臼井 礼(うすい あや)

楽希楽園合同会社代表、CCAジャパン共同代表

“夢職”、サステナブルリーダーシップコーチ&ファシリテーター、
楽希楽園合同会社代表、CCAジャパン共同代表、CPCC、PCC。
世界的な自動車会社の「ものづくり」部門でキャリアをスタートさせて以来、欧州、アジア、日本で、15年間の人事経験を経て独立。真の自己に軸をおき、社会問題や気候変動に対して高い意識と行動力を持つ「サステナブルリーダー」の創出を目指す。イギリス・フランス留学にて国際経営学の修士号取得。3人の娘の母親。


狭い地球でいつわりの自分を探す?

「若い人はね、ドンドン行動するのよ」
JKSKの創設者・木全ミツさんに言われてサラリーマン卒業を決心した私でしたが、考えてみるとちょっと不思議なんです。もともと行動派でならしてきた自分なのに、どうしてあんなにミツさんの言葉が響いたのだろう?

大学生時代と就職してからの大人期の初めの約10年間をフランスですごした私にとって、日本の大企業というのは未知の世界でした。カラスの群れにカラフルなオウムが一匹で飛び込んだようなもので、なにをやっても周りから退かれツツかれる。だんだん疲れてきてなんとか周囲に合わせよう「グレーの地球人の服を着て、地球人のフリをしていよう」としたら逆にフラストレーションがたまり、そこにプライベートでの流産など辛い出来事も重なって、どん底状態におちいってしまいました。
あのころの自分はこの寄稿のタイトルとは真逆で「狭い地球でいつわりの自分を探そう」としてしまったのではないか……今ふりかえってみるとそんな気がしてなりません。

狭い地球でいつわりの自分を探す?

日産から外資系医療機器メーカーに転職したことで新しい世界が開けて、なんとか「どん底」からは脱出しましたが、それでも「企業のなかで働いている今の自分は “本来の自分” なのだろうか?」という思いは払拭できないでいました。そんなときにミツさんと出会えたわけです。実はミツさんにお会いする少し前に「自分が本当にやりたいことはこれだ!」という確信を掴むきっかけとなる大きな出来事がありました。その出来事「七浦ミュージカル」について話す前に私の名前の由来についてお話ししましょう。

名前の由来

私のファーストネームの「あや」の漢字は祭礼の「礼」と書きます。父と母が7年待ってやっとできた子どもで、もし女の子だったら大工の父が修行時代に憧れていた芸者さんの名前で「あや」と決まっていましたが漢字がなくて。名前提出の最終日に1100年続く国指定重要無形民俗文化財にもなっている「白間津大祭」があり、提灯に祭礼と書いてあって、この字は秋篠宮殿下の幼少時の御称号、礼宮(あやのみや)の漢字で「あや」と読むからとこれに決まりました。故にお祭りが大好きで、モットーは「明るく楽しく元気よく」です。

母校の校歌で即興ミュージカル

私の母校、千葉県の千倉町にあった「七浦小学校」は、残念ながら2014年に閉校してしまいました。南房総市への地域統廃合のためです。この話を初めて聞いたとき、明治7年に開校して140年の歴史があり自分を育ててくれた学校と故郷に恩返しをしたい気持ちが沸きあがってきました。ほどなくして共感してくれる仲間たちが集まり「ななうらーず」を結成! お祭り好きの私は、小学校の校歌を使った完全オリジナルの即興ミュージカルをみんなでやろうと提案しました。素人にあるまじき大胆不敵な計画がここにスタートしたのです。

母校の校歌で即興ミュージカル

「ななうらーず」にミュージカルの専門家は一人もいません。しかし私自身が宇宙人のため知り合いに音楽座ミュージカルプロデューサーがいて、彼からミュージカル創りのイロハを教わることができました。「えっ? そんな付け刃でできるの?」と思われるかもしれませんが、そこは宇宙人の魂が燃えるところで、『Make the Impossible Possible(不可能を可能に) 。曲のアレンジはそっち方面の得意なメンバーにお願いするなど、各自の「できること」をかき集めて徐々に形ができてきました。生徒、先生、親御さん、地域の方々など多くの人々の七浦小への想いが日を追うごとに集まってきて「もしかしたら想像を超えたすごいことが起きるかも……」そんなワクワクする予感がしてきたのを憶えています。

そしていよいよ当日。お天気も良好!
もともとの七浦小学校の校歌は三番まであり、それぞれ次のように歌いはじめます。

一. ごらんよ 広い太平洋 岩にさかまく 黒潮の……
二. ごらんよ みどり山の背 高塚山が そびえてる……
三. ごらんよ 蒼い空の色 黄金色した 雲の果て……

一番は海の「青」、二番は山の「緑」、三番は雲の「金色と白」というふうにテーマ色を決めて、そのなかで地域ごとに世代横断割りした各チームが自由に表現していきます。小道具は、地元の素材を回覧板で募集して、一番の太平洋は大漁旗をモチーフに、二番の山の緑はお花畑からキンセンカを、三番の未来の大きな希望への想いをこめて金色の紙飛行機やシャボン玉をとばすもの……、やっていることはバラバラなのに全体をみるとなぜか不思議な調和がある。これぞ多様性ということでしょうか(笑)。そしてこのイベントのために新たに校長先生に作詞していただいた四番を全員で大合唱してクライマックス兼フィナーレを迎えました。

四. ごらんよ、あつい人・心
色とりどりの花畑
未来へ向かう道はるか
いつも前見て進みゆく
七浦人が創りだす

人間って真に幸福で平和な状態になると無意識に \(^o^)/ こういう態勢になりますね。私はこれを「宇宙から手が引っ張られる」と表現しています。計り知れないほどのエネルギーがわきおこり、私のなかで「自分が本当にやりたいことはこれだ!」という声が聴こえました――子供も大人も世代をこえてみんな一つにつながって、地域と自然に感謝し、宇宙を感じることもできる。この活動を世界に拡げることができれば愛と夢と希望にあふれる未来が創造できるはず!――このような体験をした後にミツさんから「どんどん行動するのよ」と言われたら、そりゃもう(笑)覚悟を決めるしかありませんよね。

世界の子供たちに楽しい想い出を!

サラリーマン時代に、Women International Network (WIN) Conferenceや メキシコでの眼科ドクターのボランティアなどの様々な活動に参加しているうちに
国境、年齢、障害のあるなしを超えて、
だれでも明るく、楽しく、元氣よく、
笑顔で、自然と愛いっぱいの中で成長する光り輝く場、
「地球幼稚園」の設立構想が浮かんできました。

その後独立した私にはもう、やりたいこと「地球幼稚園」の設立を実現するために行動あるのみ(笑)。人々をつなげたい! 愛と夢と希望にあふれる明るい未来を創りたい!……でも具体的に何をやればよいか? こんなときはいったん落ち着いて、色んな世界を見てみるのも一方。ベトナムを旅行して障害児の孤児院を訪ねたりしているうちに「辛い状況で生きている世界の子供たちに、日本での楽しい想い出を体験してもらう」というアイデアが出てきました。そこから具体化して2017年に実現できたのが、日本に在住している外国につながる子供たちと、ふるさと千倉の子供たちとの交歓会「千倉グローバルこども交歓会」です。

私がこの交歓会をやりたいと思った背景には、留学時代のフランスでの体験があります。前回の寄稿(【No.92】広い宇宙で本来の自分を探そう #1)ではイケメンにつられてすんなりフランスに留学したように書きましたが、自称「宇宙人」の私もやはり人の子、実はホームシックにかかってしまったんですよ。そりゃフランス語が全然できない10代の女の子がたった一人で飛び込めばムリもない。自業自得ではありますが(笑)。そんな私を助けてくれたのは、同じ語学学校に通っていた当時コソボの紛争から避難してきた方や、カンボジアやベトナムからの移民の友人たちとそのご家族でした。彼らは自分たちもけっして楽ではないにもかかわらず、私をまるで家族のように温かく迎えて助けてくれました。いつかこの御恩をわらしべ長者のようにPay Forwardしたいと思いながら、これまで果たせずにいたのです。

世界の子供たちに楽しい想い出を!

“Pay Forward”とは恩返しの一種、つまり誰かにしてもらったのと同じ親切を別の誰かにすることでつないでいく行為です。フランスほどではないにせよ、日本にもシリアやミャンマーなど世界からやってきた難民の子供たちが、言葉や生活様式の違いからのアンコンシャスバイアスや偏見に苦労しながら生活しています。「千倉グローバルこども交歓会」をやることで、かつてフランスで助けてくれた方々や、自分を育ててくれた故郷千倉に対してのPay Forwardができる。だからこのイベントは絶対に実現して成功させたい!その強い想いがイベント実現までの道のりを支え続けてくれました。

さて、それでは先立つものをどうしましょう? ……夢を実現するための資金調達の方法として、現在はクラウドファウンディングという便利なシステムがあります。経験のある友人に相談してチャレンジしてみたら、なんと予想を大きく上回る寄付金とともにたくさんの応援メッセージまでいただくことができて大感激!もはや後には引けません(笑)。うれしさと共にプレッシャーも倍増です。

”If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together”
「早く行きたければ一人で行きなさい。遠くへ行きたければ皆で行きなさい」

私の好きなアフリカのことわざです。「ななうらーず」からご縁のあった鈴木務さん(実行委員長)はじめ多くの皆さんに助けられパワーをいただいて、どんどんイベントの内容が充実し具体化していきました。
たとえば子供たちが楽しむ遊びのプログラムは、大人が考えて与えるよりも子供たち自身がチームを組んで考えた方がよいものになります。大人は定期的なミーティングの開催・調整や、資金や安全面でのフォローをすればよい。同様におもてなし料理の内容は地元の漁業組合の女性部のおばちゃんたちや南房総市教育委員会の給食センター、サッカーのやり方については地元のサッカークラブスフィーレの皆さん……、一人一人の参加者がそれぞれ自発性を発揮して楽しみながら活躍できるようにサポートしていると、イベントは自己成長をはじめるんです。この辺りのノウハウは企業での人事担当や「ななうらーず」での経験が大いに役に立ちました。

最終的に70名の子供たち(海外30名、南房総市40名)およびボランティア57名の参加をえて、三日間の交歓会を大成功のうちに閉会することができました。
 初日 :オリエンテーションゲーム、千倉地域の各家庭でのホームステイ
 二日目:サッカー、宝探し、カポエイラ、多国籍BBQ、キャンプファイヤー、ZOOMでフィンランド、スペイン、ベトナム、ザンビア、ヨルダンを繋ぐ世界同時中継等
 三日目:ラジオ体操、みんなでおむすび、海遊び等

言葉で伝えきれないことでも表情や身ぶり手ぶりで分かり合えてしまう。子供ってコミュニケーションの達人ですね! 国のちがう子供同士がすぐに仲良くなり、いっしょに海や山を駈けまわる光景をみて、自分の子供のころを思い出してしまいました。千倉の自然は本当に美しいんです。どんなに苦しく辛いときでも私たちを大きく包みこんで癒してくれます。「子供たちの未来のためにもこの海や山を大切にしなくては」という想いが、「ななうらーず」「グローバルこども交歓会」という二つの活動に私を突き動かしたのかもしれません。サステナビリティが自分の人生における重要テーマであることはもう疑う余地がありませんでした。

千倉グローバルこども交歓会の直前の2017年6月、電車のなかで偶然とある男性と出会ったことが、私の次のサステナビリティ的展開を運命づけました。これについては次回お話ししますね。

この場をかりて、この2つのプロジェクトでご協力をいただいた皆様に感謝を申し上げるとともに、純粋な考えから人が何かを行い、協力する力により不可能が可能にかわり、ミラクルが日本中に世界中に降り注ぎ、世界が一人ひとりにとって楽しく希望にあふれ、楽園のような場所になりますよう祝福の言葉を贈りたいと思います。
『あなたが生きたいと思う人生を知り、その人生を生きましょう』Dadi Janki
(ラージャヨガ瞑想家)

(次回へつづく)