長澤 幸乃(ながさわ ゆきの)

ソプラノ、音楽プロデューサー
一般社団法人金澤芸術文化交流ネットサルーテ 代表理事

長澤 幸乃(ながさわ ゆきの)氏
  • 1958年 石川県金沢市生まれ
  • 1985年 愛知県立芸術大学音楽学部声楽専攻卒、同大学院修了
  • 1989年 国際ロータリー財団奨学生としてイタリアミラノ音楽院に留学
  • 2012年 オペラ「泥棒とオールドミス」で中島啓江さんの相手役で共演
  • 2015年 一般社団法人金澤芸術文化交流ネットサルーテ設立
  • 2018年 オペラ「金の斧・銀の斧」「北風と太陽」 公演
  • 2019年 創作初演オペラ「朝比奈」、オペラ「泥棒とオールドミス」 公演
  • 2020年 創作初演オペラ「タキシード伯爵」モーツァルトは美味しい 公演
  • 2022年 創作初演オペラ「海翔る龍」銭屋五兵衛と北前船 公演

オペラとの出会い

私が本物のオペラに出会ったのは、高校の音楽講師をしていたときです。小松ロータリークラブの国際親善の奨学生に選ばれ1989年から1年間留学したイタリアのミラノでのことでした。ミラノには「スカラ座」という素晴らしい歌劇場があり、シーズン中は格安料金の天井桟敷の席で、日本ではめったに見れないような演目も見ることができました。値段が学割並みの500円と手ごろなことと、同じ演目でも日によって演者が替わるので、せっせと通い詰めました。オペラにも歌舞伎のように非常に熱心なコアなファンがいて、お気に入りの歌手のアリアには「ブラーヴォ」と掛け声をかけ、当時絶大な人気を誇るソプラノ、ミレッラ・フレーニのオペラ≪アドリアーナ・ルクヴルール≫のアリア「私は創造の神の下僕です」では、観客が聞き漏らすまいと波を打ったように静かになるという空気感を知ったことは、オペラを学ぶ私には大変貴重な経験でした。そこにはオペラを作るプロフェッショナルと、成熟した耳の肥えた観客が確かにいたのです。

法人設立からオペラ制作へ

イタリア留学から年月を経て、2015年に一般社団法人金澤芸術文化交流ネットサルーテという、地元の若手音楽家の支援を目的とする法人を設立し、子ども向けのオペラ公演をしていました。いつか本格的なオペラをやりたいと思っていたところ、2018年3月に石川県の「いしかわ県民文化振興基金」に採択され、2022年2月までに創作3作品を含む6作品を主催し上演しました。私はそれまで、県内でオペラの舞台に立ったことはありますが、名だたるプロのオペラ団体で修業した経験や実績はありませんし、制作に必要な資金や知識、人脈が豊富にあるわけでもありません。人生の後半になって、ようやくオペラで社会貢献をする機会を得たのです。とはいっても、限りなく0に近いスタートでした。

オペラ制作の前に一冊の本と出会う 

オペラ制作は未経験、不安にかられていたときに知人から勧められたある本のおかげで、一歩踏み出せました。本のタイトルは『三河市民オペラの冒険 カルメンはブラーヴォの嵐』で、「成功する『市民オペラ」のための、感動のマニュアル」とサブタイトルにあります。この本によって民間でもオペラを上演出来るのではないかと勇気づけられました。後日、本の舞台である豊橋まで三河市民オペラ制作委員会が主宰するオペラ「イル・トロヴァトーレ」の公演を観に出かけました。この団体の特色は地元の経済人が中心となり構成され、企画運営から実施まで行う事です。メンバーが経営者たちですから、経済観念がしっかりしています。チケット販売は完売というのが鉄則、その一方で市民への総合的により楽しい音楽の提供、オペラの楽しみ方の提案、オペラへの取り組み方の提案を目指すのです。公演前のロビーの様子を見ていると関係者はキビキビと動きが良く、お客様の層も幅広くロビーがオペラ独特の期待感で包まれていました。客席は満席で、カーテンコールでは奏者を讃える万雷の拍手、ホール全体が舞台の成功と充実感に高揚していました。三河市民オペラは本物志向のグランドオペラ(*)で、制作スタッフの姿勢は、妥協を許さないような徹底したものでした。ソリスト、大人数の合唱、オーケストラなどの統率、マネジメント、目に見えないけれど必要なコネクションなどなど……。公演までのロードマップは緻密で、関連コンサートやオペラについての啓蒙的なプレイベントも開催し、広報活動の一環で新聞報道ともうまくリンクしています。しかもチケットは完売で2840席、空席無しです。オペラ自体はもちろん、その運営体制もあまりにもレベルが高すぎて三河市民オペラから何を学んでよいのか、しばらく頭に何も浮かんできませんでした。あらゆる点で羨ましい内容とレベルなので、真似ることも、こちらのレベルにあわせてアレンジすることも難しく思いました。そこで、オペラを制作するための課題を書き出してみて、三河市民オペラと対比しながら方向性を詰めることにしました。

*グランドオペラ:スケールが大きいだけではなく、時間が長く、バレエや大規模な合唱など凝った演出で異国情緒がある。

私たちのオリジナリティ

まずは規模です。三河がグランドならサルーテはスモール。予算や引越公演(*)を見込んでフットワークの良いコンパクト舞台作りをし、舞台背景にプロジェクションマッピングを使う。会場は200から300席。公演回数は複数回にする。日本語で上演できる邦人作品をメインにする。メインキャストは2名から6名の少数。楽器はピアノと打楽器。上演時間も長くかかるものは避ける。そして、オペラの裾野を広げるため、お客様は幼稚園年長組の幼児からシルバー世代まで幅広い層を対象とする。将来には地元を題材とした創作オペラでオペラファンを増やす。このように、スモール仕様を中心に据えたコンセプトになったのですが、実際に制作に入ると色々なことが起こりました。公演会場は助成金の採択が決定してから探し始めたため、金沢市内のホールはすでに空きが無く、仕方ないのでオペラには不向きな講堂での公演となりました。また、公演の当日にはプロジェクションマッピングの機材の到着が遅れ、リハーサルが十分できない状態で本番を迎えました。演目は地元出身の作曲家に依頼し創作されたものを予定していたのですが、音楽稽古に入る予定日を過ぎても作品が仕上がらないので、別の作品と差し替えすることになり演者に迷惑をかけることになりました。また、追い討ちをかけるように、この2018年の北陸地方はまれにみる豪雪で、稽古の中止やプレイベントの延期による日程や会場の変更でハラハラドキドキのし通しでした。初めてのオペラ制作は失敗が多く悔しさばかりが残り、コミュニケーションの大切さを強く感じました。今でも公演で何も起きないわけがありませんから、コミュニケーションのしっかり出来るチーム作りが必要だと痛感します。

*引越公演:演者、奏者、セットなど全てを別の地域、会場へ移して行う公演

夢を託す母

私の家族は、サラリーマンの父、専業主婦の母と年の離れた兄の3人で、音楽には全く無縁です。音楽的なルーツは特に無く、しいていうと私が生まれる前に亡くなってしまった母方の祖母で、歌いながら琵琶や箏を弾いていたそうです。小学校に入学する1960年代は戦後の高度経済成長期でオルガンやピアノが飛ぶように売れ、音楽教室に通う子どもが急増した時代でした。戦時中の母は習い事が出来なかったので、叶わなかった夢を託すように私にはあらゆるお稽古事をさせてくれました。ピアノもその一つで、購入して教室に通わせてくれました。小学校4年の時、NHK全国放送で「声くらべ腕くらべ子ども音楽会」というラジオ番組があり、先生から「歌で出なさい」と言われ、友達と2人で出場して合格の鐘を鳴らしました。そして、5年生の時に音楽専任の先生の勧めで「追憶」という綺麗な曲を全校1000人の前で独唱する機会をいただき、人前で歌う喜びを知りました。先生のおかげで自分は歌うことが得意であることに気づき、その気になって両親にオペラ歌手になりたいと夢を語っていたようです。

石川でオペラを歌う

2006年から、縁あって石川県立音楽堂のオペラの舞台に立つ機会を得て、モンテヴェルディ「オルフェーオ」、林光「あまんじゃくとうりこひめ」、萩京子「注文の多い料理店」、メノッティ「泥棒とオールドミス」、パーセル「ディドとエネアス」に出演しました。
2010年、衆院選で民主党が政権交代を果たし、事業仕分けによって文化芸術の補助金は大きく減額されました。県立音楽堂でもこれまでのような助成金が見込めないので、計画しているオペラ公演が出来ないかもしれない、誰かスポンサーを探せないかとある職員から相談を受けました。私は県立音楽堂で地元の音楽家と積み上げてきたオペラ公演の歩みを止めるのは惜しいと、直接お会いしたことはなかったのですが、金沢の優良企業である芝寿しの創業者で相談役の梶谷忠司さんへお手紙を書くことにしました。梶谷さんが文化活動の理解者であると聞いたからです。芝寿しは石川県民のソウルフードの一つで、笹の葉でくるんだ押し寿司「笹寿し」やお弁当を製造販売しています。梶谷さんにはこのオペラ公演の窮状を救うべく、快く寄付を申し出てくださいました。そのとき、90歳を過ぎておられてもシッカリとした口調で、「オペラをするのは大変なことだね。これからはどうやったら上手くお金を集められるか、音楽家も関係する人も真剣に考えないとならないね」と優しくおっしゃいました。この日の梶谷さんとの話の中で、私が法人を設立しオペラを制作するきっかけになったのだと思います。

2019年1月オペラ「泥棒とオールドミス」公演 
(提供:金澤芸術文化交流ネットサルーテ)

こども園でオペラ公演

サルーテが法人になる前、2013年にはじめて地元の金沢泉丘こども園とアリスこども園でオペラ「ヘンゼルとグレーテル」の公演をしました。
この2つの園を経営する社会福祉法人愛里巣福祉会相談役の竹澤敦子さんから「子どもたちに綺麗な声を聴かせたい」という希望があり、オペラを歌う仲間の協力で実現することになりました。竹澤さんは私のオペラ活動の支援者でもあります。作品を幼児向けに短くし、楽しんでもらうためのアイディアを演出に盛り込み、予算は掛けられないので手作りの大道具や小道具、衣装と、なるべくあるもので揃えました。当日は子どもたちがどんな反応をみせるか不安でしたが、年長児は事前にヘンゼルとグレーテルのお話を聞いていたので物語の世界を理解して、とても真剣に観てくれました。年少児は魔女の迫真の演技に驚いて泣き出してしまう子もいて、こちらも「しまった! やりすぎたかな?」と思いもよらない反応に困惑しました。しかし最後は、楽しかったよ、また来てねと満面の笑顔で見送られ、オペラを演じる側だけではなく、作る側の目線も面白いと感じる機会となりました。そして、小さなお客様を楽しませることほど難しいことは無いことも知りました。

厳しいけどありがたい

創作オペラを初演するには、チケット収入では足りず、助成金と協賛金が無いと公演が出来ません。実際には1席10,000円前後の費用がかかるのですが、一般前売りチケットは3,500円。差額6,500円前後が助成金と協賛金で賄われています。言い換えれば税金や企業の応援で、そのお金は尊いものです。
協賛をくださった会社経営者の「なぜあなたはオペラ公演をするのですか?」という問いに明快に答えられず、もどかしさをおぼえたこと、友人の会社経営者の「自分がトップでやるということは孤独なこと、華々しいことは何も無い。海の底に住む深海魚のようなものでずっと泥の中を泳ぎ回ること覚悟はできていますか?」という言葉は、責任を負うという私自身への自戒とエールと捉えています。

2022年2月公演を終えて

新型コロナ感染症のまん延で延期されていた、地元の人物が題材の初演創作オペラ「海翔る龍~銭屋五兵衛と北前船~」の全4回公演を2022年2月に終えることが出来ました。公演準備の間は新型コロナ感染症オミクロン株によるまん延防止等重点期間中だったので、オンラインの稽古も取りいれました。直前の稽古や本番中に演者に感染者が出れば公演中止と覚悟を決めての制作でした。2020年11月公演の延期を決めた当時、このように感染症が長引くとは思いもよらず、収束の見通しがつかないままコロナ感染症予防対策と共に活動することになりました。そして2022年は、2018年の金澤芸術文化交流ネットサルーテの初めての公演以来念願だった、地元題材の初演創作オペラの制作公演と引越公演が叶う年になりました。2022年9月18日(日)には、金沢を離れて珠洲市の多目的ホール「ラポルトすず」からオペラ「海翔る龍~銭屋五兵衛と北前船~」の公演をします。

2022年2月20日オペラ「海翔る龍」銭屋五兵衛と北前船公演
(提供:金澤芸術文化交流ネットサルーテ)

これからの目標

オペラは敷居が高いと敬遠していたお客様が、いまでは公演の感想を寄せるファンになってくれたことは、活動への大きな励みとなります。これからも、新しいお客様たちと共に成長していくのが楽しみでなりません。
そして、いま一つ考えていることがあります。オペラ好きを育てるために、オペラに興味のあるファンも演者も一緒になってオペラの裏方やマネジメントをやってみてはどうだろうと思うのです。オペラが、特別な音楽文化という位置から、地域でいろいろな人たちが交流し、お互いに関わり合うことができる機会を提供する音楽文化へ成長させたいのです。そのために必要なオペラの知識や舞台の制作について学ぶ場、いわば ”オペラの学校”を創ろうというアイデアです。音楽で地域を盛り上げることができ、音楽大学卒業者の活躍の場にもなります。こうして地域に根付いたオペラ文化を育てたいのです。これまで、手探りでオペラの舞台を制作してきたなかで、お客様、スタッフ、そして私自身が育ってきたことを実感し手応えを感じています。次は、地域が音楽で幸せになるための実践をさらに深めていきたいと思っています。