椎名 さえの(しいな さえの)
イギリス菓子店 Saeno Sweets オーナー
高知市でティールームを経営することを目標に、都内にて定期的に英国菓子販売イベントを開催しています。“お菓子のロマンでハッピーに”をテーマに、古き良きイギリス伝統菓子をご提供しています。イギリスの家庭菓子を勉強しながらみんなにワクワクしてもらえるようなお菓子を日々研究中!
最初のキャリアはグラフィックデザイナー
私は、東京の美術大学を卒業してから、長年にわたりグラフィックデザインの仕事をしてきました。学生時代には、グラフィックソフトを使用しプロダクトデザインや雑誌のレイアウト、ホームページの作成、グループワークを通じてプレゼンテーションなどが当たり前の授業でした。そのため、自然とデザイン業界でのキャリアを選びました。私の趣味は旅行で、留学中の友人を訪ねるうちに、世界中の異なる文化や歴史に興味を持つようになりました。旅行中に各国の刺激は誰でも受けますが、私にとっても非常に強烈なものでした。
仕事が忙しくても私は長期休暇を利用して海外に行き、経験を積むことに努めました。それは、仕事でのアイデアに生かされると強く感じたからです。これまでに、企業のロゴやホームページ、パッケージデザイン、イラスト制作、書籍デザインなど、様々な仕事を経験しました。その中で、自分自身のスキルを向上させるために、海外での仕事に挑戦したいという思いが生まれました。
私が好きな旅行先はヨーロッパが中心で、特にイギリスのデザインに魅了されています。そのため英語の勉強を始め、イギリスでの就職を目指しました。私にとってグラフィックデザインは、国境を越えて認められる共通言語であり、世界中で仕事ができる可能性を秘めた魅力的な職業だと思ったからです。
オーガニックチョコレート店を経営するホストファミリー
念願かなって約10年前にイギリスに渡った際、当時は20代でしたが日々仕事に邁進していたため、イギリスの人々が仕事よりも生活をとても大事にしていることに非常に驚きました。仕事先の先輩は11時には必ずティータイムを設けてたっぷりのミルクティーにビスケットを浸して食べる。例え給料が少なくなっても労働時間を短くして家族との時間を大切にする。必ず夕飯前には帰って夫婦で料理をするなど……。東京で、毎日終電までクタクタになるほど働いていた私にはとてもカルチャーショックでした。
最初に滞在したホストファミリーが、オーガニックチョコレートの店を経営していたため、チョコレート作りを手伝う機会を得ました。このファミリーの事業に触れたことで、イギリスのお菓子に興味を持つようになったのです。ホストファミリーはアイルランド系だったのでアイリッシュの要素が強かったのですが、よく作ったのはイギリスの伝統的なお菓子のスコーンやアップルパイ、ジンジャーケーキ、ソーダブレッドなどでした。
ホストファミリーは、オーガニックチョコレートを楽しく作っており、私には魅力的に映りました。彼らが作るチョコレートは生のまま加工するローチョコレートという特別なチョコレートで、カカオを焙煎しないので風味や栄養素が豊富でゴジベリーやナッツ、マカなどの体に良い素材が使われています。地域の健康食品店でも売られていました。私はその家族と一緒に、お菓子作りやハーブを使ったコーディアル作りを楽しむ機会を持ちました。コーディアルとは、水や糖、ハーブやスパイスなどの自然素材を使用して作る、アルコールを含まない甘い飲み物です。コーディアルは、ジュースやソーダ、カクテルのミキサーとしても使われます。ハーブを使用することで、コーディアルに独特の風味や香りを加えることができます。初めて飲んだコーディアルはエルダーフラワーという花のコーディアルでした。爽やかなマスカットのような香りがして、私が大変気に入ったため、たまたまホストファミリーの家の庭にエルダーフラワーの木があったので、花を積んでそのコーディアルを作ってくれました。エルダーフラワーは、風邪やインフルエンザの症状を緩和する、つまり鼻づまりや喉の痛み、咳、発熱などの症状を和らげる作用があるとされ、古くから伝統的に使用されてきたハーブの一つです。また、エルダーフラワーは、抗炎症作用や抗ウイルス作用があり、免疫力を高める作用もあるとされています。私は肌が弱くアトピー体質だったので、ファミリーが飲むといいと勧めてくれたときには、私の体のことを考えてくれた気持ちがとても嬉しかったです。また、自家製のコーディアルは市販品とまったく違い、新鮮で香りが強くとてもおいしかったのです。
他にもホストファミリーは食事にもたくさんハーブを使っており、お庭にはハーブガーデンもありました。庭で育てたミントやバジル、ディルなどのとれたてのハーブを食事に使うことは、食生活に豊かな彩りを加えました。私は元々極めてシンプルな和食が好きで、鍋に具材を入れて茹でてポン酢をかけたり、魚を塩で焼いたり、野菜を蒸したりして食べていたので、ハーブを使った食文化に初めて触れとても面白いと思いました。
実体験から民間療法や食事のよさを知る
食事の後には必ず「プディング」と呼ばれるデザートを食べる習慣がありました。それを、家族みんなが目をキラキラさせて楽しみにしていました。日本にいる時から私はお菓子は太るからと思って一切食べておらず、食べることは好きでしたが食事は適当でした。そのため、美味しい料理やお菓子を食べるのがこんなに楽しいんだ! と改めて思いました。また、私は東京での習慣を引きずっていたのでイギリスでも仕事に邁進しすぎたため、具合が悪くなり、働くことが困難になりました。ホストファミリーからハーブの効能を教えられ、一緒に私の体のためにアレルギー緩和作用や抗炎症作用のあるネトルを摘みに行ったこともあります。日常的な食事にハーブを使っている姿をみるうちに、お菓子と共にハーブが生活に欠かせない存在であることに感動しました。昨今は投薬治療が一般的ですが、ヨーロッパでも自然な形で治療することが望まれます。それで伝統的なハーブで治療しようということに直結したのだと思います。西洋医学は対処療法的なアプローチが主で、症状を和らげるために薬物や手術などの方法を用いることが多く、症状を根本から治すことには重点を置いていないという批判があります。また、薬物や手術による治療には副作用やリスクが伴う場合もあります。その一方で西洋にも民間療法も数多くあるのです。日本にも当然のように受け継がれてきた療法がたくさん根付いていますが、それが当たり前になってしまっていてその魅力や大切さに気づけていない人が多いように感じます。海外というちょっと離れた目線になることで、人々の暮らしの大切なものが少しわかったような気がしました。イギリスで体の回復を図る中で、すっかり食事に目覚めた私は調子が悪くても美味しいイギリス料理やお菓子が食べたくて、体に優しいものを自分で実験・研究してたくさん作りました。料理やお菓子作りはとてもクリエイティブで、私が長年やってきたグラフィックデザインと似ている部分も大いにありました。そして、食材を活かしておいしく、食欲をそそるように見目麗しく、体を作る素材として良いものに作り変えていくことが求められるため、より人の生活に近い仕事のように感じます。
人間的な暮らし方を求めて高知へ
食材の選び方や料理の工程には、地域の歴史や文化、伝統が反映されています。それを大切にしながら自分なりのアレンジを加えることができる料理やお菓子作りには、創造性や表現力を発揮できる面白さがあります。また、体に良い食材を選び、自分や家族の健康を考えながら料理をすることは、自己の健康管理や食生活の改善にも繋がります。
海外での経験を通じて、日本の伝統的な食文化や料理の魅力を再評価し、自分自身の生活に健康的な食事を取り入れることができたことは貴重な体験であったと思います。地域の歴史や文化、健康に関する知識を食文化を通じて自分自身の生活に取り入れることは、健康的で充実した生活を送るためにも素晴らしいことだと感じました。漠然とそれを「いつか」仕事に出来たらいいな、と思いながら帰国しました。デザイナーとして感性を磨き、より仕事の質を高めたいとの思いで渡英しましたが、現地の人々との交流で人間として大切な基本的な生活の質を上げることに、より重点を置くように考えるようになりました。その中で食生活というものの大切さが身に染みてわかったのです。
そんな中、高知市の繁華街の帯屋町で祖母が洋裁店を構えていた場所に、イギリスのカントリーサイドのように気取らない地域に根ざしたティールームを作ろうと思い立ちました。私が住み慣れた東京ではなく、高知県がいいと思うのは祖母の店があったということだけではなくて、人々の暮らしがより人間らしいと感じていたからです。東京は確かに便利でなんでも揃っていますが、地域に根差し、歴史や伝統を重んじ、四季を感じ、自然と共に生きる方が人間らしくて私には似合っていると感じます。
現在は仲間たちの応援を受け東京でポップアップイベントを重ねながら、高知県での準備を進めています。高知では地元のアーティストや作家と協力し、ティールームを経営する予定です。そこでは、ワークショップや作品の展示をし、それを通じて地域の交流の場を作りたいと思っています。そして、日本だけではなく、イギリスを含む海外から訪れる人々ももてなしたいと考えています。私のティールームは、現実から離れて癒されたり、楽しい時間を過ごせる場所を提供することを目指しています。また、私はお菓子の歴史や背景に興味があるため、お菓子作りのコンセプトに、ロマンを非常に大切にしています。
お菓子のロマンとは、懐かしさや愛着、幸せや楽しみを感じる心のあり方を指します。人生の中で、お菓子は幼少期や特別なイベント、大切な人との思い出などで重要な役割を果たします。例えば、お母さんの家庭の味、誕生日のお祝い、季節を感じる旬のお菓子やお祭りなどです。また、お菓子はその形状や味わい、香りなどが特定の地域や文化に根ざした伝統や風習と結びついており、それらを通じて人々の心を豊かにしてくれます。それぞれに面白いエピソードや物語があることもあります。私自身が魅了されたイギリスのハーブなども積極的に取り入れていきたいと考えています。人々の長い歴史や暮らしの中で試行錯誤しながら生まれた美味しいものたちの物語が、ただ単に美味しいだけではなく、健康や生活、ロマンを提供するものであることが、お客様に伝わるよう心がけています。
私は健康を損なったことがきっかけでお菓子作りと食の大切さに目覚めましたが、忙しさの中でお菓子を食べる時間を特別なものにしたいと考えています。お客様との交流の中で1番嬉しいのは、お菓子の成り立ちを説明すると、お客様が「素敵ですね!」と目をキラキラさせて興味を持ってくださること、そして召し上がった後に「こんなお菓子がイギリスにあるんですね。面白いですね〜」と、私と同じ”ロマン”を感じてくださることです。
私の願いは、イギリス菓子を通じて、身近な日本の生活のロマンにも気づいていただけることです。これからも、日々のときめきを味わって生きていきたいと思っています。