濱田 静江(はまだ しずえ)

社会福祉法人 たすけあいゆい 理事長

濱田 静江
  • 昭和24年10月生まれ(さそり座) 群馬県出身
  • 保育士、栄養士を経て、結婚を機に専業主婦として川崎市、横浜市にて12年を過ごす。
  • 生活クラブ生協の活動から、横浜市南区において主婦9人で助け合いホームヘルプ活動を始め、NPO 法人を設立し、社会福祉法人に移管した。
  • 在宅福祉サービスとして介護保険事業全般や、訪問看護、障害者への就労支援事業、障害者グループホーム事業、児童発達支援・放課後等デイサービス、母子生活支援施設の運営児童家庭支援センター、コミュニティサロン運営等、多様化した地域の福祉的ニーズに日々対応している。

1. 生い立ち

私の出身地は、群馬県で製糸業が盛んな地域でした。製糸業は女性の仕事とされ、富岡製糸場等が有名ですが、女工として女性が家計を支える家が多い地域でした。また農家も多く、田植えや稲刈りはこどもの頃から家族や親せきと一緒にしていた事を良く覚えています。田植えや稲刈りは一つの家族で行う事が困難なため、親戚や隣近所の方々に助けを借りて行う事が慣行となっていました。これが「助け合い」の原点です。困った時はお互いに助け合う事で困難を乗り越える事が出来る。とても素敵な関係だと思います。
私の子供時代だった1940年~50年代はどの地域もそうだったのでしょう、無医村で下水道の整備も進んでいない地域が多く、このころから地域格差は在りました。頭にシラミのいる子や結核で命を落とす村人も多かった時代でした。
私の父は、村役場に勤める公務員でした。今の様な生活を支える制度が無い時代ですから、自分たちで暮らしを良くしていくしかないわけです。次の世代に病気や貧困、つらい思いをさせたくない、自分たちの力で変えていかなければと、結核に関する勉強会を医師を呼んで開いたり、診療所を作ろうと日夜取り組んでいた姿を鮮明に覚えています。役場の人、村人が一緒になって村の生活改善に取り組んでいた姿を見て、こんな風に人と人とが支えあっていくのだなあと思いました。

2. たすけあいゆいの成り立ちと語源について

1980年代に女性の社会進出の勉強会に参加したのがきっかけで、「助け合いグループ・結」として主婦9人が集まって発足しました。子育てがひと段落した主婦たちが、その家事能力と時間を、地域で困っている人のために活用してみようという趣旨で新しい「助け合い」の関係づくりがスタートしました。
「ゆい」は初めは「結」でした。この語源はかやぶき屋根の屋根をふき替える時に、その家の人たちだけでは出来ません。「結(ゆい)」というチームを作ってふき替えをしていくという仕組みがあり、この助け合いの関係性を表す言葉として「結(ゆい)」を知りました。さらに、結という字は結ぶ(むすぶ)という意味もあり、人と人とを結ぶ、良い関係を結ぶ等の意味もあり、助け合いながら、よい関係性を結び、地域で自分らしく暮らし続けていく、という運営の理念にも通ずるので、是非名前に入れたいと思ったのです。
お子さんや知的障害のある方でも読めるようにしたいと考えたため、すべてひらがなで「たすけあいゆい」という法人名になって現在に至ります。発足してから25年が経ちました。おかげさまで、南区では「ゆいさん」の愛称で親しんでくださる方も増えていきました。

3. たすけあいゆいの目指すもの

2,30代までは編集執筆の仕事しか知らなかった私が、起業をすることになったのは2001年40代になってからのことです。
高齢化、核家族化が進み社会状況の中で、だれもが住み慣れた街で安心して心豊かに人としての暮らしが続けられるよう、地域の人々がお互いに助け合い、支えあっていくことができるまちづくりを目指しています。福祉事業は人と人との関係の中で営まれ、良い関係の中でこそ発展します。以下に私たちが大切にしている運営理念をご紹介します。

4. 運営理念

  1. 地域社会の一員として、福祉の実情をとらえ、市民のニーズに即したサービスの提供に努めます。
  2. あらゆる活動において利用者とともに歩み、その幸福と福祉を追求します。
  3. 常に暖かい心で専門性のあるサービスを提供します。

5. たすけあいゆいの役割

利用者にとってのゆいとは何か、「困ったときに助けてほしいと言えば、助けてくれる」あるいは、「助けてくれそうな機関につないでくれる」といったものでしょうか。ゆいと関わりを持ってくれた利用者の皆さんから、「こんなことで困っている・・・」といった声をそのニーズを制度に結び付ける役割を担ってきました。
 ゆいの利用者がゆいを育ててくれたといっても過言ではありません。たすけあいゆいの職員のほとんどが女性です。昔と違って多様な生き方を女性が選択できる時代になってきました。その中で、結婚、出産、介護等の経験をしながら働き続ける職員が多いことも事実です。働く場としてたすけあいゆいを選んでくれた。その理由は様々でしょう。多様な働き方に対応できるように、職員の声を元に働きやすい職場づくりに努めています。
 企業内託児室を作り、5年になります。2人目、3人目を産んでくれて、少子化にならないよう、いつでも福祉の専門職として、職場に復帰できるように就業規則を子育てしやすい様に整備しています。まず、まちづくりには人を支えてくれる職員を支えることが必要を考えています。出産後託児室を利用しながら、働き続ける職員が徐々に増えてきました。
 次世代を支え、育てる事業として、母子生活支援施設(母と子の安全で安心できる暮らしの場の提供と子育て、生活の支援の組み立てを一時的提供する施設)を平成18年12月開所し、児童家庭支援センター(母と子が安心して相談できる場、子どもを一時的に預かる場)を南区、磯子区、金沢区の3区で運営しています。
 様々な事情を抱えながらも、懸命に生き抜いてきた母と子ども達に出会いました。地域で生活する中で、母と子どもが抱える複雑で多様な課題を、地域の見守りと専門的知識を持った職員によりサポートを受けながら、自分たちの暮らしや人生を立て直していく過程に寄り添うような支援を実施しています。本当に様々な事情を抱えた母と子に出会いました。母が育った家庭に課題があり、家庭生活の中で料理や家事全般の経験を得られなかった方も多く、そういった方が子育てに取り組むには、専門的なサポートが必要だと考えています。
 児童福祉の分野である母子生活支援施設の運営をする中で、たくさんの気づきや驚きがありました。核家族化と一言でいうのは簡単ですが、格差社会の現実はDV、虐待、子どもの貧困と個人の努力だけでは解決し難い状況により、とても深刻な影を落としています。
 子どもは大勢の人に愛されて育ち、教育を受ける権利があります。その権利が奪われている現状の中にあっても、子どもたちは母を慕い、支えながら必死に生きています。支え手が少ない子育て世帯はたくさんの困難を抱える状況に追い詰められ、疲れと孤独感をより一層深めています。良い支援者と巡り合うことで、それぞれが生きる力を育み、よりよい人生を歩んでいくために努力をし、自分自身を変えていくことができるのです。子ども達にどんな未来をつなげていくのか、人の可能性を信じて支え続けていくことが私のできることだと思っています。
 そのために必要なのは、「女性としての強さと覚悟と挑戦」です。女性が「自分はどのように生きていくのか」を選べる良い時代になりました。どんな道を選んでもその結果と責任は自分でとらなければなりません。いろんなことにどんどん挑戦してくれる女性がより一層増えることで、社会は変わると考えています。

6. 今後の課題

福祉の向上に関する取り組みついては、行政の補助金に一時的に援助を受けたとしても、継続は難しいと考えています。ほかの欧米諸国に比べると、日本には寄付の文化が育つ余地がまだまだ存分にあると思っています。高所得者だけでなく、自分が社会の中で課題だと感じていることに取り組んでいる事業や団体に気軽に寄付ができるようなシステムを作ることが私の課題です。
金額に関係なく、自分のお金に意思を持たせ、そのお金で社会をより良くしていこうという気持ちが、取り組み自体に参画する一つの方法であることを理解してくれる方が増えるように、活動報告のあり方などを見直していきたいと考えています。
また、欧米諸国の社会福祉団体では、「ファンドレイザー」いわゆる、ある課題に対して運営資金を調達する担当が居ます。そういった人材を育てていきながら、寄付のシステムを作り、次世代の支援者達につなぐことが私の目標です。