水本 江理子(みずもと えりこ)
環境NGO調査業務
- 早稲田大学第一文学部心理学専攻卒業
- 大手酒類メーカーの女子事務系総合職第1期生として入社
- 営業、人事、広報、営業企画を経験後退職
- 中小企業診断士資格取得後、個人会計事務所勤務を経て、4大監査法人の1つに入所、12年間、環境情報、環境金融関連のコンサルティングを担当する
- その後退職し、現在は、環境NGOに関与しながら、フリーで調査業務等に従事
理系から文系に転換。「性差」に関心を抱く
もしあの時、あの選択をしていなかったら、今の自分とは大きく異なっているだろう。そう思えるディシジョンをしたのは高校2年生の時です。どちらかと言えば理数系が得意で、将来は生物か遺伝子を専攻するつもりでいたのですが、微分・積分のちょっとした問題につまずき、数学への苦手意識が生まれたこと、またちょうどその頃に心理学という分野があることを知り、大学に行って心理学を専攻することにしました。その後社会人となり、最終的には環境問題の解決に資することとをしたいと強く思うようになったので、あの時、そのまま理数系の道を選び、生物を専攻していたら、もっと違う形で貢献できるようになったのではないかと、人生においてこのことだけ、今でも少し後悔しています。
さて、希望通りに私立大学に合格し、2年生から心理学を専攻、特に社会心理学の分野に興味を持ち、意識調査の手法等の勉強をしました。そして卒業論文に選んだテーマは「性差」。どうしてそのテーマを選んだのか、はっきりとしたことは覚えていませんが、就職活動等を控え、初めて男女(格)差というものを実感したからかもしれません。勿論、私の仮定は、性差はない、というものでした。周囲は女子の方が成績優秀でしたし、私自身、同級生の男子と対等に話をし、むしろ一目置かれていた(怖がられていた)ので、能力的な男女差を感じたことがなかったからです。その認識は今も変わりなく、自分自身ではこれまで女性だからという理由で不公平な扱いを受けてこなかったと思えているのは、卒論で性差はないと結論づけたことも影響しているからかもしれません。
総合職第1期生として、ジェンダー(男女平等)問題に触れる
初めての就職先は、マーケットインの発想で新商品をヒットさせ、奇跡的に業績を復活させたビールメーカーで、業績回復に伴い、女子の事務系総合職を初めて採用した年に、入社させていただきました。先に記載しましたように、社会心理・意識調査等を専門分野にと考えていたので、こうした会社でマーケティングの仕事ができたら面白いだろうな、と思ったのが志望理由です。
実際に入社してみると、最初の配属は大阪支社での営業でした。営業職として配属になったのは、やはり製造・販売の企業なので中心的な職種であるということと、既存の女性一般職との差別化を狙ったようです。
最初の女性営業ということで、周囲も大変そうでした。ちょっとお洒落な借上げ寮を用意していただきましたし、研修後に本配属された支店も大阪の中では上品と言われる北摂地域が担当エリアでした。配属先の上司(支店長)に、電話でまずご挨拶をした際に一言、「気が重いよ」と言われたのが今でも印象に残っています。初めてのことでどう扱ったらよいかわからないというのは勿論のこと、会社からは「お前に女性総合職の育成を任せる」ということですから、無理もありません。同じ支店に同期の女性総合職も配属になったのですが、やはりライバル心からか仲が良くなく、指南役の先輩社員がそのことに愚痴をこぼしていましたっけ。(でもその職場が離れてからは仲良くなりました。)
商品力、タイミング、周囲の支え、自分の創意工夫・努力により、営業としてそれなりの成績を残して、2年後に東京本社の人事部に異動となりました。3年以上担当してから異動するのが一般的で、2年は早いサイクルになります。営業は自分の努力が明確に業績に反映するのでやりがいのある仕事ではありますが、数字のプレッシャーや取引先とのトラブル等もありますから、もう限界!辞めたい!と思うこともあり、それが本社の方にも伝わっていたようです。それに加え、会社側は、私達の翌年には15倍以上の女性総合職を採用し、全員営業配属にしていたので、実績を残せば営業以外の業務も担当できるよ、と示す必要があったのだと思います。会社は女性総合職を定着させるためにいろいろ考えているなぁと思いつつ、今後200名程いる女子総合職の後輩たちをどう配置転換・異動させるのだろうと不安に思ったことを覚えています。
自分のキャリアについて疑問を抱き、転職する
さて、人事部で新卒採用を2年担当した後、広報部2年、名古屋支社業務部2年と2年毎に職種・職場が変わることとなり、幅広い勉強をさせていただきました。中小企業である酒販店担当を経験していたことから、自分でも中小企業診断士の資格をとって仕事に役立てようと勉強していました。でも、そろそろ30代、管理職になる頃、その会社における自分の将来像が描けないことに気づきました。先述のとおり、自分が総合職第1期であり、ロールモデルとなる人がいなかった、ということもあります。人より多様な職場を経験しましたが、将来のポジションを想像して、例えば40歳で地方の支店の業務部長を務めることが自分のやりたいことか、と自問した場合、やはりちょっと違うかな、と思ったことが大きかったです。また当時、実家(東京)を離れ名古屋で勤務していましたが、母親が骨髄腫と診断されており、無難な口実があったことも退職を後押ししてくれました。会社からは、導入された転換制度を利用して地域限定社員(総合職とは昇格や給与テーブルが異なります。)になれば東京に戻れる等、一応、慰留していただきましたが、地方なのでそうした手続きが形式的でしたし、最初は退職に反対していた母親も、東京には戻って欲しいということになりました。色々な意味で退職する条件が揃い、えいやっと辞めてしまって実家に戻ってしまいました。
自分のやりたい仕事に就くために努力する
退職を考えるようになった同じ頃、環境問題に関心を抱くようになっていました。そのきっかけは、モンゴル国への旅行です。趣味で乗馬を習っているのですが、草原を馬で走ってみたい―そう思ってモンゴルへのツアーへ参加した時に、あまりに物資の少なさや、ゲル(移動式住居)でのシンプルな生活にカルチャーショックを受け、「今の自分はなんと無駄にモノを消費しているのだろう」と実感したことが始まりです。ただ、環境に貢献する仕事と言っても、大学の専攻や職務経験では環境に直接つながるようなものはありません(当時、会社も環境専門部署等はまだありませんでした)。そこで出会ったのが、ISO14001でした。ISO14001とは、国際標準化機構(the International Organization for Standardization)が企業などの活動が環境に及ぼす影響を最小限にとどめることを目的に定められた、環境に関する国際的な標準規格の中の、環境マネジメントシステムの仕様を決めている規格です。
マネジメントシステムであれば、事務系の自分でもできるのではないか。そう考えて中小企業診断士の資格を取得後、診断士協会の勉強会等に顔を出し、情報収集やネットワークを築きながら、ISO14001関係の講習会にも自費で参加し、その方面の知識習得に努めました。診断士仲間で、ISO14001認証取得のコンサルティングや関連書籍の出版をしたり、また先輩診断士から紹介された環境NGOの会員になって、環境報告書の自主研究グループに参加したり、セミナー運営等のお手伝いをしたりしているうちに、そこでご一緒していた方から声をかけていただいて、その方が勤める監査法人の環境サービス部門に入所することができたのです。やはり自分にできることはする、人と触れる機会をつくることはとても重要なのだと思います。実際に新しい職場でも女性はやりたいことを目ざして、自己研鑽・自己啓発して、自分の道を切り開いている人が多かったように思います。
経験を楽しむ・経験を活かすことで自分を成長させる
さて、念願かなって監査法人で環境コンサルタントとして自分のキャリアを再スタートさせ、ここでもさまざまな経験させていただきました。途中、子会社の取締役にもさせていただきましたし、入所した監査法人の解体に伴う移籍等もありました。継続して契約いただけるクライアントも多く、獲得契約金額も安定していましたが、合計12年程勤めて退職しました。退職にいたった事由は色々あります。社風、社内の人間関係、健康問題、経済的条件(両親の遺産もあり幸い不動産収入があります)等・・・。中でも一番大きいのは、それまでの仕事に情熱を持ち続けられなくなってしまったことだと思います。
ただ、監査法人での12年間を振り返ってみると、グローバルなアカウンティングファームに勤めていたことで、環境やCSRに関する専門知識だけではなく、品質管理やリスクマネジメントといった知識や経験を広げることができたことを実感しています。
監査法人退職後は、お世話になった方から頼まれて、環境系の一般社団法人で政府の基金事業や補助金事業を預かる部門長を務めています。ここでも政策決定の流れ、政府や政治家の動き、また事業によっては訴訟対応等、新しい経験を積ませていただいています。また、環境コンサルタント時代にお世話になった方、関係のあった企業・団体と仕事をさせていただくこともあり、12年の間に蓄積したネットワークの大切さも実感したりしています。
責任感とプライドを持って仕事をすれば、評価がついてくる(辞め方も重要)
以上のように、私は、方向転換しつつも、それまでの経験を活かして、それなりに仕事を任せられ、責任を果たしてきたという感じです。私がこうして自分のキャリアを積んでこられたのは、先に記載したとおり、経済的なことも含めて自由な選択が許される環境にあったことも大きいですが、何より仕事をいやいやするのではなく、自分が納得できることをやるための努力をした方が有意義だと考え、実践してきたからです。但し、キャリアを転換するにあたり、守っていることがあります。それは〈飛ぶ鳥跡を濁さず〉―退職に至るまでの経緯です。
すぐに辞めてしまうことは女性社員への批判の一つですが、実際に同僚や後輩たちが仕事を途中で投げ出し、周囲に迷惑をかけているのをたくさん見てきたので、退職する際には人事異動の時期や職場のその後の体制を考え、準備期間を1年以上設けてきました。また退職後も後任のフォローをする等、担当していた業務に支障が出ないよう心掛けてきました。
先に、女性として不公平な扱いを受けた記憶はないと書きましたが、こうして振り返ってみると、やはり自分が果たすべき役割は最後まで果たしてきたので、周囲に認めてもらえていたし、退職後も良好な関係が続けられているのだと思います。
今の職場は、事業特性上ほぼ全員が契約社員であり、私はまた近いうちに自分のキャリアの方向転換を図ることになると思いますが、これまで身に付けてきた知識や経験、ネットワークは、必ず何かに役に立つと考えています。例えそうしたものがなくとも、多くの仕事は責任感とプライドをもって遂行していけば、また新たな自分の力になり、周囲からも評価される。働くって、そんなことではないでしょうか。