魅力が増し、人々がこの旅を人生の旅として体験してくれるのではないかと信じている。