玉野 聖子(たまの しょうこ)

株式会社エンカレッジ 代表取締役、松山大学非常勤講師

  • 1967年 愛媛県生まれ
  • 1990年 関西学院大学 文学部 史学科 卒業。
  • 1990年4月 南海放送株式会社に入社。報道制作本部 放送部に所属し、レポーターとして県内各地を取材する。3年後、寿退社し、娘が2人生まれ6年間、子育てに専念する。
  • 1999年にパソコンを学び始め、8か月後にはパソコンインストラクターとなる。その後、パソコン系の資格を取得しながら、インストラクション技術を高める。
  • 2004年9月に雇用・能力開発機構 キャリア・コンサルタントを取得し、働く人の職業人生に寄り添うことの大切さを想う。
  • 2008年に、株式会社エンカレッジを設立し、組織づくりは人づくりをテーマに、地元を中心に中小企業の人材育成に関わる。さらに、2011年にITコーディネータを取得し、経営とITとの架け橋の役割として、組織のITリテラシー向上支援も行っている。

心ない一言がきっかけ

今は当たり前になったパソコン。皆さんは何歳の時にパソコンの電源を入れましたか?
私は32歳の時でした。その時の感動が今の私の原動力です。きっかけは専業主婦から仕事を再開しようとした時に言われたのが「6年も専業主婦してたら現場で使い物にならないな」、それは、ある結婚式場で結婚式の司会をした後に、会場のマネージャーに言われた言葉でした。結婚前は放送局で話すことを仕事しにしていましたし、結婚後も関西の結婚式場で単発の仕事もしていたので、まさかそんなことを言われるとは思っていませんでした。
今となっては、新参者への手荒い激励の言葉だったのかもしれないと思うのですが、子供を預けて恐る恐る仕事を再開しようとしていた私にとって、全人格を否定されるくらい衝撃の言葉でした。
数日間、かなり落ち込みましたが、そうも言っていられません。そうだ、話す仕事が難しいのだったら、事務的な経験もない私が生きていくには、何か手に職を付けなければ。と前向きにとらえるようにし、家に届いたフリーペーパーで見つけたパソコンスクールに電話していました。そして32歳にして初めてパソコンの電源を入れたのです。

生い立ちからパソコンの電源を入れるまで

私は、四国の愛媛県、県庁所在地の松山市の隣の松前町(まさきちょう)という小さな町で生まれ育ち、高校まで過ごしました。
関西の大学に進学し、史学科の日本史専攻で、近世を中心に古文書学などを学んでいました。ちょうど大学3年の冬休み明け、関西に向かうフェリーの中で、昭和が終わり新しい平成になったことを知りました。その日が昭和の最終日。1989年1月7日でした。
私は日本がバブルに沸いていた時期に大学生だったのですが、仕事は何か伝えることを仕事にしたいと思い、大学2年生からダブルスクールで夜間にアナウンス専門学校に通っていました。そこではアナウンサー志望者向けの老舗の教室で、厳しい練習で有名でしたが、アナウンサーを目指して必死に努力しているスクール生に刺激を受け、私も熱心に学びました。結果的に希望していた地元の放送局のアナウンサーではなく、放送部所属のレポーターとして採用されました。レポーターは女性ばかりの6人チーム。県内各地の話題を自分達で見つけてきて取材依頼をし、毎朝のラジオのワイド番組の中で、現場からレポートをする。という仕事は緊張感とやりがいがあり、充実した3年間でした。
その後、寿退社をし、1999年に地元愛媛に戻るまでの6年間、大阪で専業主婦をしていました。嫁ぎ先は、義父が創業して大きくした貿易会社を営んでおり、主人もそこで仕事をしていました。周りから見ると恵まれた生活のように見えるかもしれませんが、玉野さんの奥さん、娘達のお母さん。という自分が自分でないことへの、何とも言えない諦めに似た気持ちを持ちながら過ごしていました。ちょうど私たちが社会に出る少し前に男女雇用機会均等法が施行され、女性の総合職という言葉が言われ始めていたけれど、実情は、女性は結婚したら家庭に入る。子供はお母さんが育てるという考え方も根強く残っている時代でした。大阪から愛媛に戻ったきっかけはいくつもありますが、自分の力で生きていきたい。という気持ちが源流にあったことは確かです。

パソコンを習い始めて出版まで

無事にパソコンの電源を入れた私は、知らなかったことを学ぶ喜びで、毎日パソコンスクールに通い詰め、Excel3級をスタートに2級、1級と、どんどん資格にチャレンジしていました。8か月ほど経った時パソコンスクールから、スクールのお手伝いを依頼され、教える側になりました。私自身も、つい先日まで初心者でしたので、同じように受講者が引っ掛かるポイントはよく分かります。自分も資格を取りながら生徒さんにもインストラクションする日々は、とても充実していました。
今になって思うのですが、自分が学んだ知識を自分の身にするには、なるべく早くに人に説明したり、使ってみることだと思います。そういった意味でも、資格取得で勉強したことや自分がなるほどと思ったことを、生徒さんに説明する環境は、その時の自分にとって最適な環境でした。
気が付くと3年間で30近くMicrosoft Office系資格を取得していました。その中でも、きちんとインストラクターの資格も取りたいと思い、猛勉強の末、MOT(Microsoft Official Trainer:2009年にMCTに移行)も取得しました。決して資格ありきではありませんが、資格取得に向けて努力することが大切ですし、何も自分を証明するものがないという焦りのような気持ちはすっかり消えていました。
時間をやりくりし、子育てしながら、ようやく手に職が就いたと思っていた時、インターネットの記事で、徳島と北海道に住む、私と同じようなママさんインストラクター2人が1度会っただけで、後はメールなどのやり取りでAccessの本を出版したという記事を読みました。
どうやったらそんな時間の調整が出来るのだろうと興味を持ち、そのママさんインストラクターの方のお話が聞けると知り、東京に行ったら、それがオフィス系の書籍を執筆するライター養成講座でした。あなたも本を書きませんか?と誘われ、Excel資格対策本をスタートに、2年間でExcel、Access、Word、XMLなどの書籍を6冊執筆しました。

MOT Essentials
Excel逆引き2003

共著もあり、私のようなライターを全国から募集し、ライター養成を養成するプロジェクトマネージャーも任されて、同時並行で行っていました。これも愛媛の自宅からインターネットを経由して、出版社やライティングチームと連絡を取りながら一度も東京に行かずに出版しました。今考えるとテレワークを行っていたのですね。

再就職支援でキャリア形成を考える

書籍執筆と同時期、パソコンインストラクターの仕事としては、職業訓練校の再就職支援をしていました。離職期間中に3か月ほど訓練校に通い、パソコンのスキルを身に付けて再就職に役立てるというものでした。そのプログラムの中で、私はExcelやWordの資格取得指導がメインでしたが、履歴書や職務経歴書の作成支援もしていました。多くの訓練生の記入内容の相談に乗っているうちに、人はパソコンスキルを身に付けてお給料の良い仕事につくことだけが幸せではなく、その人らしい仕事人生を送るために何を考え、どう行動すればよいかを考えることが大切だと気が付きました。ちょうどキャリアコンサルタントを国の方針としても増やしたいということもあり、キャリアコンサルタントの資格を取得しました。この職業訓練校の指導員として、多くの再就職希望者の話をきく中で、働く人の職業人生をサポートしたいと思うようになりました。私も30代は自分自身でキャリア形成をしたという実感があり、人は学びや仕事の中で、人として成長することに遅いことはないのだと実感しました。

地元で東京の出版社とやり取りしてパソコン系の本を出版したりする人は珍しかったこともあり、事業化しては?という周囲の勧めもあって40歳で株式会社エンカレッジを設立しました。会社を設立するのは印鑑を作って行政書士さんにお願いすると簡単に設立できますが、子どもを出産して育てるのと同じで、設立がゴールでなく、今考えると、ここがスタートでした。当初は恥ずかしながらそれが分かっておらず、決算や事業計画などという会社として行うべきことも、その都度、いろいろな方に教えていただきながら進めてきました。

今、地元の公的な機関で月に1回程度、女性の創業のための相談に乗る相談員をしています。自分の時のことを振り返って何か起こしたいという女性に寄り添って相談に乗っていますが、もし当時の私が相談に来たら、もうちょっとしっかり考えて創業したらよかったのでは?と、お説教すると思います。それくらい無知な起業でした。

スモールスタートの起業から今に至るまで

事業内容は、創業の頃から少しずつ状況や時代にあわせて変化もしていますが、メイン事業はITリテラシー向上支援や、組織の人材育成についてです。今まで会社を続けてこられたのは、個人事業主と同じくらいのスモールスタートだったことと、在庫などを持たない仕事という事もあると思います。
会社を設立して、色々なところにご挨拶に行って、まず聞かれるのは「実績」です。30代に本を出版したり、パソコンを教えていたことは個人の成果であって、会社としては何もない赤ちゃんの状態でした。この実績の壁にぶつかりましたが、そんな中でも、少しずつお声をかけていただき、そのご縁を大切に一つ一つ仕事をして行きました。
現在の弊社の理念は、

  • 組織づくりは人づくり
  • 人と組織が互いの価値を高めあう風土づくり
  • 組織の発展 と 働く人の幸せ の実現

です。地方は、人材育成にそんなに費用をかけられるところも少ないのが現状です。でも組織は人で成り立っています。そこで働く人たちがイキイキと仕事が出来ることが組織の活性化につながると信じ、クライアントの組織で何がお手伝いできるかを、いつも真剣に考えています。

エンカレッジ

そして弊社のスタッフは全員女性です。外部委託のスタッフさんも多いのですが、多くは私と同世代で、同じように仕事を一度諦めて家庭に入ったメンバーです。私自身の経験もあり、彼女たちがイキイキと仕事が出来る環境の提供が弊社のミッションの一つだと思っています。能力もあり、やる気のあるスタッフにいつも刺激をもらっていますが、彼女たちにも弊社での仕事を通してキャリア形成をしてもらえればと思っています。

スタッフの女性たち

ウィズコロナの今

地元愛媛を中心に人材育成の仕事を始めて12年。今年ほど世の中の激動を感じたことはありません。2020年の当初に、これほどコロナの影響が社会に影を及ぼすとは、だれが想像したでしょうか。弊社もITリテラシー向上をアドバイスしていることもあり、オンライン化などの支援も手掛けていますが、弊社や私自身がそうだったように、時代や状況に合わせて変化していかなければ生き残っていけない時代になったことを実感しています。
コロナ禍と言われる渦中にある今。もっと年数が経たないと、この状況を客観的に語ることは難しいのですが、しなやかに時代と状況に合わせて変化していくのは、私達、女性が得意とするところです。嘆くことより、今、自分に何ができるかを考えて、前を向いて進んでいこう。と思う毎日です。

玉野聖子氏