臼井 礼(うすい あや)

楽希楽園合同会社代表、CCAジャパン共同代表

“夢職”、サステナブルリーダーシップコーチ&ファシリテーター、
楽希楽園合同会社代表、CCAジャパン共同代表、CPCC、PCC。
世界的な自動車会社の「ものづくり」部門でキャリアをスタートさせて以来、欧州、アジア、日本で、15年間の人事経験を経て独立。真の自己に軸をおき、社会問題や気候変動に対して高い意識と行動力を持つ「サステナブルリーダー」の創出を目指す。イギリス・フランス留学にて国際経営学の修士号取得。3人の娘の母親。


「私は・・・地球人?」

SF映画のタイトルではありません、私自身のことです。何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが(笑)、どうかお聞きください。私がむかし日産で働いていたころのことです。
当時は、きっと「あなたは宇宙人ですか!?」って周りの社員達から思われていたに違いありません。彼らはほとんどが日本の有名大学を卒業した新卒採用のエリートさんたち。私はフランスに留学して、ルノーでのインターンを経てパリの欧州日産で数年間働いてから、中途採用で日本の日産本社に移ってきた中途社員。1999年のルノーと日産のアライアンスの直後で、企業の内部を知っていて、しかも英語とフランス語のできる日本人ということで、本社の海外人事部に入社したのです。

なんでも「入社」式をやるというので「えっ!  私も?  今さら?」とブツブツ言いながら行ってみると、他の社員さんたちはまるでカラスの大群みたいに全員まっ黒の服を着ています(^ ^;) 。そこに私だけ派手なピンクの服で混じったものだからもう浮きまくりっ (><)!
それからは案の定、村八分状態です(涙)。そりゃまあ、他の社員さん達が「国産在来種」とすれば、私はヨーロッパで多国籍集団のなかを渡り歩いてきた「外来種」みたいなもの。センスや価値観がまるで違います。多勢に無勢で苦労しているうちに、「自分はここでは孤独な宇宙人なんだ。地球人の服を着て地球人のフリをしてやっていくしかない」と、まるでSF映画に登場する異星人みたいな心境になってきました。

あるとき新しい人事制度を導入することになり、世界中の日産の拠点長のOKをとらないといけないということで、たまたまスペインの工場長と知り合いだった私はすぐに電話して「いいよ~」と了解をもらいました。「よし」と思ったらその直後、他の社員さんの一人がやってきて「順番がちがうでしょ! 僕たちが正規の手続きを踏んでやるから、余計なことはしないでくれ!」とえらい剣幕で(;_;)、「別に誰がやったって、できる人間がサッサとやればいいのに…… Why?」と頭がクエスチョンマークだらけになりました?(゚Д゚)? 欧州日産で働いていたときにはそんなことを言われた経験は一度もなかったものですから。同じ日産でもヨーロッパと日本とで社内風土の違いは大きかったです。

私の原点

私は千葉県房総半島の先っぽにある南房総市千倉町という海辺の町で生まれ育ちました。家を出てすこし歩くと、目の前に太平洋の大海原とスカッとした青空が広がっています。家の周りは色鮮やかな一面のお花畑。後ろには美しい山並み……とにかく広々としてカラッとしたカラフルな環境です。大自然の中を一人で遊びまわり親にも心配かけまくりの“アドベンチャーガール”でしたね。後に日本を飛び出したのも、パラオが大好きになったのもそんな環境で育った影響が大きかったのだろうと思います。

その私が高校を卒業して、初めて訪れた憧れの外国はなぜか“イギリス”でした。
行かれたことのある方はご存知でしょう、イギリスってお天気が悪くてどんよりしていて全然カラッとしていないしカラフルでもない。そして何より料理が美味しくない! 到着してからこの後どうするか。考えるまでにそれほど時間はかかりませんでした。実は私がイギリスに憧れた、たった一つのシンプルな理由は

「イケメンに会いたい!」

ただそれだけ (^ ^;)。当時お菓子のCMに出ていた英国人の男の子が超カッコよくて「イギリスに行けばこんなイケメンと暮らせるにちがいない!」と、なんと単純なんでしょう。でも好きなものは好きだから、仕方ないです。イケメンぬきの人生は考えられませんから(笑)。もちろん親にはそんなこと言いません、「国際人になりたい! 語学の勉強がしたい!」といかにもそれらしく説得しました (^_^;)

「後悔先に立たず」とはいえ、長年の念願だったイギリス生活がいよいよはじまりました。その年の夏休みにたまたまフランスに旅行に行きました。そしたらまあ、天気はさわやか、ご飯も美味しい、さらにイケメンもウジャウジャいる! 「こっちよ!こっちが私の世界だわ!」というわけで速攻フランスの学校を調べて、イギリスに戻ってビザをとってすぐに荷物を送ってしまいました。しかし、待望のフランスに到着したはいいが、どうしていいか分からない(笑)。そこで初めて親に電話して事情を話したら、やっぱりびっくりされました(当然でしょうね ^ ^)。それでも現地の知り合いに連絡しまくったりして色々と手をつくしてみたら「捨てる神あれば拾う神あり」で何とかなったんです。心配するより先に行動してしまう習性は若いころから変わりません。

フランスでの、学生生活6年間と欧州日産の3年間は、自分の人生の宝です。世界のあちこちに旧植民地がある関係で、フランスにはさまざまな国の人々が集まってきます。学校も職場もまさに多国籍空間! 色んな国の言葉や価値観にもまれるうちに徐々に「宇宙人」っぽさが形成されたのでしょう。
どうして欧州日産を選んだか……? そう、もちろん “イケメン” です(笑)。車にかかわる仕事につきさえすれば大量のイケメンに出会えるはずだと。入社前にルノーでインターンをした時に訪れたジュネーブのモーターショーで、早くも予想は当たりました。もうあっちもこっちもイケメンだらけの「世界のイケメンショー」状態! 「あぁ来てよかったわ!」としみじみ喜びを噛みしめましたね。もちろん車なんて全然見ていません(笑)。

地球人の服を脱ぎすてる

欧州日産で役員秘書として働くうちに、そろそろ日本へ戻って専門職についてみたいという気持ちがわいてきました。それで当時の上司に「そろそろ日本に帰ろうと思っているので、日本で仕事さがしていま~す」と呟いてみたら、ちょうど空きポジションができていた日産本社の海外人事部に入れてもらえることになったのです。喜んで日本に戻ったのはよかったのですが、いきなり真っ黒カラス的な大群の洗礼をあびて、ここで話は冒頭の「地球人の服を着た宇宙人」につながります。

カラスにひるんで一度は「グレーのスーツ(地球人の服)を着て地球人のフリをしていよう」と決心した私でしたが……、やっぱり無理でした(笑)。どんどん溜まるフラストレーションで、自分のアイデンティティがわからなくなり、そうこうしているうちに流産や、夫の鬱が重なり、ついに、ちょうど仕事の紹介を受けた会社に転職。新しい職場はアメリカ資本の外資系企業で、もうなんというか、やっとカラス軍団から解放されて自由な空へはばたいたような小鳥のような(笑)晴れ晴れした気分でした! 当時、10万人以上も社員がいる大きな会社で働き世界を知っているつもりでいましたが、一歩外にでてみると本当に世界は広くて様々な人がいて。「自分も様々な人の1人として貢献できることがある、自分をもっと大切にしようと」とひらめいたのです。
新しい職場では、組織開発とタレントマネジメント(人財開発)、ダイバーシティ&インクルージョン、女性MRの活躍推進を担当しました。

そんなとき、アジア女子大学(AUW=Asian University for Women)の奨学金を支援するというファンドレイジングのイベントがあり、JKSKを立ちあげられた木全ミツさんに出会いました。当時、社会貢献に興味をもっていた私は木全ミツさんの生き方や「若い人はね、ドンドン行動するのよ」という言葉にインスパイアされて、サラリーマンを卒業するという決断をしたのでした。

(次回へつづく)