吉村 桂充(よしむら けいいん)

上方舞(地唄舞)舞踊家 『わのこころ 上方舞友の会』主宰

吉村 桂充

武蔵野音楽大学器楽学科ピアノ専攻卒業。一方で、日本の伝統文化に没頭し、上方舞を吉村流五世家元、故吉村雄輝夫師、六世家元吉村輝章師に師事、上方舞舞踊家となる。道としての日本文化のあり方を追求している。海外からの招聘が多く、世界各国の芸能者との交流を行っている。平成14年度文化庁派遣在外研修員。平成18年度文化庁芸術祭新人賞受賞。他、受賞多数。


洋楽から日本の伝統音楽へ

『女性百名山』という、清々しく、神々しいようなタイトルのページに、何か書くようにとのお話をいただき、畏れ多いことと思っております。俗な人間ではありますが、紆余曲折の中で、ひたすら日本の伝統文化の深い心を大切にしたいと思い、歩んでまいりました。わが身を振り返りながら、道なかばではありますが、越し方をしたためさせていただきます。 物心つくまでの私は、とても内向的な子どもでした。自分の思うこと、やりたいことを、何 一つ意思表示することがありませんでした。そんな私が4~5歳のころ、母は日本舞踊を習 わせてくれました。ですが時代の風潮とともに、日本舞踊ではなく、流行りのピ アノを習うようになりました。でも、ポンと一つ打った鍵盤の音色は、私には決して魅力的には響きませんでした。それでも、音楽は他の勉強より何より好きでしたので、音楽大学に進み、ピアノを専攻しました。 大学で、日本音楽研究家の吉川英史(きっかわ・えいし)先生の『日本音楽概論』の講義を拝聴したのが、遅咲きの私の、日本の伝統音楽への目覚めでした。
それから、私は自分の意志で、日本人の芸能に戻る道を歩むことになりました。吉川英史先生のご講義でもっとも印象的な言葉は、音楽と宇宙についてです。「西洋の音楽は、ゴシック建築のように、上へ上へと積み上げていくことで作り出す宇宙。 純粋な音の積み重ねが作る和音で音楽がなりたつ。日本の音楽は、一粒の音の中に宇宙をこめている。純粋な音ではなく、雑音をわざと作り、一粒の音の中に入れている。そのため、和音はない」 日本の音楽の代表的な楽器、三味線には、『さわり』という機構があって、わざと雑音(ノイズ)が出るようになっています。このことにより、一粒の音の余韻に味わいが出ます。日本には、「余情残心』や「余韻嫋々』と言ったことばがあります。まさに消えゆかんとする音の中に、いつまでも心に残る情緒を響かせています。私の求めている音色は、この音、 雑音の響く三味線の音色とその余韻だと気づいたのです。私は洋楽から離れ、日本の音楽に没頭し、自分の意志で選んだ道をまい進することにしました。 邦楽は、地歌、清本、長唄、小唄・端唄を学んだ他、14年間、義太夫節を竹本春華師に学び、竹本華昇の名前をいただき上野・本牧亭の舞台にもたたせていただきました。残念ながら、尊敬する師が他界され、今は女流義太夫の世界からは離れてしまいました。でも、春華師の魅力的な浄瑠璃は、今もいきいきと思い出されます。

日本の伝統文化の中で生活する

明治以降、日本政府は、ヨーロッパ文明の吸収に専念し、日本の伝統音楽は、学校教育から姿を消し、人々の生活からも、消えていきました。第二次世界大戦後も、ますますその傾向に拍車がかかり、音楽ばかりでなく衣食住のすべてにおいて、欧米化の波に飲み込まれてしまいました。衣食住において失われつつある日本の伝統文化。そのことに、私はとても危機感を持ちました。私は日本の伝統文化の持つたぐいまれな繊細さ、美しさにぞっこんでした。私たち日本人の宝物である伝統が、すべての分野において姿を消していくことが、とても残念ですし、何とかして日本の伝統文化を大切にして維持したいと願っておりました。「衣』において、日本の伝統的染色、織物の素晴らしさは誰もが知っています。でもその伝統は日常生活から消え、着物姿は町から消えました。「食』においては、お米文化と不可分な、味噌、醤油、お出し、ぬか漬けの味より、パン食が隆盛となりました。「住』においては、畳、柱、障子、襖といった和の空間が無くなり、みなさん日常的に正座をしなくなり、椅子で生活をする人が多くなりました。これらの事で、どれだけ日本の伝統的な生活が無くなり、洋風な生活へと変容したことでしょうか。私は、時代に逆らうように、いまだに畳の部屋で寝起きし、正座して、ご飯とみそ汁の食事をとり、古い着物を普段用にリメイクして着て過ごしています。母に逆らい、洋楽を学ぶことをやめ、邦楽の世界に没入し、日本の伝統文化を多方面から学び、約50年間を過ごしてまいりました。 鎖国をしていた江戸時代のように、日本の中だけにとどまり、日本を見つめて過ごしてきました。海外へ旅行したいと思ったことは一度もありませんでした。それほど、日本文化は私の心をとらえて離しませんでした。

京都 梨木神社 萩まつりにて 地唄『水鏡』(2018年)撮影:松原昭俊
京都 梨木神社 萩まつりにて 地唄『水鏡』(2018年)撮影:松原昭俊

伝統芸能を海外へ紹介する

それですのに、60 代を過ぎてから、とみに、海外で開催される演劇関係のフェスティバルの主催者から招聘されるようになり、毎年、世界各地に、日本の伝統文化の一端をお伝えしに出かけるようになりました。この10年ほどの間に訪れた国は、イタリア、スペイン、デンマーク、ドイツ、トルコ、インド、インドネシア、台湾、アメリカ、キューバ、エクアドル、メキシコ、ハンガリーと13か国にもなります。特にイタリア、スペインとは、ご縁が深くなり、毎年のように招聘していただいています。世界各地で、演劇を志す若い方々にワークショップをして、日本の舞を体験してもらったり、本格的に衣装やかつらをつけた公演を行ったりしております。言葉も習慣も異なる海外の方々と、どのように、心の奥深いところで共感しあえるのか、そのことを実現するには、ただ、無心に、ひたすら自分の追求してきたことを一心不乱に演じるしかないと思っております。 そんな私の心の指針となっているのは、二人の偉大な師です。残念ながら、お二人とも、すでに亡くなりました。お一人は、宝生流シテ方人間国宝でいらっしゃった、三川泉先生です。私は、上方舞(地唄舞)を専門としていますが、舞を深く追求するために、長年能楽を学んで参りました。その中で、特に心を深く打たれたのは、三川泉先生の言葉です。「芸は自然でなくてはだめだ。頭で考えたのは芸じゃない。無だよ。無でなくてはだめだ。道なんだよ。日本の文化はみな道なんだ」先生は、お稽古の中でよくこのようなことをおっしゃいました。私は、先生の能だけではなく、「日本の文化はみな道なんだよ」とおっしゃるその言葉に感動を覚えました。特に能のように、ごく抑えた演技で豊かな表現をするには、魂のレベルの高い表現が必要に思います。私が専門にしております上方舞(地唄舞)も、いたって少ない動きや、抑えた表現から、豊かな世界をくりひろげることを目指しています。観客のみなさまには、技術よりも、舞う人の魂が見えてしまいます。技の錬磨はもとより必要不可欠なことではありますが、技よりもより高い精神性といったものが大切なのだと思っております。日本の文化は、芸道と言われ、茶道、華道、歌道(敷島の道)、武道など、みな「道」がつきます。そこには、単に技や知識や才能や個性に終わらない、人間としてのあるべき姿の探求があり、至高のものへと向かう果てしない道を目指すものという響きがあるように、私には思えます。

キューバでのワークショップ(2014年)
キューバでのワークショップ(2014年)

魂を磨き技へつなぐ

技の習得には、日々の鍛錬が必要です。それでは、魂を磨くにはどういしたらいいでしょうか? このことを私は、ヨーガや神学、宗教、修験道、禅などの精神を様々な方面から、40 年近く探し求めてまいりました。そして、さ迷い歩く中から、素晴らしい師との出会いを頂戴しました。師の名前は、本山博先生。文学博士(哲学・生理心理学)でいらっしゃいます。今の世の概念では、肩書を特定できないほど、幅広く、奥深い研究をされました。その分野は、哲学、神学、宗教学、科学(電気生理学、生物物理学、量子力学など)、西洋医学、東洋医学(鍼灸医学)、超心理学、ホリスティック医学、形而上学など多岐にわたりました。残念ながら、2015 年に亡くなられています。しかしご著書は多数残り、先生の高弟の方々が、その教えを今も着実に伝えて下さっています。私も本山博先生の設立された、IARP(国際宗教超心理学会)で、瞑想ヨーガや神学を学び続け、講師をつとめさせていただきながら、日々、魂を磨くことを心がけています。日々のつとめとして、大いなるものに祈ることはたくさんありますが、本山博先生が今の時代に特に大事とされ、良く祈るようにとお教え下さった、次の三つを念じることにしております。 (1)自然と人間が共存できますように。(2)世界中の宗教が争わないで、互いに認め合って、大きな地球社会の宗教になれますように。(3)人類は今、物の方に偏ってしまっているけれども、魂を思い出すように。魂に目覚めるようにこの三つを心に念じ、祈った後、最後に「世界中が平和になり、愛に満ちた地球社会が実現しますように。」と祈ります。私はこの祈りのために、私のちっぽけな身をささげたいと願っております。私が舞いますにも、このような道をたどる者として、愛に満ちた地球社会の実現を祈りつつ、世におささげしたいと願っております。至高の道は大いなるものへと向かう、はるかかなたへと続く道で、私のような未熟な者には果てしない永遠の道のように思われます。高い山のいただきを仰ぎながら、精進してまいります。最後までお読みくださり、誠にありがとうございました。

地唄『袖香炉』(2018年)
地唄『袖香炉』(2018年)